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11月の新刊『恋糸ほぐし 花簪職人四季覚』刊行に寄せて
「恋糸ほぐし」観光案内 田牧大和

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『恋糸ほぐし 花簪(はなかんざし)職人四季覚(しきおぼえ)』の舞台は、「麻布(あざぶ)、水天宮近くの大中寺」である。

花簪は現在、つまみ簪と呼ばれていて、薄絹を染めて作る布製の簪だ。舞妓さんの黒髪を季節ごとに彩ることで知られているが、東京都指定の伝統工芸で、江戸時代は、江戸の土産として人気があった。

その花簪をつくる職人、忠吉(ちゅうきち)が、絡んだ人間関係の挙句に仕事場も住まいも追い出され、生まれ育った大中寺へ帰るところから、「恋糸ほぐし」の物語は始まる。

さて、忠吉が生きた頃の江戸、麻布は、どういった場所だろうか。

時代劇では、日本橋や両国、あるいは裏長屋など、賑やかな町中が取り上げられることが多いが、実は江戸は武家地や寺社が多く、緑豊かで静かな町でもあった。

とりわけ、大中寺の周辺、麻布から芝の辺りは、鬱蒼とした緑、しんとした佇まいに包まれていたことだろう。

ではここで、観光案内を少々。

江戸時代の芝といえば、まずは増上寺(そうじょうじ)だ。浄土宗の関東大本山であり、徳川将軍家の菩提寺でもあった。広大な土地と権威を有していたが、庶民も参拝することができ、信仰の対象となっていた。歌川広重の『名所江戸百景』には、増上寺の大門から出てくる僧の列が描かれているが、これは夕暮れの鐘を合図に、托鉢(たくはつ)に出かける修行僧なのだそうだ。僧たちの前には、物見遊山らしい町人の一団が描かれている。これから向かうのは、宿だろうか、それとも浅草か、上野の寛永寺(かんえいじ)か。

観光地として、江戸っ子にも人気があったのが、増上寺の北に位置する愛宕山(やま)(あたごやま)である。

文政十年に刊行された観光案内『江戸名所花暦』には、愛宕山は雪の名所として紹介されている。

『芝にあるこの山の頂から雪景色を望めば、大名屋敷に積もる雪は、まるで屋敷を綿で作ったように見える。遠景には、安房(あわ・千葉県南部)や、上総(かずさ・千葉県中部)の山々まで望める』

というのだから、さぞかし気持ちのいい眺めだったろう。

広重が江戸の名所として描いたのは、「愛宕下藪小路」だ。道も木々も、そこを行く人々も、雪に埋もれ、塗(まみ)れている。描かれた道を行けば、その先は増上寺だ。

さて、物語の中で、忠吉は冒頭、住んでいた神田から麻布へと向かう猪牙(ちょき)舟の上で、耳鳴りに気付く。今まで、どれだけ自分が喧騒の中で暮らしていたのか、疲れていたのか。そして生まれ育った寺へ近づくにつれ、癒されていくことを感じ、近くて遠かった「ふるさと」に思いを馳せる。

残念ながら忠吉を待っていたのは、幼馴染の怪僧、以風(いふう)こと大吉(だいきち)で、こやつがまた喧(やかま)しい。

忠吉が望んでいただろう「静かに花簪づくりに精を出す」状況に、おいてやれなかったのは、筆者として申し訳なさを感じるが、まあ、楽しそうに喧しい幼馴染とじゃれ合っているので、よしとしよう。

この物語を進める忠吉と以風は、二人とも半人前だ。

半人前同士が、時にはぶつかり、時には分かり合いながら、また、育ての親の杉修和尚(さんしゅう・おしょう)に諭されながら、もつれた恋の糸をほぐしたり、傷ついた心を癒したり、自分達も力を貰ったりする。

半人前なりに、忠吉が職人として、人として成長する様子、以風の粗暴さに隠れた優しさを、忠吉が猪牙舟で辿った里帰りの道のように、ゆっくりと楽しんで頂けたら、幸いである。

※本エッセイは月刊ジェイ・ノベル2016年12月号掲載記事を転載したものです。

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