昭和100年・戦後80年記念企画【戦後80年】伊吹有喜ロングインタビュー 歴史には名の残らない出版人を描きたくて――『彼方の友へ』と戦争を語る
インタビュー・対談
2025.08.08
『彼方の友へ』は、昭和10年代の少女雑誌の編集部を舞台にした青春群像劇で、直木賞候補にもなった傑作です。戦後80年という節目を迎えるこの夏、伊吹さんと語り合いました。
まとめ:編集部 著者撮影:下林彩子
●『彼方の友へ』がきっかけで出版社へ──読者と作家の初対面
М:はじめまして。実業之日本社のIPマーケティング事業本部に勤めております(名刺を差し出す)。伊吹:下の名前、Мさんとお読みするんですね。とても美しいお名前。
М:ありがとうございます。今日は、伊吹さんにちょっとお見せしたいものがあって……(カバンの中から赤い表紙の分厚い本のようなものを取り出す)。これ、私が作ったんです。
伊吹:うわぁ、これはすごい……!
編集担当:同期入社の同僚に、雑誌連載時の『彼方の友へ』を読ませたくて、Mさんが雑誌連載の全ページのコピーをハンドメイドで製本したそうです。
М:私の重たすぎる「好き」が込められているので、「呪物」と呼ばれています(笑)。
伊吹:ありがとう。ありがとう……。なんて素敵なの!
М:表紙には「ミランダ」という名前の用紙を使いました。登場人物のなかで、一番好きなのが霧島美蘭なので。
『彼方の友へ』をはじめて読んだのは、2022年、大学3回生のころです。気軽に足を踏み入れてみたら、そこは深い深い「沼」でした。単行本を読むだけでは飽き足らずに、連載されていた雑誌のバックナンバーを手に入れたかったのですが、当時大阪に住んでいて入手できず。国会図書館の遠隔複写サービスで取り寄せて読みました。
伊吹:(ページをめくりながら)このあたり、単行本化するときに、削ったんですよ。主人公・佐倉ハツの母親が入っているサナトリウムを、謎めいた親戚の男、望月辰也が訪ねる場面。
М:ええ、単行本では削られていました。望月はお母さんのことが好きだったんですよね。
伊吹:そうなんです、彼は思いをずっと胸に秘めており……。(さらにめくりながら)そうそう。連載のときには、毎回素敵な挿絵がついていたんだ。うわぁ、懐かしい。イラストレーターは小春あやさん。可愛い挿絵だなぁ……! めちゃくちゃ素敵ですね。自分の連載に「素敵」を連発するのはおかしいかもしれないけど、挿絵と物語が共鳴するのは雑誌ならではの楽しさで。……このお手製の本には花布も、スピンもついてますね。
М:はい。色も、作品をイメージして選びました。
伊吹:いやぁ、作家冥利に尽きます。……幸せだなぁ。(編集担当に向け、少し方言の抑揚で)我々、仕事してきてほんとよかったねぇ。嬉しいです。
編集担当:入社試験の採用面接は、最後におきまりで、「当社へ質問がありますか」と逆質問してもらうんです。働き方のことなんかを聞かれることが多いんですけど、Мさんは、『彼方の友へ』の連載時と単行本時の内容の違いをふまえて、どういう意図だったのか、という突っ込んだ質問をしてきたんです。単行本刊行時から時間が経っているので、私もそんなに細かいことは覚えていなくて(笑)。そんな経緯で入社したМさんから、今日は伊吹さんに、思い残すところなくインタビューしてもらえたらと思います。
●モデルは網タイツの編集長!?――新人時代の記憶が物語を形づくった
伊吹:どうぞ、どうぞ。リラックスして。何か足りなければあとからメールで聞いてもらっても構わないので。М:(緊張のおももち)ありがとうございます。伊吹さんは『彼方の友へ』刊行時のインタビューで、1908(明治41)年に小社から創刊され、竹久夢二や中原淳一も活躍した少女雑誌「少女の友」をモデルにしているとお話しになっています。これとは別に、伊吹さんご自身が出版社に勤務された経験も、ご執筆のきっかけだったのでしょうか?
