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実日ブックス
出版社・実業之日本社の電子オリジナル連載

11月の新刊『私の幽霊 ニーチェ女史の常識外事件簿』刊行に寄せて
この世以外の場所が
見たくて

朱川湊人

小学生の時、家の近くの歩道橋に幽霊が出ると聞いたことがある。その土地に越してきて、大して日が経っていなかった頃だ。

「どっかのオッサンが、女湯を覗こうとして身を乗り出し過ぎてさ……バランスを崩して落っこちたんだ。それから、ときどき出るんだよ」

教えてくれたのは友だちになったばかりの近所の男の子だったが、その歩道橋は銭湯のすぐ脇にあり、確かにありそうな話だと思えた。もちろん普通には絶対に見えないが、女湯の天井近くの窓が開いている時なら、どうにかすれば見えそうな感じだったのだ。

「何せ、頭から落っこちたもんだからよ……その幽霊も、頭の中身が半分見えちゃってるんだぜ」

彼は他にもグロい描写をしたが、あまり気持ちのいいものではないので割愛するとして ――その話を聞いた私は、完全にビビってしまった。

それから私にとって、その歩道橋は最凶最悪の場所になった。できることなら近寄りたくなかったが、やむを得ず通る時には、一気に走り抜けたりしていたくらいである。

その話が大嘘コンコンチキだと教えられたのは、高校に上がる少し前のことだ。

「えっ、信じてたの? そんなこと、あるわけないじゃん」

私に語ったのと同じ口で、友だちは明るく言ったものだ。

(そうか……女湯を覗こうとして死んだオッサンは、いなかったんだな)

そんな哀れな人間が実在しなかったのは、喜ぶべきことかもしれないが――ホッとするのと同時に、私は激しくガッカリしてしまった。その歩道橋に満ちていた不穏なオーラが、一瞬で霧散してしまったからだ。

『おもしろき こともなき世をおもしろく すみなすものは心なりけり』

これは高杉晋作の辞世の句であるが、まったく仰せの通りである。歴史的有名人が座ったと言われれば、ただの岩でさえ大したものであると感じるように、どんなささやかなものにでも、こちらの方で意味や価値を盛っていけるのが人間というものである。同じ風景でも、こちらの知識や考え方次第で、つまらないものにも有難いものにも感じることができるのだ(もしかすると高杉氏は「僕は、そういう意味で言ったんじゃないよ!」と苦情を言うかもしれないが、とりあえず、そういう意味で我田引水させていただく)。

『ポケモンGO』が流行した時に知った言葉をさっそく使ってみるが、言ってみれば、これも一つのAR(拡張現実)であろう。哀れなオッサンの幽霊を信じていた頃の私にとって、その歩道橋は間違いなく、異世界に繋がっている場所だった。真相を知ってからは何の変哲もない風景の一つに変わってしまったのだが、それは本当につまらないことだ。

何せこちとら、「幽霊? 存在するに決まってるじゃん」、「UFO? 一度だけでも、はっきりクッキリしたヤツを見たいよねぇ」、「口裂け女? うん、いるかもしれないな」、「雪男? あ、それはあんまり……だってゴリラみたいなもんでしょ」というスタンスを、一貫して取り続けている人間なのだ。とにかくこの世以外の場所が見たくてウズウズし、目の前で不思議なことが起こるのを、今か今かと期待し続ける人生を送ってきたのである。

そんな夢見がちな傾向は五十代に突入した今も健在だが、その間にも科学は日々進歩し、今まで謎とされていたことの多くが解明されてしまった。超有名なネッシーの写真も、インチキだったそうな。

世の中には、もう不思議はなくなってしまったのだろうか。この世以外の場所が見たいと思うのは、初めからムチャな願いだったのだろうか。

いや、そんなはずはない。人間にわかっていることなんて広い世界のごく一部で、きっと私の知らない不思議が、まだまだ在庫豊富にあるはずだ ――その思いから出てきたのが、今回の作品である。

これを読んだ方に見える風景が、ほんの少しだけ前と違うものになってくれたら、何よりの幸いと思っている。

※本エッセイは月刊ジェイ・ノベル2016年12月号掲載記事を転載したものです。