馬渕俊介『道をつくる』プロローグ&第1章 特別公開東大入学式の祝辞だけでは語りきれなかったこと 第1章4回目
作品紹介
2025.08.06
「たった一度の人生を、どう生きるか」――東京大学入学式の祝辞が、多くの人の心を震わせた。
2023年4月、日本武道館に立ったのは、一人の無名の国際機関職員だった。JICA、マッキンゼー、世界銀行、ゲイツ財団、そして現在はグローバルファンドで世界の感染症と闘う馬渕俊介氏。彼が東大新入生に語りかけた祝辞は、やがて10代から40代以降のビジネスパーソンまで、多くの人の人生に深く刺さるメッセージとなった。
「夢は、探し続けて行動し続ける人にしか見つけることはできない」
「環境は『わらしべ長者』のように力をつけて、経験を組み合わせながら得ていくもの」
「時間がすごく限られているなかで考えるべきリスクは、行動を起こさずに現状に留まることのリスク」
――そんな言葉の背景には、失敗と葛藤に満ちた30年の道のりがあった。
祝辞の裏にある“物語”を語り尽くすべく、生い立ちからキャリアの選択、世界との格闘の日々を綴った渾身の一冊『道をつくる』。そのプロローグと第1章を、特別に実日オンラインにて連続公開します。
第1章は全5回に分けて掲載。今回はその4回目です。
第1章3回目はこちら
海外放浪の旅をしていたことから、大学では自分が志した文化人類学者への道をひたすら進んでいたイメージを持たれるかもしれない。
もちろん、自分の好きなことに直線的に進む人もいる。回り道をしながら、色々な角度から好きなことを突き詰めていく人もいる。どちらが正しいか、正解はない。その上で言うと、大学ではいろいろなことを体験するべきだと私は信じている。
東京大学の祝辞で話した通り、大学時代が人生のうちでもっとも自由で、自分の器を広げ、行動力を育てる機会に恵まれる。高校生までは一人で自由に体験できることに限りがあり、逆に社会人になって人生が先に進めば進むほど、仕事を持ち、家族ができるなどして時間や機会の制約が生まれるからだ。
それに対して、大学は講義を受けなければならないものの、それは自分の選択によって自由がきく。自分の好きなこと、やりたいことを考えながら、自分の人生の経験を増やすことに時間を使える、もの凄く貴重な機会だ。中学、高校時代に野球と勉強しかせず、世の中をまるで知らずに育ったことに焦りがあった私は、野球部を含む部活やサークルのような、自分のすべての時間を使ってしまう選択肢を放棄した。
代わりに、タイの国技でキックボクシングの一つである、ムエタイに挑戦した。
私の趣味のひとつに格闘技があったこと、個人競技なので自分のペースで取り組めること、そしてムエタイはタイ発祥の文化的な要素もある国技であることが決め手になった。試合前には「戦いの舞い(ワイクルー)」が披露されるなど、文化的な要素にも強い魅力を感じた。
どうせやるなら、大学のサークルではなく、プロのいる本物のジムに通おうと決めた。当時はインターネットもなかったので、自分の足で探すしかない。たまたま池袋の近くに見つけたジムが、ムエタイの元世界チャンピオンのタイ人がコーチをしてくれる本格的なところだった。コーチには「トーダイ(東大)、トーダイ」と呼ばれて毎回見えない蹴りとパンチでぼこぼこにされながらも、可愛がってもらった。1年と少しの期間で、プロのライセンスも取得した。
ジムに通っていると、それまで縁のなかった人たちと交流することになる。子どものころから悪さをしてきたという若者、体中に刺青が入った美容師、格闘技を極めてきたタイ人、自衛隊員、日本に滞在している外国人。私の基準からすれば「異質」な人々だが、そこではむしろ私のほうが異質だった。異質なコミュニティに入り込む魅力は、日本国内でも体験できた。
大学の授業を使って、農家にも住み込ませてもらった。
新潟県の農家にホームステイし、農業の現場を体験させてもらった。その農家は先進的な取り組みを行っていて、賞を取ったこともある農家だった。
新潟の農家は、基本的には米を栽培する。しかし、国の生産調整の影響で、米だけでは生計が立てられない。そこで、その地域(魚沼郡)は甘くみずみずしいきれいなすいかの生産を極めて、「八色すいか」という高級ブランドとして販売していた。高額で取引される八色すいかづくりのリーダーである家庭に住み込んで、その収穫プロセスを現地のアルバイトに交じって手伝わせてもらった。