伊吹:ええ、その通りです。主人公の佐倉ハツは、銀座にある憧れの「乙女の友」編集部の雑用係の仕事を得ますが、右も左もわからず奮闘する姿は、自分自身の新人時代にも重なります。
私が婦人画報社(現・ハースト婦人画報社)に入社したのは平成が始まったころでした。私はイベント企画の部署へ配属となり、「MCシスター」というティーン向けファッション誌の読者イベントの企画運営に携わっていました。当時は「シスターモデル」と呼ばれた、紙面に登場するモデルが大変な人気で、彼女たちに会うために愛読者が始発電車に乗って早朝からイベント会場前に列をなすという時代でした。
編集担当:「乙女の友」のモデルとなった小社の「少女の友」でも、明治、大正期から「友ちゃん会」と呼ばれる愛読者主催のイベントが、各地で開かれていました。
伊吹:「少女の友」の誌面に掲載された友ちゃん会レポートの記事を見ているうちに、私が目撃した平成の愛読者の熱狂の記憶がよみがえってきたのです。10代の女の子たちの情熱は、昭和でも平成でも変わらないんだと実感しました。
佐倉ハツにも、モデルのような方がいます。私の配属先は小さな部署だったのですが、仕事をしていると時折、往年の名編集長たちが、私の上司を訪ねてくるのです。上司は若い頃、その方々のもとで働いていたので、みなさん、来社して気の張る用事が済むと、企画部門に来て上司と雑談をして帰っていくのでした。
そのなかに、とってもかっこいいおばあちゃんがいて。その方は職業婦人がまだ少なかった時代に、伝説の女性編集者として活躍された方でした。小柄で、とにかくおしゃれで。
あるとき、網タイツをはいてこられていたので、後輩たちと「わあ、素敵な網タイツ」と声をかけたら、「網タイツって言葉、わたし嫌いなの。カルツェ・レーテと呼んで頂戴」って言われまして。我々、その口調の冷静さに縮み上がりました。「小さくてお洒落なおばあちゃん」と思って声をかけたら、小さいどころか、教養もセンスも実績も兼ね備えた偉大な先駆者だったのです。
でもそんな方でも若い頃は泣いたり笑ったり落ち込んだり、ときには悔しい思いをしたこともあったに違いありません。「あの方が若いときは、どんな女の子だったんだろう」と想像して、ハツのキャラクターがふくらんでいきました。
ただ、大正生まれのハツはその方々より、もう一つ前の世代になります。戦前、戦中にも女性の編集者はわずかながらもいましたが、当時のマスコミは並外れて高学歴な男性社会。ひじょうに大変だったと思います。
日本の大学は、戦後になって広く女性に門戸が開かれました。戦前にも高等女学校の次に女子大学という学校はありましたが、制度としては専門学校の扱い。大学教育は長らく富裕層の男子のものだったのです。そうした世界では、ハツのような立場の少女や、編集部で働きながら夜学に通う少年給仕、高等女学校卒の史絵里でさえも苦戦したはずです。
それでも、雑誌をつくりたい、面白い本をつくりたいという情熱をもって、手強い世界へ果敢に分け入っていった人々を描きたいと思いました。
あともうひとつ。「婦人画報」の姉妹誌だった「少女画報」は、昭和17年に「少女の友」に雑誌統合されました。「少女画報」がなぜ消えてしまったかというと、戦時下で用紙不足が深刻だったからです。戦争は、こうして人々から日常を奪っていって、そのことに文句も言えなかった。そんな時代のことも書きたいと強く思いました。そんな不思議なご縁もあり、ストーリーの輪郭がだんだん出来上がってきました。
●主人公は雑用係――名前の残らない出版人たちへのオマージュ
М:『彼方の友へ』は、きらびやかな才能を持つ文豪や画家ではなく、雑用係の女の子が主人公です。拝読していて、市井の人間を主役にしたのは、戦争が奪っていった日常や、それでも奪えなかったものを描きたい、という意図がおありだったのではないかとも感じました。伊吹:まさにその通りです。中原淳一先生をモデルに描いた、才能あふれる長谷川純司を軸に描くこともできますが、それよりも、歴史には名前の残らない出版人たちを描きたいという気持ちが強くありました。困難きわまる時代でも、用紙の手配、印刷、製本、取次、書店員さん……奥付にお名前はないけれど、たくさんの先輩たちが精いっぱい仕事をしてきてくれたから、我々が今ここにいるわけで。
