うまくいかない人生に、“決断力”という武器を——茂木健一郎氏が明かす「意思決定の科学」

『意志の取扱説明書 心を入れ替えようと頑張っているあなたへ』プロローグ全文公開うまくいかない人生に、“決断力”という武器を——茂木健一郎氏が明かす「意思決定の科学」

作品紹介

2025.05.22

頑張っても報われない。周囲と比べて落ち込む──そんなあなたに必要なのは、才能でも学歴でもなく、“正確な決断力”だ。AI時代を生き抜くための、誰にも真似できない「モート(絶対優位性)」のつくり方とは? 茂木健一郎著『意志の取扱説明書 心を入れ替えようと頑張っているあなたへ』(実業之日本社)から「プロローグ」を全文公開。


 人生、思ったようにいかない。
 一生懸命に頑張っているつもりでも、会社の同期や学校の同級生とは差が開くばかりだ……。
 僕はYouTubeチャンネルで、相談を受け付けているが、そんな悩み相談がよく届く。
 同期が世間的にいい大学をでて、有名企業に入ってすいすいと問題なく仕事ができていたり、同級生が何の悩みもないかのように勉強ができている姿を見たりすると、引け目を感じるという。
 でも、いまは効率よく、コスパとかタイパとかいいながら、仕事や勉強をうまくこなしているように見えるかもしれないけれど、それは会社にうまく使われているだけだったりする。いまは組織の中をうまく立ち回っているかもしれないけれど、この先、同じ調子が続くかというと、世の中それほど甘くないと思うのだ。
 うまくいかないなと悩んでいる人は、自分が停滞しているように感じるかもしれないけれど、それにあまり気を取られないで、自分が何をやりたいのかを考え、これが自分が進むべき道だと目標を決めることだ。その決断ができたら、あとはそれに向かって一直線にいく。他のことを捨ててもいいから。
 そんなふうにアドバイスしたことがあった。
 この本の編集者ムラシマ君も同じように悩んでいた。
 大学に入るときに二浪している。第一志望は早稲田大学だったが、結局入れなかったのだ。その間は相当苦しかったようだ。結局、中央大学に入って哲学を勉強したらしいが、大学在学中も、いろいろと悩み多い五年間を過ごしたようだ。卒業後、紆余曲折はあったけれども、いまは実業之日本社という、この本を出版する会社で編集者をしている。
入社後初めて手がけた『諜・無法地帯 暗躍するスパイたち』(勝丸円覚著、山田敏弘構成)が売れたので、表紙を僕に見せて嬉しそうにしていた。少々回り道をしたけれど、いい仕事ができてよかった。
 大切なことは、回り道、失敗も含めて経験し、その中で自分の意思決定の精度を磨いていくことだ。結論に導くパラメータ(意思決定に関わる外部条件など)が多様であればあるほど正確な判断ができるからだ。うまくいかなかった体験だってまったくムダではないのだ。

 そうした決断を、今後助けてくれそうなのが、人工知能(AI)である。ChatGPTが急速に広がり始めた。
 僕は今後、AIを使いこなせない人は生き残っていけないと断言している。さまざまな課題に対して、生成AIが多くの選択肢を与えてくれる。その中から適切に選択していけば、仕事は効率的にできるし、よりクオリティの高いものができるだろう。だから、「正確に意思決定する力」はこれまで以上に必要なのである。

 傑出した意思決定の能力をもっている経営者といえば、イーロン・マスクだろう。マスクが行ったある特定の決定事項について、そのプロセスをAIの中で再現しようと思えばできるかもしれないが、AIでマスクと同じような意思決定ができるソフトをつくろうとしてもまず無理だろう。意思決定に関わっている神経細胞のネットワークが複雑すぎるからだ。
 日本の経営者でも、たとえば、ソフトバンクの孫正義さんや、ディー・エヌ・エーの南場智子さんのような優れた人の意思決定を調べても再現は難しい。
 ジャンルはがらりと変わるが、僕の友人、キングコングの西野亮廣さん、ひろゆきさん、堀江貴文さんの意思決定のあり方を調べても、これらの人たちがそれぞれの現場や状況でどういう意思決定をしてきているのかをつぶさに見ると、脳の神経細胞のネットワークのパラメータはあまりにも複雑になるだろう。
 こういう誰にも真似ができない「絶対優位性」のある能力を、英語で「モート」という。AI業界関係者の中で最近、よく使われる言葉で注目されている概念なのだが、残念ながら、日本ではあまり注目されていない。
 イメージとしては城の周りのお堀、本丸を守るものである。
 たとえばこんな風に使われる。

 先日、Googleが次世代AIモデル「ジェミニ(Gemini)」を発表したが、「Geminiは、OpenAIのChatGPTに比べて、どういうモートをもっているのか」。

 「モート」を持っていると勘違いしそうなのが次のような人だ。
 「東大王」に出ているような東京大学を卒業した学生たち。東大を卒業したことや、クイズ王になったこと自体、実はモートにならないのだ。クイズに対して答えを言うという行為が、AIに比べて絶対優位性は勝ち取れない。将棋や囲碁でさえ、AIにはなかなか勝てない状態が続いている。
 ただ、東大生やクイズ王がモートになれるときがあるとしたら、それはAIをトレーニングするときに、一般常識クイズを使う場合があるが、そこで使うクイズ問題の作成に関わるときだ。その方法が誰かにマネされるまでは、モートであり続けられるだろう。 では国家資格ならばモートになるかというとこれもなりえない。医師や弁護士などの難関資格でさえも完全にコモディティ化、つまり差異を見いだしにくくなっているからだ。
 では、いったいどういうものがモートになるのか。
 一言でいえば、自分の人生における意思決定のパターンが、「モート」になりうるのだ。どんな人生を歩み、どんな意思決定をしてきたかという蓄積が反映されていく。

 では「モート」になりうる意思決定、正確な意思決定の能力はどうすれば磨けるのか。
 この本では、「意思決定の科学」を脳科学的な切り口も交えながら、「モート」になりうる意思決定をするにはどうしたらいいのか、どうすれば正確な意思決定が下せるかを書いていきたいと思う。
 プロローグの最後に、一言だけ重要なことを書いておくと、「脳」は「自然」と同じで、むやみに急がせることができない。草が生えたり、木々が成長したり、蝶が卵から幼虫、さなぎ、成虫となったりするスピードは、それほど大幅に速くすることはできない。草木などは成長促進剤を使えば、多少速くできることはあっても、成長のプロセスをショートカットすることはできないのだ。
 つまり、脳というのは、地道に、ときに痛い目にもあいながら、成長していくもの。時間がかかるのだ。だから思いついたら、できるだけ早く始めた方がよい。
 このように書くと、中高年世代は追いつくのが難しいのではないかと思われるかもしれないが、そんなことはない。僕ももう還暦をすぎてしまったが、意思決定の精度を磨くことをいつも意識して実行しているし、その成果を感じている。取り組むことに遅いということはないのだ。
 そうして得た意思決定の能力によって、あなたは「あの人、最近いいよね」といった声をかけられるはずである。また、それによってあなたを自由にしてくれるはずだ。