その農家では、起業家精神に溢れるご主人の考えで、八色すいかを使って別のことができないかと、ジュースやジャム、その他さまざまなアイデアを模索していた。私はその現場に立ち会わせてもらい、畑に立ちながらお話をたくさん伺って、農家の仕事や生活だけでなく、起業家精神とその行動力についても多くを学ばせてもらった。
国内でもフィールドワークの体験をしてみたかったので、さまざまなテーマと機会を模索した。そのうちのひとつに、在日外国人問題が挙がった。
新宿区の新大久保に、韓国人が集まる教会がある。ちょうど、大学のクラスのグループに、その教会に通っている韓国人がいたので、紹介してもらった。そこで、フィールドワークをさせてもらえないか頼み込んだ。
私はクリスチャンではないが、集まる人々を理解し、信頼も得るために、毎週日曜日の礼拝に参加させてもらった。礼拝に参加した人は、その後、教会で食事をしていく。その食卓にも同席させてもらい、食事をしながらインタビューを行った。
「どんな生活を送っているのですか?」
そんな日常会話から始め、時間を経てコミュニティに溶け込む努力を重ねた。多くの韓国人と仲良くなり、韓国からのプレゼントをもらうような関係にまでなった。そこから、徐々に興味の核心に迫っていった。
「韓国から日本という閉鎖的な社会に来て、どのような難しさに直面しているか」
「人によっては正規の滞在期間を超過した『超過滞在者』もいるが、彼らはどのような意図で制度に違反してまで滞在を延長し、どのような困難に直面しているか」
「そのような人たちがいるなかで、韓国の教会はどのような役割を果たしているか」
インタビューや教会の活動を観察する中で少しずつわかってきたのは、この教会が「同じ境遇の人に会える場所」「自分の話を聞いてくれる場所」「自分の心をオープンにして話せる心のより所」になっているということだった。
多くの人は、日本に来る前はキリスト教の信者ではなかった。韓国におけるキリスト教の信者の割合と、新大久保をはじめとする日本に滞在する韓国人のキリスト教信者の割合は、日本にいる信者の割合のほうがはるかに高い。教会を中心とするネットワークのありがたさに感謝しているうちに、キリスト教を信仰するようになった人が多かった。
教会は情報の入口であり、支えてくれる場所であり、ご飯を食べさせてくれる緊急避難所でもあった。難しい問題に直面したとき、牧師さんから紹介された人が自分を助けてくれることもあるそうだ。日本が外国人にとって住みにくい社会だからこそ、教会のような存在が助けになることがわかった。
このような大学時代のさまざまな体験は、知識として今のキャリアに直接役立っていることは何ひとつないかもしれない。それでも、途上国への一人旅と同様、これらの経験は、私には決定的に重要だったと思う。それは、自分が興味を持ったものに大胆に飛び込んで、実際に人を巻き込みながら(お世話になりながら)何かを成し遂げることを通じてそこから学び、成功体験と次の行動への自信を得るという、「行動と成功のサイクル」を「自分の型」として身につけたからだ。
今まで日本海外問わず多くの人々を見てきた中で、私が確信を持っていることが一つある。それは、人の仕事人生の充実度合いを決めるのは、頭の良さなどではなく、志の高さと、それを実現するための行動力だということだ。
日本の受験戦争にさらされている中高生は、多くの場合、部活と受験勉強ですべての時間が終わってしまう。部活も受験勉強も自分で考えてやる部分は少なくないが、あくまで決められた枠の中での主体性だ。私も典型的なその一人で、自分から新しい活動を始めた経験は皆無だった。
その私が大学時代に、行動、学び、小さな成功体験、行動、学び、小さな成功体験というサイクルを繰り返したことで、人を巻き込みながら新しく何かをやることに対する慣れと自信を得ることができた。何より、そういう行動を起こすのが楽しくなった。このことは、その後の仕事人生の中で自分が新しいことを始めたり、新しい挑戦や仕事に飛び込んだりするときの、とても大切な原点になったと思う。
この「行動でき、挑戦できる自分」への転換は、その力やスタイルを必ずしも育てない日本の教育に浸った人たちは、できるだけ早く経験したほうが良いと思う。
次回の公開は8/8(金)を予定しています
2023年4月、日本武道館に立ったのは、一人の無名の国際機関職員だった。JICA、マッキンゼー、世界銀行、ゲイツ財団、そして現在はグローバルファンドで世界の感染症と闘う馬渕俊介氏。彼が東大新入生に語りかけた祝辞は、やがて10代から40代以降のビジネスパーソンまで、多くの人の人生に深く刺さるメッセージとなった。