「実業之日本社百年史」に載っているエピソードでとても好きなものがあるんです。1946(昭和21)年、用紙難のなかで何とか発売された雑誌を仕入れたいと、実業之日本社の社屋の前に、リュックにお札を詰めこんだ書店さんの列ができたという逸話です。「戦争は終わった、さあ、心を潤す文化を読もう、届けよう」という思いだったのではと想像します。『彼方の友へ』では、社屋の屋上で開かれたパーティに、書店や印刷所の人たちが集まるシーンも創作しました。
「少女の友」は、中原淳一が考案した豪華な付録も有名です。これは編集部もすごいのですが、印刷した人、型抜きした人、箱を組み立てた人……たくさんの方が誇りをもって一致団結したから、あの美しい付録を世に送り出せたのだと思うのです。
私が新人の頃、花形のファッション誌に配属された同期は「今日は展示会、明日はパーティ」と、とても華やかに見えました。それを横目に、私はイベントのお弁当の手配とか、くじ引きのくじを手作りしたりしていて……。そのときに、出版社には、広告部があり、宣伝部があり、販売部があり、総務や経理部があり、用紙の手配をする部署があり……みんなが頑張っているから、編集部があるんだ、ということを肌身で知りました。
私は編集志望だったので、入社してイベントの部署に配属されたときは、ちょっとがっかりしたのですが、それがこうして『彼方の友へ』につながっているので、不思議なものですね。
М:私も、たまたま販売部にいるので、共感できる部分があります。
伊吹:今されている経験は無駄にならないですよ。生きていると、そのときに出会うべくして出会った人、起こるべくして起こったことがあるので。『彼方の友へ』だって、Fさん(編集担当)と出会わなければ生まれていなかったですし。
編集担当:最初にお会いしたときは、別の題材を提案したのですが、帰り際に以前担当した『「少女の友」 中原淳一 昭和の付録 お宝セット』という付録の復刻版をお土産にお渡ししたんです。そうしたら、後日伊吹さんから「『少女の友』をモデルに書きたい」とご連絡をいただいて。
「少女の友」昭和13年1月号復刻版 (『「少女の友」 中原淳一 昭和の付録 お宝セット』より)
「少女の友」昭和13年1月号付録「フラワーゲーム」復刻版 (『「少女の友」 中原淳一 昭和の付録 お宝セット』より)
●「僕は、憲一郎っていう名だったんだよ」──戦争とは名前と人生を奪うもの
М:『彼方の友へ』について、ひとつ伺いたかったことがありまして。この作品は「佐倉ハツという名前がいやで、自分で書くときは佐倉波津子と書いている。」という一文から始まります。物語の主人公が主人公でいられる理由はそれぞれにあると思いますが、作中のどのキャラクターとも違う佐倉ハツの強みは、最後まで「自分が呼ばれたい名前」をはっきり持っていたことだと思うのです。それはたぶん、自分が何者で、何に心を燃やせるかをハツがすごく自覚していたから。同僚の登場人物には、結婚するにあたり、出版社で働いていた経験をなかったことにして欲しい、と言われた人もいるし、自分の名を偽ったまま一生を終える人物もいます。「名前」が、『彼方の友へ』の重要なモチーフになっているように思いましたが、どのように意識されていたのでしょうか。
私は、近現代の戦争で無差別攻撃が起こってしまう原因は、その地に名前のある一人ひとりが暮らしていて、それぞれにバックボーンがあるという事実を想像できなくなる――そういう人間の極限状態が背景にあるのかな、と考えていて。『彼方の友へ』では、戦中に生きる人々の苦難を描きながら、名前を忘れ去られてしまった人々をすくいあげたい、という伊吹さんの意志が感じられました。
