馬渕俊介『道をつくる』プロローグ&第1章 特別公開東大入学式の祝辞だけでは語りきれなかったこと 第1章5回目
作品紹介
2025.08.08
「たった一度の人生を、どう生きるか」――東京大学入学式の祝辞が、多くの人の心を震わせた。
2023年4月、日本武道館に立ったのは、一人の無名の国際機関職員だった。JICA、マッキンゼー、世界銀行、ゲイツ財団、そして現在はグローバルファンドで世界の感染症と闘う馬渕俊介氏。彼が東大新入生に語りかけた祝辞は、やがて10代から40代以降のビジネスパーソンまで、多くの人の人生に深く刺さるメッセージとなった。
「夢は、探し続けて行動し続ける人にしか見つけることはできない」
「環境は『わらしべ長者』のように力をつけて、経験を組み合わせながら得ていくもの」
「時間がすごく限られているなかで考えるべきリスクは、行動を起こさずに現状に留まることのリスク」
――そんな言葉の背景には、失敗と葛藤に満ちた30年の道のりがあった。
祝辞の裏にある“物語”を語り尽くすべく、生い立ちからキャリアの選択、世界との格闘の日々を綴った渾身の一冊『道をつくる』。そのプロローグと第1章を、特別に実日オンラインにて連続公開します。
第1章は全5回に分けて掲載。今回はその5回目です。
第1章4回目はこちら
大学時代の活動を振り返って思うのは、考えてばかりいないでやってみることの重要性だ。興味のあることを実際にやってみながら、少しずつ自分の夢を具体的な形にしていくのだ。
自分の人生を通じてやりたいことには、「好き」なことに自分が「得意」なことを通して取り組むことが重要だと思う。好きでも得意なことを武器にしてそれに取り組めなければ苦労する。得意なことでも好きでなければ、最後まで掘り下げて取り組めない。
それに加えて、その仕事あるいは活動に需要があって、それをやることがインパクトの大きいことになり得るのかも考える必要がある。その程度は、人によって違って良いと思う。大儲けをしたい人が将来の需要が見込めないことをやっても意味がないと思うが、ささやかな需要やインパクトでも、それをやっていくことが自分の幸せなら、食べていける程度でもよいだろう。
自分は何に興味を持てるのか、何が得意なのか、そしてそれは需要があってインパクトの大きいことなのかは、実際に体験し挑戦することでしか知ることはできない。頭で考えてもわからない。
文化人類学者になりたいという目標から始まった私の大学時代の経験は、途中でさまざまに形を変えながら、ある地点に収れんしていった。v 当初は、文化人類学者としてコミュニティに入り込み、そのコミュニティをもっとも理解しているという立場から、コミュニティの支援につながるプログラムをつくる手伝いをしたいと考えた。そこでネパールに深く根を張って活動するシャプラニールというNGOのプログラムに参加して、実際にコミュニティに入り込んだ。コミュニティ開発をしている専門家に教えを請い、また丸二日、15時間以上歩いてコミュニティ開発の現場である僻地の村まで行き、活動に参加させてもらった。
しかし、実際にやってみることを通じて、「これは自分がやるべき仕事ではない」と痛感した。現地をよく知るネパール人のほうが、コミュニケーションがはるかにうまくいくからだ。
よそ者が勝手に現場に押しかけ、懸命にコミュニティに溶け込んで、そこから彼らをサポートしようとするのは自分のエゴであり、意味のあることと思えなくなった。私がやることで特別なインパクトを出せるわけでもなく、私が最大のパフォーマンスを発揮できることでもないと考えるようになった。さらには、一つのコミュニティに根を張って何年も活動するよりも、より多くの途上国の人々の生活改善に役に立ちたいと思う、飽きやすく野心的な自分にも気がついてしまった。
だとしたら、私はむしろそういう人たちが輝けるような環境を整える手伝いをする仕事をしたほうがいいと考えた。恵まれた日本人という立場を生かし、途上国の生活をサポートする仕事をしようと発想を転換した。
