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7月の新刊『三舟、奔る!』刊行に寄せて
どきっ、好漢だらけの幕末青春活劇 仁木英之

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私が幕末を題材に小説を書くのは、幻冬舎から出版された『我ニ救国ノ策アリ』以来となります。主人公の佐久間象山(さくま・しょうざん)は和洋の学問にすぐれ、剣をとっても素手であっても向かうところ敵なしで、ちょっと性格に難のある怪人でありました。

彼の塾は幕末に日本を動かすことになる多くの人材を輩出することになりますが、中でも双璧なのは吉田松陰と勝麟太郎(海舟)でありましょう。松陰はアメリカ船に乗り込もうとして失敗し、故郷の長州に戻って伊藤博文など明治を支えた才能を多数育成しました。海舟は途中逼塞(ひっそく)する期間がありつつも、幕府滅亡の時まで大車輪の活躍を繰り広げたことで歴史に名を残しています。

象山は麟太郎に自らの私塾『海舟書屋』の額を与え、麟太郎は号を海舟とします。そして江戸末期には、あと数名、『舟』を号に持つ人物が現れます。その中でも特に名高いのが、山岡鉄舟と高橋泥舟(でいしゅう)です。

彼らは『幕末の三舟』として後に称賛されるのですが、彼ら三人が共に事を成したことで有名なのは、たった一つの、しかし日本の筋道を決めた大事件においてでした。

高橋泥舟は徳川慶喜の随身として、戊辰(ぼしん)戦争前から将軍の身を守る任に当たっていました。勝海舟は江戸に迫る新政府軍に対しての交渉役に、泥舟を選ぼうとします。しかし、彼はさらに適任であるとして山岡鉄舟を推挙するのです。

鉄舟は泥舟の実兄、山岡紀一郎の愛弟子であり、妹である英(ひで)の夫です。とはいうものの、この時の鉄舟は「ぼろ鉄」と周囲に揶揄されるほどに逼塞していました。ですが、海舟はその推薦を受け、江戸百万の民と幕府の命運を「ぼろ鉄」に託します。

鉄舟はその期待に応え、勢いに乗って無茶な要求を突き付けてくる新政府側と堂々の交渉を繰り広げ、ついに江戸が戦火に沈むという事態を回避させるのです。

歴史上あまりにも有名な江戸無血開城の経緯ですが、鉄舟と泥舟は案外と無名ですし、彼らの熱い関係性についてもあまり物語で描かれていないのは、あまりに惜しいと感じるようになりました。

高橋泥舟は将軍の近くに仕えているとはいえ、石高にしても位にしても幕府を代表するとは到底いいがたい小身の旗本です。海舟も鉄舟もまた同様です。

滅亡寸前の幕府とはいえ、他に人材はいなかったのか、というとそうでもない。政権の末期には賢臣もまた多く出るのです。ただ、彼ら三人を上回る傑物が高位の侍の中にいなかった、というのが事実なのでしょう。そして、三人は互いに大事を託せる間柄にあった、と。

しかし史書は、彼らの間にある信頼や絆がどのように育まれていったかを詳細に記してくれるわけではありません。ただ、彼らが大事を託すに足ると互いを認めていた事実だけが残っているだけです。

彼らは小身ながら、文武の道においては日本屈指の腕前で若い頃から名高かったことが明らかになっています。その存在を互いに知らない、ということは恐らくなかったでしょう。若き彼らの物語を読みたい、書きたい、というのがこの物語が誕生するきっかけとなりました。

彼らの青春の日々は、ちょうど時代の転換点と重なります。幕府は自ら作り上げた完璧な政治機構によって身動きがとれなくなり、衰退の芽が徐々に伸びていました。皆が斜陽を感じつつも見ないふりをしていた嘉永(か えい)六年、黒船の来航という象徴的な事件が起きます。三舟の物語は、この事件の前年から始まります。

歴史は後から振り返ればそこが転換点であったとわかりますが、渦中にある者にはわからないものです。しかし時に、おぼろげながらも感じ取ることのできる者がいます。

才能と熱に溢れた若き三舟たちが、歴史のうねりを感じて時代の荒波に漕(こ)ぎ出すさまを楽しんでいただければ幸いです。もしかしたら、私たち自身もその転換点にいるのかもしれない、と考えながら。

※本エッセイは月刊ジェイ・ノベル2016年8月号掲載記事を転載したものです。

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