宮沢賢治賞奨励賞受賞によせて 名取佐和子

『銀河の図書室』宮沢賢治賞奨励賞受賞によせて 名取佐和子

自作解説

2025.08.22

 私にとって宮沢賢治は特別な存在だ。
 そう思っている人が大勢いる作家と、未来永劫愛されつづけるであろう彼の作品を扱う小説を書くことに、ためらいを覚えなかったと言えば嘘になる。もちろん私も彼が好きで、作品も読んではいたけれど、あくまで趣味の読書の範疇にとどまっていたからだ。
「いやいや、無理無理、恐れ多いわ」と後ずさる私の背中を押したのは、チカ、キョンヘ、マスヤスといった今作の登場人物たちだった。

 2022年に刊行された拙著『図書室のはこぶね』の販促活動が一段落した頃に、担当編集者から「次もまた青春小説を」というリクエストをもらった。「青春小説」であれば他は何の制約もない発注だったのに、私は当たり前のように「だったら、『図書室のはこぶね』と同じ高校を舞台にしましょう」と答えていた。
 艦船の浮かぶ海が見える図書室(学校図書館)という設定が気に入っていたし、毎年卒業生を送り出し、また新入生を迎え入れて、3年も経つとすっかり別人の顔になる学校という〝箱〟を、長期スパンで覗いてみたいという気持ちが昔──小説を書くことが仕事になるずっと前──からあったのだ。
 次はどんな生徒たちを描こうか? そればかり考えながら過ごしていると「図書室を部室代わりに使わせてもらっている弱小同好会」という設定を思いついた。同時に「この同好会に所属して図書室に集う学年の異なる生徒たち」の影もぼんやり見えてきた。そして同好会名として「イーハトー部」というダジャレのような候補が浮かんだ時、カチリと歯車の噛み合う音がした。影でしかなかった登場人物たちが個々の輪郭を持ち、哀しみと希望の色をまとって動きはじめるのがわかった。彼らはイーハトー部を熱烈に気に入り、活動したがっていた。
 ここで、私ははたと我に返る。待って。イーハトー部の活動って、何?
「賢治さんと彼の作品に親しみ、楽しく研究することに決まってるじゃん!」
 そう口々に叫ぶ登場人物たちの声が聞こえた気がして、私は焦った。「研究」って気軽に言ってくれるな。書くのは私だよ。冒頭で述べたとおりのためらいが頭をもたげ、弱気になった。
 けれど、登場人物たちはすでに宮沢賢治に救いを見出して集まった高校生たちに仕上がりきっており、彼らの青春は宮沢賢治がなくては梃子でも動かない。私がどれだけ乗り気じゃなかろうと弱音を吐こうと、登場人物たちは揺るがなかった。
「僕たちの物語には、宮沢賢治と彼の作品が必要なんだ」と訴えつづけた。
 その若さ、ひたむきさ、頑なさにほだされて、私は覚悟を決めたのだ。

 こうして、私は物語を書きながら宮沢賢治と出会い直した。今まで読んだことのなかった作品や研究書も手に取り、私自身が読むというより、登場人物たちの目になって文字を追うよう努めた。すると不思議と物語と呼応する作品や文章が浮かび上がってきて、野亜高校イーハトー部の高校生たちだから成し得た読解を記すことができた気がする。
 出会い直しの中で、宮沢賢治の人となりは万華鏡のようにくるくると姿を変えていった。中学生の頃に仰ぎ見た文豪の彼は、どこか近寄りがたい偉人の皮で覆われていたけれど、大人になって向き合えばその皮はするりと剥けて、深いやさしさと同じくらい弱さも持ち、茶目っ気があり、時に怠け、時に暴走する若さと人間らしさが見て取れた。そんな彼の病に冒されがちな身体の内側で不器用に灯りつづけた善への祈りを嗅いだ時、私はどうしても彼の愛した山と空気に触れたくなって花巻へ向かった。聖地巡礼的な1人観光のはずが、立ち寄った宮沢賢治イーハトーブ館で手に入れた資料から物語の新たな展開を作ることができたので、はからずも取材旅行になったのもいい思い出だ。秋の澄んだ青空と視界をぐるりと取り囲む山々、関東では見たことがないくらい大きな蜘蛛と美しい蜘蛛の巣──目に映るすべての風景を「100年前に賢治さんも見てたかな」と胸を熱くしながら焼き付けた。
『銀河の図書室』が刊行されると、想像もしない展開が待っていた。執筆時お世話になった書籍や資料を書かれた方々が会員に名を連ねる宮沢賢治研究会から、「インタビューしたい」とお声をかけていただけたのだ。自分よりずっと長く深く宮沢賢治にかかわってきている方々を前に、一体何を話せばいいのか? 私のそんな不安は、会員の皆様のあたたかい眼差しと大島丈志さんの巧みな進行ですぐに吹き飛び、気づけば夢中で喋っていた。桜の見頃が少し過ぎた土曜日のあの熱のこもったひとときは、「よく調べましたね」と打ち上げの席でねぎらっていただいた言葉ともども、私の心に深く刻まれている。
 さらにこのたびは、宮沢賢治学会から宮沢賢治賞奨励賞という光栄極まりない賞までいただけることになった。「いやいや、無理無理、恐れ多いわ」とひるんでいたあの日を思うと、夢のようだ。いつもフラットに適切な助言と励ましをくれた担当編集者はもちろんのこと、チカ、キョンヘ、マスヤスをはじめとする登場人物たちにも感謝を述べたい。そして、今こそ胸をはって言いたい。
 私にとって宮沢賢治は特別な存在だ。

●プロフィール

兵庫県生まれ。明治大学卒業。ゲーム会社に勤務した後、独立。2010年『交番の夜』で作家デビュー。著書に第5回エキナカ書店大賞を受賞し た『ペンギン鉄道 なくしもの係』、『金曜日の本屋さん』『江の島ねこもり 食堂』『逃がし屋トナカイ』『ひねもすなむなむ』『図書室のはこぶね』『文庫旅 館で待つ本は』ほか多数。