また、文化人類学者になるという考えも、実際に卒業論文を必死にやり切ることで、断ち切ることになった。途上国の住民参加による地域開発をテーマに必死に調べ考え、練り上げた卒論は、非常に高い評価を受けて、本として出版してはどうかというアドバイスも教授からいただいた。 しかし、新進気鋭の学者で尊敬するメンターの先生にもらったのは、こんな言葉だ。
「それで、何が馬渕君のオリジナルなの?」
核心を突かれた、私には痛い指摘だった。私の論文は、色々な視点をよくまとめていたが、自分自身のオリジナルの視点や考え、発想が足りなかった。「新しい知を作る」という学者の仕事は、自分が得意なことではない、と痛感させられた。
「途上国の人たちが自らの文化や社会と折り合いをつけながら、自らの手で生活を改善していくのをサポートしたい」と決めてからの活動は、自分が「どういう立場でどういう価値を出したいのか」、そして「何が自分に向いているのか」をより明確にしてくれた。それはいろいろなことをやってみた結果「これも駄目」「あれも駄目」という挫折の繰り返しだったのかもしれない。
しかし現地コミュニティに根を張る人でも学者でもなく、途上国の現地の人々が自分たちの生活を改善するための環境づくりをサポートするという立ち位置は、JICA、世界銀行、ゲイツ財団、そして現在のグローバルファンドまで続いている。この挫折ともいえる一連の経験は、私にとっては、実際にやってみることを通じて、自分の夢を少しずつ彫刻のように形作って明確にしていけた、非常に大切なプロセスだった。
大学卒業を見据えた新卒採用面接では、民間企業の面接も受けたが、もともと興味がなかったため、その時間が無駄になるような気がして途中でやめた。最終的には、まさにやりたいことをすぐにできる職場だった、独立行政法人国際協力機構(JICA)に入構することになった。
ここから、私の国際協力のキャリアが始まる。
2023年4月、日本武道館に立ったのは、一人の無名の国際機関職員だった。JICA、マッキンゼー、世界銀行、ゲイツ財団、そして現在はグローバルファンドで世界の感染症と闘う馬渕俊介氏。彼が東大新入生に語りかけた祝辞は、やがて10代から40代以降のビジネスパーソンまで、多くの人の人生に深く刺さるメッセージとなった。
「夢は、探し続けて行動し続ける人にしか見つけることはできない」
「環境は『わらしべ長者』のように力をつけて、経験を組み合わせながら得ていくもの」
「時間がすごく限られているなかで考えるべきリスクは、行動を起こさずに現状に留まることのリスク」
――そんな言葉の背景には、失敗と葛藤に満ちた30年の道のりがあった。
祝辞の裏にある“物語”を語り尽くすべく、生い立ちからキャリアの選択、世界との格闘の日々を綴った渾身の一冊『道をつくる』。そのプロローグと第1章を、特別に実日オンラインにて連続公開します。
第1章は全5回に分けて掲載。今回はその5回目です。
第1章4回目はこちら
第1章 夢を見つけ、形作る
実際にやってみながら、夢の形を磨く大学時代の活動を振り返って思うのは、考えてばかりいないでやってみることの重要性だ。興味のあることを実際にやってみながら、少しずつ自分の夢を具体的な形にしていくのだ。
自分の人生を通じてやりたいことには、「好き」なことに自分が「得意」なことを通して取り組むことが重要だと思う。好きでも得意なことを武器にしてそれに取り組めなければ苦労する。得意なことでも好きでなければ、最後まで掘り下げて取り組めない。
それに加えて、その仕事あるいは活動に需要があって、それをやることがインパクトの大きいことになり得るのかも考える必要がある。その程度は、人によって違って良いと思う。大儲けをしたい人が将来の需要が見込めないことをやっても意味がないと思うが、ささやかな需要やインパクトでも、それをやっていくことが自分の幸せなら、食べていける程度でもよいだろう。
