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12月の新刊『ルール』によせて
逸脱する性癖 堂場瞬一

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堂場瞬一

「書きやすいスポーツ」というのはある。

一番分かりやすいのは野球だ。野球は一球ごとに間があり、表裏で攻守が交代する。しかも選手がベンチに座っている時間が長いから、プレーだけではなく選手同士のやり取りも描きやすい。

マラソンも、書きにくいようで書きやすいスポーツだ。こちらはもちろん、選手同士の会話などはないのだが、孤独な競技であるだけに、走っている選手の五感を総動員してコースの様子やレースの展開を描き、さらに濃密な心理描写もできる。書いていて疲れるのですがね……。

反対に難しいのは、バスケットボール、サッカーだ。いずれも反射神経が重視される競技で、選手が遊んでいる時間がほとんどない。となるとどうしても、場面描写に頼りがちになってしまい、それなら普通に試合の生中継を観る方がいいのでは、と考えてしまう。

それでも、毎度同じ競技ばかりを書いているわけにはいかないので、常に新しい競技に挑戦したいという気持ちはある。
というわけで、思い切ってクロスカントリースキーだったのだが……これほど辛い目に遭ったことはない。

実は私は、一度もスキーを経験したことがない。記者時代、日本有数の豪雪地帯で二冬を過ごしたのだが、この時は「怪我防止」の名目で、スキーを禁じられてしまった。

律儀にこの命を守り、スキー場に取材にはいくものの、自分でスキー板を履くことは一度もなかった。

しかし今回、まったく未経験、ろくに観たこともない競技を書くというので、札幌まで出かけてクロカンに挑戦してみた。まあ、斜面を滑り降りるわけではないから大丈夫だろうと高をくくっていたのだが……勘違いでした。

詳しく書くと、自分の運動神経のなさを曝(さら)け出すことになるのでやめておくが、とにかく滑れなかった。一時間ほどチャレンジして(しかもしっかりコーチがいた)、何とかそこそこ滑れるようになったのだが、その間、何回転んだことか。しばらく肋骨が痛かったのだが、多分結構深刻な怪我を負っていたと思う。

この程度で分かった振りをして書くような勇気はないので、取材も敢行した。その結果が本書なのだが、経験者はどう読むだろうかと今から心配である。

――それはスポーツ本来の話で、本書のテーマはドーピングである。

正面切ってドーピングを取り上げるのは、『キング』以来ほぼ十年ぶりである。この問題は、スポーツを取材したり書いたりする中で、常に私の頭にある。オリンピックなどがあると、ドーピングは毎回問題になるのだが、次第に悪質化して、本書でも紹介した「遺伝子ドーピング」が既に実用化し、今や検出もできないのでは、という噂もまことしやかに囁(ささや)かれている。

では私はドーピングに反対なのかというと、「分からない」というのが正直なところだ。ルール違反だから(タイトルはここからきた)駄目とも言えるのだが、スポーツのルール、イコール社会のルールではない。ちょっと論点をすり替えるようだが、サラリーマンが昼間の交渉だけではなく、夜の接待で相手を口説き落とそうとするのは、ある意味ドーピングと言えるのではないだろうか。

それは極論かもしれないが、普段の社会生活で「ドーピング」と言えそうなものは結構ある。もしかしたら、ちょっとルールを逸脱して自分の有利にことを運ぼうとするのは、人間の基本的な性癖なのではないか。例えば「この薬を飲めば死ぬが大傑作が書ける」という薬があれば、私は間違いなく飲む。「フェア」という言葉は、後から理屈をつけるために生まれたのではないか――などと邪推してしまうこともある。

もしも本書で、ドーピングに関する突っ込みが甘いと感じられる方がいたら、それは私の気持ちが揺らいでいるからである。そういう揺らぎを正直に出してしまうのが、エンターテインメントとして正しいかどうか、未だに分からないのだが。

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