「夢は、探し続けて行動し続ける人にしか見つけることはできない」
「環境は『わらしべ長者』のように力をつけて、経験を組み合わせながら得ていくもの」
「時間がすごく限られているなかで考えるべきリスクは、行動を起こさずに現状に留まることのリスク」
――そんな言葉の背景には、失敗と葛藤に満ちた30年の道のりがあった。
祝辞の裏にある“物語”を語り尽くすべく、生い立ちからキャリアの選択、世界との格闘の日々を綴った渾身の一冊『道をつくる』。そのプロローグと第1章を、特別に実日オンラインにて連続公開します。
第1章は全5回に分けて掲載。今回はその4回目です。
第1章3回目はこちら
第1章 夢を見つけ、形作る
行動して何かを得る自分の「型」を身につける海外放浪の旅をしていたことから、大学では自分が志した文化人類学者への道をひたすら進んでいたイメージを持たれるかもしれない。
もちろん、自分の好きなことに直線的に進む人もいる。回り道をしながら、色々な角度から好きなことを突き詰めていく人もいる。どちらが正しいか、正解はない。その上で言うと、大学ではいろいろなことを体験するべきだと私は信じている。
東京大学の祝辞で話した通り、大学時代が人生のうちでもっとも自由で、自分の器を広げ、行動力を育てる機会に恵まれる。高校生までは一人で自由に体験できることに限りがあり、逆に社会人になって人生が先に進めば進むほど、仕事を持ち、家族ができるなどして時間や機会の制約が生まれるからだ。
それに対して、大学は講義を受けなければならないものの、それは自分の選択によって自由がきく。自分の好きなこと、やりたいことを考えながら、自分の人生の経験を増やすことに時間を使える、もの凄く貴重な機会だ。中学、高校時代に野球と勉強しかせず、世の中をまるで知らずに育ったことに焦りがあった私は、野球部を含む部活やサークルのような、自分のすべての時間を使ってしまう選択肢を放棄した。
代わりに、タイの国技でキックボクシングの一つである、ムエタイに挑戦した。
私の趣味のひとつに格闘技があったこと、個人競技なので自分のペースで取り組めること、そしてムエタイはタイ発祥の文化的な要素もある国技であることが決め手になった。試合前には「戦いの舞い(ワイクルー)」が披露されるなど、文化的な要素にも強い魅力を感じた。
どうせやるなら、大学のサークルではなく、プロのいる本物のジムに通おうと決めた。当時はインターネットもなかったので、自分の足で探すしかない。たまたま池袋の近くに見つけたジムが、ムエタイの元世界チャンピオンのタイ人がコーチをしてくれる本格的なところだった。コーチには「トーダイ(東大)、トーダイ」と呼ばれて毎回見えない蹴りとパンチでぼこぼこにされながらも、可愛がってもらった。1年と少しの期間で、プロのライセンスも取得した。
ジムに通っていると、それまで縁のなかった人たちと交流することになる。子どものころから悪さをしてきたという若者、体中に刺青が入った美容師、格闘技を極めてきたタイ人、自衛隊員、日本に滞在している外国人。私の基準からすれば「異質」な人々だが、そこではむしろ私のほうが異質だった。異質なコミュニティに入り込む魅力は、日本国内でも体験できた。
大学の授業を使って、農家にも住み込ませてもらった。
新潟県の農家にホームステイし、農業の現場を体験させてもらった。その農家は先進的な取り組みを行っていて、賞を取ったこともある農家だった。
新潟の農家は、基本的には米を栽培する。しかし、国の生産調整の影響で、米だけでは生計が立てられない。そこで、その地域(魚沼郡)は甘くみずみずしいきれいなすいかの生産を極めて、「八色すいか」という高級ブランドとして販売していた。高額で取引される八色すいかづくりのリーダーである家庭に住み込んで、その収穫プロセスを現地のアルバイトに交じって手伝わせてもらった。
その農家では、起業家精神に溢れるご主人の考えで、八色すいかを使って別のことができないかと、ジュースやジャム、その他さまざまなアイデアを模索していた。私はその現場に立ち会わせてもらい、畑に立ちながらお話をたくさん伺って、農家の仕事や生活だけでなく、起業家精神とその行動力についても多くを学ばせてもらった。
国内でもフィールドワークの体験をしてみたかったので、さまざまなテーマと機会を模索した。そのうちのひとつに、在日外国人問題が挙がった。