自分は何に興味を持てるのか、何が得意なのか、そしてそれは需要があってインパクトの大きいことなのかは、実際に体験し挑戦することでしか知ることはできない。頭で考えてもわからない。文化人類学者になりたいという目標から始まった私の大学時代の経験は、途中でさまざまに形を変えながら、ある地点に収れんしていった。v 当初は、文化人類学者としてコミュニティに入り込み、そのコミュニティをもっとも理解しているという立場から、コミュニティの支援につながるプログラムをつくる手伝いをしたいと考えた。そこでネパールに深く根を張って活動するシャプラニールというNGOのプログラムに参加して、実際にコミュニティに入り込んだ。コミュニティ開発をしている専門家に教えを請い、また丸二日、15時間以上歩いてコミュニティ開発の現場である僻地の村まで行き、活動に参加させてもらった。
しかし、実際にやってみることを通じて、「これは自分がやるべき仕事ではない」と痛感した。現地をよく知るネパール人のほうが、コミュニケーションがはるかにうまくいくからだ。
よそ者が勝手に現場に押しかけ、懸命にコミュニティに溶け込んで、そこから彼らをサポートしようとするのは自分のエゴであり、意味のあることと思えなくなった。私がやることで特別なインパクトを出せるわけでもなく、私が最大のパフォーマンスを発揮できることでもないと考えるようになった。さらには、一つのコミュニティに根を張って何年も活動するよりも、より多くの途上国の人々の生活改善に役に立ちたいと思う、飽きやすく野心的な自分にも気がついてしまった。
だとしたら、私はむしろそういう人たちが輝けるような環境を整える手伝いをする仕事をしたほうがいいと考えた。恵まれた日本人という立場を生かし、途上国の生活をサポートする仕事をしようと発想を転換した。
また、文化人類学者になるという考えも、実際に卒業論文を必死にやり切ることで、断ち切ることになった。途上国の住民参加による地域開発をテーマに必死に調べ考え、練り上げた卒論は、非常に高い評価を受けて、本として出版してはどうかというアドバイスも教授からいただいた。 しかし、新進気鋭の学者で尊敬するメンターの先生にもらったのは、こんな言葉だ。
「それで、何が馬渕君のオリジナルなの?」
核心を突かれた、私には痛い指摘だった。私の論文は、色々な視点をよくまとめていたが、自分自身のオリジナルの視点や考え、発想が足りなかった。「新しい知を作る」という学者の仕事は、自分が得意なことではない、と痛感させられた。
「途上国の人たちが自らの文化や社会と折り合いをつけながら、自らの手で生活を改善していくのをサポートしたい」と決めてからの活動は、自分が「どういう立場でどういう価値を出したいのか」、そして「何が自分に向いているのか」をより明確にしてくれた。それはいろいろなことをやってみた結果「これも駄目」「あれも駄目」という挫折の繰り返しだったのかもしれない。
しかし現地コミュニティに根を張る人でも学者でもなく、途上国の現地の人々が自分たちの生活を改善するための環境づくりをサポートするという立ち位置は、JICA、世界銀行、ゲイツ財団、そして現在のグローバルファンドまで続いている。この挫折ともいえる一連の経験は、私にとっては、実際にやってみることを通じて、自分の夢を少しずつ彫刻のように形作って明確にしていけた、非常に大切なプロセスだった。
大学卒業を見据えた新卒採用面接では、民間企業の面接も受けたが、もともと興味がなかったため、その時間が無駄になるような気がして途中でやめた。最終的には、まさにやりたいことをすぐにできる職場だった、独立行政法人国際協力機構(JICA)に入構することになった。
ここから、私の国際協力のキャリアが始まる。
著者プロフィール
馬渕 俊介(まぶち しゅんすけ)
1977年生まれ。東京大学卒業後、国際協力機構(JICA)、マッキンゼー日本、南アフリカオフィスを経て、世界銀行勤務。2014-16年に西アフリカで大流行したエボラ出血熱の緊急対策を統括し、流行の収束に大きく貢献。その後ビル・ゲイツ率いるゲイツ財団で副ディレクターとしてプライマリーヘルスケア戦略の策定などを担当。コロナ禍には、WHOの独立パネルでパンデミックを二度と起こさないための国際システムの改革を提言。2022年からグローバルファンドで、途上国の保健システム強化及びパンデミック対策を統括。ハーバード大学公共政策修士、ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生博士。

