
ベストセラー〈針と剣 縫箔屋事件帖〉シリーズ 作品解説剣才ある町娘と刺繡職人を志す若侍が織りなす、あさのあつこの青春ミステリー 青木千恵(書評家)
作品紹介
2025.06.10
洋装が主流になった今では聞きなれない言葉だが、「縫箔」とは刺繡(縫い)と箔(摺箔・すりはく)を用い、着物や帯、小物などの布地に模様をつけることだ。かつては「縫箔屋」と呼ばれる店があり、武士や町人の注文を受けて刺繡をしていた。大身の武士や豪商の家人、遊郭の大夫、歌舞伎役者らは、絢爛な縫箔をほどこして装い、おしゃれを競った。半襟や小物にちょっとした刺繡をしたり、柄に思いを込め、嫁入り道具の帷子(かたびら)に縫箔をして、娘に持たせることなどがあったのだ。
絹糸、金糸、銀糸、漆糸……。
一本の糸には、さまざまな色合いと種類がある。縫う針の種類もさまざまだ。人が糸と針を操れば、模様は千変万化。無限の可能性と美しさが生まれるのである。
時は、江戸時代後期。後に化政期と呼ばれる、江戸を舞台にはなやかな町人文化が栄えた時代だ。主人公、おちえの父が主を務める縫箔屋「丸仙」に、ある日、風変わりな人物が現れる。立派な身なりの若い侍が、父の三代目仙助を訪ねてきたのだ。店に来たのは初めてではなく、すでに三度目の来訪である。
「丸仙」は、抱えの職人が十人に満たない小規模な店だが、絶えず注文が舞い込む人気店だ。主の仙助は衣装の刺繡を専業とする縫箔職人で、その腕が優れているからである。
〈糸と針と人が一体となり、布の上に鮮やかな模様を生み出す。人の儚い美と違い、千年を生きる美が現れるのだ。
おとっつぁんの仕事って、すごい〉
と誇らしく思うおちえだが、縫箔職人の娘でありながら手先が不器用で、針は苦手だ。ただし、別の才があった。「護身のため」と母のお滝に言われ、四年前、十二歳の時から市中の榊(さかき)道場で剣術を始めてめきめきと上達し、「榊の四天王」と呼ばれる高弟たちをしのぐ腕前になったのだ。得手不得手は誰にでもあり、こなせると楽だし達成感があるから、夢中で続けて上達していく。おちえは、剣術の稽古が楽しくてたまらない。
そんな十六歳のおちえが、若侍と出会って、心奪われる。侍は吉澤一居(よしざわ・いちい)といい、旗本の子息で、なんと、「弟子になりたい」と父を訪ねてきたという。なぜ、武士の身分を捨ててまで職人になりたいと望むのか。
剣術が得意な町人の娘おちえと、武家の子で職人になりたい一居とが出会い、物語が動き出す。
野間児童文芸賞などを受賞し、映画化もされた『バッテリー』シリーズをはじめ、児童文学の書き手として出発したあさのあつこさんは、2000年代に入って一般小説にも領域を広げた人気作家だ。あさのさんの初めての時代小説『弥勒の月』が刊行されたのは2006年のこと。以来、話題作を続々手がけて、あさのさんの世界は広がりをみせてきた。時代小説では、『弥勒の月』や『おいち不思議がたり』、『燦(さん)』『闇医者おゑん秘録帖』などがシリーズ化している。
「月刊ジェイ・ノベル」で連載され、2016年に単行本が刊行された本書は、日本の伝統工芸である「縫箔」に着目し、剣才を持つ町娘おちえという新たなヒロイン像を配した点が特色だ。シリーズ化している『闇医者おゑん秘録帖』のおゑんや、『おいち不思議がたり』のおいちのような特異な宿命を担うヒロインに比べると、おちえは剣才があるといってもどこか〝普通〟で、親の庇護のもと、のほほんと娘時代を過ごしている町娘だ。日々、道場に通って竹刀を振るい、汗を流す様子は、今で言えば部活や習い事をする中高生と同じような感じだろう。
おちえの周りには、職人の矜持を持ち精進を続けながらも、家庭では子煩悩な父の仙助、快活であたたかい気性の母・お滝、「丸仙」の職人たち、道場の人々、そして、弟子になりたいとやって来た一居ら、個性さまざまな人々がいる。人物が見事に描き分けられているのは、あさのさんの物語ならではだ。
〈おちえが欲しいのは、一生を貫く拠り所だった。それが、剣だ。町方の娘が剣士になれるわけもなく、刀で身を立てられるはずもない。十分に承知のうえだ。それでも、竹刀を握ったときの、あの心の躍動を何に替えられるだろうか〉
町人文化がどれだけ花開いても、身分制度が厳格に定められた江戸時代において、町娘が剣術で身を立てるなど不可能だ。また、縫箔も、男の仕事とされている。
おちえは個性的な娘だ。父が手がける刺繡を美しいと感じ、値打ちを知っているが、自分の外見を飾り立てたいとは思わない。おちえは、自分の道を歩みたいのだ。しゃきしゃきと動く身体が好きで、走るのが好き。剣術が好き。余計なことを言ってしまっては、浅はかだった、人を傷つけてしまったかと反省し、悩んだり、喜んだり。考えも感情もみるみる変わる十代の頃を過ごしている。そんな一人娘を、長所も短所もひっくるめて両親が無条件に大切にしてくれているが、ずっと娘のままではいられない。
