
「これを書いたら、私自身が大手メディアから完全に干されてしまうことが、ほぼ確実だ」森永卓郎氏の“最期の声”として、『はじめに』を全文公開
作品紹介
2025.04.30
「最近、テレビ出演はやめたんですか?」と声をかけられることが増えた。忖度を拒み、本当のことを語るようになってから、テレビの仕事は次々と消えていった。そして2023年末、医師から「余命4か月、ステージ4のガン」と告げられた日、森永卓郎氏は覚悟を決めた。『発言禁止 誰も書かなかったメディアの闇』(実業之日本社)は、彼が人生の最終局面で綴った“言論の自由”を巡る渾身の記録である。忖度が日常となったテレビの現場で、いったい何が起きていたのか。
ここに公開するのは、その『はじめに』。死を前にしてもなお忖度を拒み、「本当のことを言って死のう」と綴った森永氏の最期のメッセージだ。
「最近、テレビ出演はやめたんですか?」
そう話しかけられることが、増えてきた。いま私がテレビにほとんど出ていないことは事実だが、私自身が出ないという判断をしているわけではない。出させてもらえなくなっているのだ。
なぜ、テレビに出られなくなったのか。その理由について、私には、一つの仮説がある。それは、忖度せずに本当のことを言うようになったからだ。
私だけがそう思っているのではない。昨年、ある情報番組でコメンテータを務める評論家がこっそりと教えてくれた。その番組のプロデューサーがこう言ったそうだ。「これからは、本当のことを言うコメンテータは一切出演させない」。
おかしなことを言っていると思われるだろうか。ただ、いまや「権力に忖度しなければ干される」ということは、ほぼすべてのコメンテータやテレビ関係者が共有している「常識」だ。前明石市長で弁護士の泉房穂氏も、あれだけ思い切った発言を繰り返しながらも、テレビでは「これ以上言ったら干される」というラインを超えないようにギリギリのところで発言していると話していた。
私も、基本的には泉房穂氏と同じような戦略を採っていた。だが、これまで3段階に分けて発言のタガを緩めてきた。第1段階は、子供が成人した2005年ころだ。子供が成人するまでは、親には子供が不自由を感じないように、きちんと稼ぐ責任があると私は考えている。子供を作ってしまった以上、子供が「自分は親ガチャに敗れた」と思わせてはならない。子供は親を選べないからだ。
2005年に長男の康平が20歳を迎えた。私は、それまで勤めていたシンクタンクを辞め、大学教員に軸足を移して、カネを稼ぐための仕事をストップした。そのため、私の発言の自由度は大幅に高まったが、それでも、常識を大きく踏み越える発言は、ある程度抑制していた。
タガを緩めた第2段階は、私自身が年金を受給できる年齢に達した2020年代に入ってからだ。2020年から特別支給の厚生年金が、2022年からは、基礎年金を含むすべての公的年金が受給できるようになった。実際には、「在職老齢年金制度」というのがあって、厚生年金の受給月額と月額報酬の合計が50万円を超えると、厚生年金給付の減額が始まる。私はいまだにフルタイムで働いているため、厚生年金は全額支給停止となっていて、これまで公的年金を受給したことは一度もないのだが、仕事がなくなったら、いつでも年金受給ができる。だから、テレビなどの仕事を失うことが怖くなくなったのだ。
タガを緩めた第3段階は、2023年末に医師からステージ4のガン宣告を受けて、余命4か月と言われたことだ。「どうせ死ぬなら、最後に本当のことを言って死のう」と考え、いまは誰にも忖度しない発言を繰り返している。
いま振り返ってみると、私のテレビ出演を最も減らしたのは、第2段階の発言規制緩和を行ったときだった。そこでガクンと出演機会が減ったのだ。
ただ、「忖度しないと、テレビから干される」というのは私が考える「仮説」に過ぎない。私自身の人気がなくなって、私を使う動機をテレビ局が失ったのかもしれない。本当の理由は何なのか。それを物証や証言で検証することは現実問題としては、不可能に近い。そこで、本書では、私自身の周りで起きた事実を中心に、いわば状況証拠を積み重ねることで、いまテレビのなかで何が起きているのか、さらにそこからもう一歩広げて、メディアの世界で何が起きているのかを明らかにしていきたいと思う。それが、本書の目的だ。
本書では、新しい経済理論とか、分析の枠組みが登場するわけではない。ただ、これまで誰も書いてこなかったメディアの実態に切り込んだことは、間違いないと私は考えている。何しろ、これを書いたら、私自身が大手メディアから完全に干されてしまうことが、ほぼ確実だからだ。ただ、それはそれで構わないと思っている。いずれにしても、私自身がそう長く生きることは、できないからだ。