
「せめて夢はでっかく、志高くいこう」―孫正義が明かす思考の原点
インタビュー・対談
2025.05.06
トランプ米大統領と会談し、OpenAIと共同で、世界最大級のAIプロジェクトに乗り出す。誰もが足踏みする中、孫正義は迷わず“世界”を取りに行っている。なぜ、ここまでやれるのか?なぜ、彼はグローバルな視点で動けるのか?
答えは、石を投げられた幼少期、アメリカで受けた衝撃、そして「人生を逆算」できる独創的な思考法にある。
唯一無二の経営者・孫正義と、その周囲の人々を長年にわたって取材してきた井上篤夫氏が、その実像に迫る。
世界ナンバーワン。この壮大なスケールの発想はどこからきているのか。孫は自らのルーツをたどって明確に示してくれる。
「中国は、長い年月、何百年間も世界でナンバーワンの時代があったわけですね。
アメリカも、世界ナンバーワンのポジションをこの二〇世紀というのはずっと体験しているわけです。かつてのスペイン、イギリス、ローマ帝国も、世界のナンバーワンを体験している。世界のナンバーワンを体験した人たちというのは、自分たちの歴史の中にその成功体験を持っているから、世の中の、人類の新しいステージを作ろうという大きなスケールでものを考えることができるし、子どものときから読んでいる歴史の教科書の中にも、そういうスケールでものを成し遂げたヒーローがいるわけですね。
ところが、日本の歴史の教科書の中に出てくるヒーローというのは、織田信長にしろ、秀吉にしろ、日本国内を制覇したという話です。だから、日本国内というスケールでものを考えるというのがあったんじゃないかと思うんですよね。
(坂本)龍馬は、何百年続いた武家社会から日本を解放した人で、人は平等であり、自由であるという、まさに自由民主主義の思想の持ち主でした。しかも、経済の立場からものを考え、世界の人々とグローバルに付き合ってきた。彼は死ぬちょっと前に、『明治新政府の役人になるよりも、世界の海援隊におれはなりたい』と言って死んでいったわけですね。彼は、世界の海援隊になりたいという発想でものを考えた、数少ない人間の一人だと思うんです。
ぼくは幸い、インターネットという国境がないものを仕事にしているし、せっかく一六歳のときからアメリカに渡り、ぼくの先祖は中国の人で、そこから韓国、日本と、言ってみればいろいろな国を体験しているわけです。そういう意味で、何も小さくかたまる必要はないじゃないか。せめて夢はでっかく、志高くいこうと。どこまで成し遂げられるかどうかはわからない。ましてや、一人の力で成し遂げられることは限られるけど、一緒に志をともにする仲間たち、つまり、わが社員、グループの社員、それをさらに超えて、志をともにする世界の企業グループと一緒にその志を追い求めていくことができるなら、それでいいじゃないか。別に一社で成し遂げる必要はない、ジョイントベンチャーでやったっていいじゃないか。そういうことです。」
孫は「バークレーがぼくを作ってくれた」とたびたび口にする。
孫と同じ時期に、カリフォルニア大学バークレー校の経済学部で学んだ前村祐二(米在佳、公認会計士)は言う。
「アメリカでは、並大抵の努力では成功できません。知力・体力・運の強さ。孫さんは、それらを兼ね備えていたのだと思う」
孫のバークレー校時代の恩師であり、のちにシャープに一億円で売ることになった音声付き電子翻訳機の開発に協力したスピーチシンセサイザーの世界的権威、フォレスト・モーザー博士は、私に語った。
「私はこの時代に成功するために二人の人間が必要だと考えている。一人は野心家で、クレイジーとも思える未来志向のアイデアを持っているマサヨシのような人間。もう一人はアイデアを濾過するフィルターを持ち、アイデアの選択ができる人間。マサヨシのまわりにはどのアイデアがよいか指摘できるよい友人がいた。それがとても重要なんだ」
バークレーとアメリカは孫にとって、どんな意味を持っているのか。
「そうですね⋯⋯。ぼくなりにちっぽけなコンプレックスがあったわけですよ。ぼくが最初に自分が日本人でないというのを知ったのは、幼稚園のときです。幼稚園のときに、日本人だ、何人だと言われても、まずその言葉の意味がわからない。その言葉の意味もよくわからないときに、自分は家の近所にいる子どもたちとは人種が違うんだと。それで、幼稚園から帰ってくるときに石を投げられたわけです。そのときのショックがずっとコンプレックスであったわけですよ。小学校、中学校のところまでは、名前を隠しているとか、自分の先祖のことを隠しているというコンプレックスがあって、それがアメリカへ興味を持つきっかけになったわけです。
日本が戦争に負けた国、世界でいちばん強かった国ってどんな国だ。なぜアメリカは戦争でいちばん強い国になったんだ。自動車も世界一多い、テレビも世界一多い。でも、教科書で読むとその国には黒人差別があって、いろいろな人種がいて、肌の色まで違うとなると、なおさらこの差別というか、コンプレックスというか、それこそ生きるか死ぬかの差別を乗り越えている人たちのいる国を見てみたいということで、高校一年生の夏休みのときに初めてアメリカに行ったんです。