新宿区の新大久保に、韓国人が集まる教会がある。ちょうど、大学のクラスのグループに、その教会に通っている韓国人がいたので、紹介してもらった。そこで、フィールドワークをさせてもらえないか頼み込んだ。
私はクリスチャンではないが、集まる人々を理解し、信頼も得るために、毎週日曜日の礼拝に参加させてもらった。礼拝に参加した人は、その後、教会で食事をしていく。その食卓にも同席させてもらい、食事をしながらインタビューを行った。
「どんな生活を送っているのですか?」
そんな日常会話から始め、時間を経てコミュニティに溶け込む努力を重ねた。多くの韓国人と仲良くなり、韓国からのプレゼントをもらうような関係にまでなった。そこから、徐々に興味の核心に迫っていった。
「韓国から日本という閉鎖的な社会に来て、どのような難しさに直面しているか」
「人によっては正規の滞在期間を超過した『超過滞在者』もいるが、彼らはどのような意図で制度に違反してまで滞在を延長し、どのような困難に直面しているか」
「そのような人たちがいるなかで、韓国の教会はどのような役割を果たしているか」
インタビューや教会の活動を観察する中で少しずつわかってきたのは、この教会が「同じ境遇の人に会える場所」「自分の話を聞いてくれる場所」「自分の心をオープンにして話せる心のより所」になっているということだった。
多くの人は、日本に来る前はキリスト教の信者ではなかった。韓国におけるキリスト教の信者の割合と、新大久保をはじめとする日本に滞在する韓国人のキリスト教信者の割合は、日本にいる信者の割合のほうがはるかに高い。教会を中心とするネットワークのありがたさに感謝しているうちに、キリスト教を信仰するようになった人が多かった。
教会は情報の入口であり、支えてくれる場所であり、ご飯を食べさせてくれる緊急避難所でもあった。難しい問題に直面したとき、牧師さんから紹介された人が自分を助けてくれることもあるそうだ。日本が外国人にとって住みにくい社会だからこそ、教会のような存在が助けになることがわかった。
このような大学時代のさまざまな体験は、知識として今のキャリアに直接役立っていることは何ひとつないかもしれない。それでも、途上国への一人旅と同様、これらの経験は、私には決定的に重要だったと思う。それは、自分が興味を持ったものに大胆に飛び込んで、実際に人を巻き込みながら(お世話になりながら)何かを成し遂げることを通じてそこから学び、成功体験と次の行動への自信を得るという、「行動と成功のサイクル」を「自分の型」として身につけたからだ。
今まで日本海外問わず多くの人々を見てきた中で、私が確信を持っていることが一つある。それは、人の仕事人生の充実度合いを決めるのは、頭の良さなどではなく、志の高さと、それを実現するための行動力だということだ。
日本の受験戦争にさらされている中高生は、多くの場合、部活と受験勉強ですべての時間が終わってしまう。部活も受験勉強も自分で考えてやる部分は少なくないが、あくまで決められた枠の中での主体性だ。私も典型的なその一人で、自分から新しい活動を始めた経験は皆無だった。
その私が大学時代に、行動、学び、小さな成功体験、行動、学び、小さな成功体験というサイクルを繰り返したことで、人を巻き込みながら新しく何かをやることに対する慣れと自信を得ることができた。何より、そういう行動を起こすのが楽しくなった。このことは、その後の仕事人生の中で自分が新しいことを始めたり、新しい挑戦や仕事に飛び込んだりするときの、とても大切な原点になったと思う。
この「行動でき、挑戦できる自分」への転換は、その力やスタイルを必ずしも育てない日本の教育に浸った人たちは、できるだけ早く経験したほうが良いと思う。
次回の公開は8/8(金)を予定しています
著者プロフィール
馬渕 俊介(まぶち しゅんすけ)
1977年生まれ。東京大学卒業後、国際協力機構(JICA)、マッキンゼー日本、南アフリカオフィスを経て、世界銀行勤務。2014-16年に西アフリカで大流行したエボラ出血熱の緊急対策を統括し、流行の収束に大きく貢献。その後ビル・ゲイツ率いるゲイツ財団で副ディレクターとしてプライマリーヘルスケア戦略の策定などを担当。コロナ禍には、WHOの独立パネルでパンデミックを二度と起こさないための国際システムの改革を提言。2022年からグローバルファンドで、途上国の保健システム強化及びパンデミック対策を統括。ハーバード大学公共政策修士、ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生博士。

