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12月の文庫新刊『運び屋 一之瀬英二の事件簿』によせて
なるようになる 水沢秋生

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「なるようになる」というのが最近の口癖だ。執筆がどうにもこうにも行き詰ったとき、本を出しても全く売れないという現実を直視せざるを得なかったとき、通帳の預金の底が見え始めたとき、そういうときにはいつも「なるようになる」と呟き、自分を慰めつつ、消極的に鼓舞している。もちろんそこに至るまでには相応の苦悩もあり、我が身の至らなさへの反省もあり、どうしてもっと真っ当に生きられなかったのかという後悔もあるのだが、その苦悩反省後悔の後、最後はいつも「なるようになるか」である。我ながら多少強引な話の運びだとは思うが、『運び屋 一之瀬英二の事件簿』という作品もまた、物事がなるようになった結果生まれたものだ。というのも、この作品はスタートの時点では、連作になり一冊の本にまとまる予定などどこにもなかった。それどころか、雑誌に掲載される予定すら、なかった。

その当時、というのは三年ほど前のことだが、私はデビューした直後で、各社の編集者と名刺を交換することはあったものの、「うちでもどうか、ひとつ」といった具体的な話はまったくなかった。あったのは「いいプロットがあったら、ご連絡を」というやつで、つまり、あらすじを見て面白そうなら、それが出来上がり、最初の印象通りに面白そうなら考えないでもない、ということである。業界のことなどよく分からず、しかも大して期待されていない新人作家としては言われたことに従うしかないのだが、しかし残念なことに私はプロットを立ててその通りに話を運ぶということが極めて苦手であった。子供の頃から、決められた手順を予定通りに守ることが、出来たためしがないのである(一例を引くなら、小学校の頃、私は八通りぐらいの登下校路を使っていた。毎日同じ道を歩くのが苦痛だったのだ)。そこで私は、自分に出来ることをした。要するに、あらすじという手順を吹っ飛ばし、五十数枚の短編を書いて、いきなり送りつけたわけだ。ただ、そのときには何の音沙汰もなかった。考えてみればこんな乱暴な、そして非効率的なやり方もないわけで、だから少々落胆はしたものの「まあこんなもんだろう」と思い、私は再び、次にどこかに送りつけるための作品に着手することになった。

ジェイ・ノベルの編集部から連絡があったのは、それから四ヶ月近くが経ったあとだ。「なかなか面白いので載せないか」という話である。もちろん断る理由はない。ただ「掲載時期はいつになるか分からない」ということで、「それもまあ、そんなもんだろう」と思ったまま、それからまた約四ヶ月が経過、次に来た連絡は「来月載る」というものだった。
それから、「続きを書かないか」「もうひとつ行ってみようか」「溜まってきたから本にしようか」といった話が、なぜかこれまた四ヶ月刻みで進み、そして雑誌掲載の四作に二つの書き下ろしを加え、このたび一冊の本になることになった。
なるようになったわけである。

そういう出自を持っているから、というわけではないだろうが、この連作短編集は実にいい加減な性格を持ったものになった。もちろん小説を書くということに関して、手を抜いたり舐めてかかったことは一度もないが、だからといって、出来上がったものが生真面目なものになるとは限らない。恐らく、多くの真面目な読者のご不興を買うような気がしている。発売前からアマゾンや読書メーターに酷評が並ぶのが目に見えるようだ。「主人公たちは冗長に会話を交わし、あまりにも多くの偶然に助けられながら困難を切り抜け、そうして愚にもつかない結論に達する」とか(これは今、適当に書いてみた文章なのだが、案外作品の中身を端的に言い当てていて驚いた。さすが作者である)。いや、そうと限ったものでもない。誰の興味を惹くこともなく、あっという間に本屋の棚から消えていくというほうが現実的か。

とにかく、そうなっても致し方ない。そうなって欲しいわけではないが、それがなるようになった結果ならば受け入れる準備は出来ている。

もちろん、その反対の事態が起きても、私は少しも驚きはしない。

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