で、行ってみたら、もうまったく想像と違って、空港に降り立った瞬間に、まずみんな外国人なんです(笑)。空港で歩いている人々が全員、『日曜洋画劇場』に登場してくるような、みんな俳優かと思えるような感じでね。そこには、白人も、黒人も、メキシコ人も、いろいろな人がいて、みな平気で歩いている。別に隠しもせずに普通に平気で歩いている、普通に明るく、笑い声で話している。
はーっ、この国はやっぱりすごい、おれは何をちまちま悩んでいたんだ……。」
アメリカが一六歳の孫を大きく変える。少年は自分の小ささに気づいた。
「何をちまちま悩んでいたんだと。日本人と、韓国人と、肌の色も、目の色も背格好も似たようなもんやないか。それに比べて、自人と黒人といったら、ものすごい差があるけど、それでも彼らはみんな同じ人間として明るく生きて、堂々とさわやかに生きとるやないか。この国はすごいな。おれはなんてちっぽけな人間だったんだ。
この国をもっと知りたい。自動車が空港を出たら、最初に乗った高速道路が、両側で八車線、一〇車線あって、片側四車線ずつ、五車線ずつあって、もう高速道路がばーんと限りなく⋯⋯、広い道路、日本で見たことのない景色です。車もみな外車でしょう(笑)。でかいわけですよ、日本車みたいな小さな車じゃなくて、大きく、オープンカーやスポーツカーが走っている。格好いいわけですね。すごいな、この国をもっと知りたい、この国で勉強したい、この国の人々ともっと触れ合ってみたいという思いが湧いてきた。
そうすると、もういてもたってもいられなくて、夏休みが終わって、日本に帰って、高校に戻ったんだけど、日本に戻ってくる飛行機の中で、おれは、日本に着いたらすぐ退学届けを出そう。このアメリカに来週戻ってきて、一日も早く、アメリカの高校、大学に行こう。それで、もっとこの国を知ってみようというふうに強く思った。」
当時の孫は久留米大学附設高校の一年生。成績はトップクラス。東大合格は間違いなかった。アメリカ行きは、初め家族や親類縁者の大反対にあった。だが、「アメリカに行って事業家になるための元を掴んでくる」という強い決心は揺るがなかった。
遠く大陸の武将を先祖に持つという血筋ゆえなのか。農耕民族的な思考回路とはかけ離れているように私には思える。
「いや、そこは、農耕民族であれ、狩猟民族であれ、要するに、大きな志を持ってやるのであれば、べつに狩猟でも農耕でも、どちらでもあり得ると思うんですけれども、やっぱり人生ですよ。信長が『人間五〇年 下天のうちをにくらぶれば夢幻のごとくなり』と『敦盛』を三度も舞った。この『敦盛』の一節がぼくは大好きで、短いこのせりふの中に、ものすごい内容が詰まっていると思うわけです。ぼくは共感するといいますかね。
だって、人類に二〇万年の歴史があって、地球上の生命体に四〇億年の歴史があって、その四〇億年とか二〇万年とかということを考えると、自分が生きていける一〇〇年ぐらいというのは、もう本当にちっぽけなものだと思うんですよね。だから、そういう中で、逆算してものを考えなきゃいけない。そうすると、迷っている暇はないじゃないかと。」
この世に生を受けて命が尽きるまで、自分は何を成すべきか。孫は常に考え続けている。
高い志に向かって突き進まなければならない。
「二兎も三兎も追うなんていう贅沢は許されん。やっぱり自分のゴール、自分の人生劇場の中の限られた年月から考えて逆算すると、高い志のことをやろうと思ったら、遠回りばっかりはしてられない、迷ってばかりいられないということです。」
「信長の戦いの仕方と武田信玄の戦いの仕方は決定的に違いがあったわけですね。武田信玄は、自分の領土、甲斐の領土から三六〇度に戦いをしている。東西南北全部の相手と戦っている。信長は、自分の尾張の国から京都までの一直線のところにある敵としかほとんど戦っていない。それ以外はもう徹底的に戦いを避けて、同盟を結ぶ。つまり、天下を取る、天下布武というビジョンに志を持ったのか、それとも自分の領土を安全に拡大するということに志を持ったのか、それの決定的違いです。領土を守るためには戦いは避けて通れない。でも、東西南北に戦うのか、一方向にだけ戦うのかは、同じ戦いを一〇〇回やるとしても決定的違いが出るでしょう。そういうことだと思うんです。
やっぱり限られた人生、ビジネスマンとしてぼくが活躍できる、経営者として活躍できるのは、ぼくにとっては五〇年だ。経営者として活躍できる年月が五〇年だとすると、五〇年から逆算して、やれること、やらなきゃいけないことで、無駄なものは全部そぎ落とすということでいかないと、時間が足りないわけですね。」
歴史に名を残した人々は、明確なるビジョンを持っている。
孫は一瞬たりとも、無駄にせず、自らのビジョンに向かって邁進する。
※本稿は、作家・井上篤夫『事を成す 孫正義の新30年ビジョン』(発行日:2010年8月31日実業之日本社)の一部を抜粋・編集したものです。