そして、外の世界は危険に満ちている。
おちえが一居と出会ってほどなくして、神社の森の中で、若い娘が惨殺される事件が起こる。犯行の手口は、殺人鬼の出没後、迷宮入りした過去の事件と酷似していた。四年前、おちえが十二歳の春、五人の娘が相次いで斬り殺された連続殺人事件が発生。娘を持つ親たちが震えあがり、護身のためにおちえは剣術を習い始めたのだ。再発した事件の真相が知りたくて、物語に引き込まれる。
つまり本書は、おちえを主人公にした青春×成長×恋愛(?)小説であり、事件が発生し、謎が解かれていくミステリーでもあるのだ。日本の時代小説を振り返れば、岡本綺堂の『半七捕物帳』シリーズや、鬼平こと長谷川平蔵が、個性さまざまな部下を率いて犯罪と立ち向かう池波正太郎の『鬼平犯科帳』シリーズなど、ミステリーの趣向が凝らされた名作がたくさんある。あさのさんが愛読した藤沢周平さんは、ミステリータッチの時代小説をも手がけた名匠だった。
あさのさんは、子育てをしていた三十歳の頃、藤沢周平さんの『橋ものがたり』を読んで、「時代小説を書きたい」と初めて思ったという。子育て中の細切れの時間でも読める本はないかと書店に行き、『橋ものがたり』の文庫本を見て、短編集なら合間に読めると思って購入した。夢中になり、その後は藤沢作品を次々読破していった。初めて読んだ時、「人に会えた」と思ったそうだ。
〈藤沢作品には「滅び」で終わるものもあるが、『橋ものがたり』では、ささやかに生きている市井の人たちが生き延びていくことの意味を、藤沢さんが語ってくださっているように思う。登場人物は、それぞれの境涯の中で生きている〉〈こんなふうに人の姿が描けるなら、自分も時代小説を書いてみたいと強く思った〉(『橋ものがたり』の魅力を語る つながり、還流する物語/「月刊ジェイ・ノベル」2011年10月号)
平明な、ごく日常的な言葉を用い、丹念に紡いでいくうちに、美しく、滋味あふれる物語になる。人を表面的な見た目や伝聞で決めつけず、中にあるもの全てを描きだして掬い上げる眼差し。それまで思っていたことが反転し、謎の内側が見えた時に、人の姿が立ち現れる良質のミステリー。藤沢周平作品から学んだことが、あさのさんの作品には受け継がれている。特に、市井の人々を描いた本書は、『橋ものがたり』の流れを明らかにくむ。人から人への、志の伝承なのだと思う。父・仙助の仕事を見ながら、娘のおちえが自分なりの道を探すように。
ここで、「縫箔」という題材にも注目したい。今はあらゆる商品が工場での大量生産になったが、ずっと前の江戸時代、着るものは全て手仕事で作られていた。今、博物館などで展示されている江戸時代の着物を見ると、実用品というより、もはや芸術。一針一針縫われた模様の美しさに見惚れてしまうが、なぜ、美しいものは時を超えるのだろうか。
〈金糸、銀糸、さまざまな色糸が花になり、蝶になり、鳳凰になり、水の流れに変わる。縫箔職人たちは、糸一本一本の色合いと十年後の褪せ方にまで心を馳せて、針を刺す〉
色褪せるもの、色褪せないもの。娘時代の終わりを予感しながら、おちえは、両親と語らい、一居と出会い、物語の中でさまざまなものを目にする。流水(りゅうすい)草花模様、秋草(あきくさ)千鳥模様、藤花(ふじばな)舟模様……と、章タイトルに模様の名前がほどこされている。身近な花や風景を身に纏い、人々は日々を生きていた。人の思いを受け取って職人が腕を振るい、心の込められた美しいものが、時を超える。
時は、瞬く間に過ぎていく。
なんでもない、当たり前にあると思って過ごしていた日常が、風景が、いつのまにかなくなり、すぐそばにいた人たちがいない。過ぎた時は戻ってこない。
ところがその日々の中に、美しいものがある。あさのさんは、剣才ある町娘を主人公に、市井の人の営みを物語にした。
老若男女、誰もが楽しめる物語だが、おちえと同年代の若い読者にぜひ読んでもらいたい時代小説である。十代の時に読んで、時が過ぎて改めて手にしたら、違う色合いで物語を楽しめるだろう。おちえがこの先どんな道を歩むのか、物語の先も気になる。
時代小説は面白い。
遠い時代、お江戸を舞台にしながら、根本的には変わらない人の姿が描かれている。今を生きる読者とつながり、還流する物語だからこそ、おちえや一居に、仙助やお滝に、いつでも好きな時に会える。
*本稿は、文庫『風を繍う 針と剣 縫箔屋事件帖』巻末解説を再録したものです。