伊吹:本当に、その通りです。戦争とは何か――色々な定義があると思うのですが、私にとっては「人々から名前を奪い、その名前の土台にあった人生すら根こそぎ奪っていくもの」です。ハッちゃんは、「ハツ」は野暮ったいから「波津子」と呼ばれたいのですが、話が進むにつれて、その気持ちは変わっていきます。登場人物たちの名前が奪われていく、ということは強く意識していました。
世界中にある「無名戦士の墓」に弔われているのは無名じゃない、名前を奪われた人々です。遺骨も帰ってこず、戦没者名簿に名前が刻まれただけの方々も、生きているときは、みんな泣いたり笑ったり、カラフルで鮮やかな人生を過ごしていたのです。ハッちゃんが敬愛する「乙女の友」の主筆だった有賀の「僕は、憲一郎っていう名だったんだよ」というセリフにはそうした背景があります――ハッちゃんには、彼がどういう事情でその発言をしたかは知る由もないのですが。
●“一握の希望”を信じて──フィクションだからこそ書けたこと
М:そういう状況に打ち克つというより、どうしたらそうならずに済むのかを、伊吹さんが真摯に考えられているのが本文から伝わってきて、エピローグにたどりつきます。想像力のちからで、人の手によってなされてしまう大きな災いにどう対抗するのか、という意識が感じられて、とても感動的でした。『彼方の友へ』のなかで、フィクションだから伝えられた、というメッセージはありますか?伊吹:有賀憲一郎は、声高に演説するタイプではありません。若くして主筆になったので、最初は周囲が先輩たちばかりだったということもありまして。その有賀が珍しく編集部のメンバーを前に語りかける場面があります。太平洋戦争の開戦前夜、軍部の圧力によって、可憐な装画で「乙女の友」の表紙を飾った長谷川純司が降板した翌日のことです。
「多くの雑誌が消えていく。(中略)だけど僕らは切腹も殉死もしない。生き残ることを選ぶ。なぜならこの雑誌は少女、乙女の友だからだ。たとえ荒廃した大地に置かれようと、女性はそれに絶望して死にはしない。一粒の麦、一握の希望、わずかな光でもそこに命脈がある限り……女たちはそれをはぐくみ、つなげていく」
おそらく、現実では、こうしたことはなかなか言えなかっただろうと思います。でも実在の「少女の友」編集部へ最大の敬意を込めて、書きました。
そして開戦し、戦争末期になると、食糧は尽きてくるし、昼夜を問わず空から爆撃されるし、絶望的な状況だったと思います。それでも希望を捨てないために本や雑誌は存在する。そのことを編集部の人たちは感じていたから、戦火のなかでもなんとか雑誌を作り続けたのではないかと思います。
「少女の友」昭和20年6・7月合併号。終戦前後も途切れることなく刊行された
人間と動物の一番の違いは、想像する力があるということ。現実世界でとてもつらい状況にあっても、想像するのは自由だから心はどこにでも行ける。宇宙にも、古代にも。そうしていったん心を遠くへ逃がすからこそ、現実に立ち戻る勇気を得られるのではないかと思います。文化的なことでなくても、誰かに会いたいとか、おいしいものを食べたい、といった欲求も、その源には想像力があるのではないかと。雑誌や本は、その想像力をふくらませるゆりかごであり、「ここではない、どこか」に連れ出してくれる夢の乗り物です。
●心に灯った火は、未来へ――「推し」がいる人の心にも響く物語
М:『彼方の友へ』は、文庫本で500ページをこえる大作ですが、描かれているのは昭和12年から20年の8年間という短い期間です。この期間に「何かをやり遂げたぞ」という実感を持って物語から去っていった人物は、実はほとんどいないと思うんです。にもかかわらず、物語の最後には、この世界には永遠はある、自分たちの軌跡こそが永遠なんだ、という思いにたどりつきます。伊吹さんにとって「永遠」というのは、どんな概念なのですか?伊吹:「少女の友」は明治41年に創刊され、昭和10年代に中原淳一先生が彗星のように誌面に登場して一時代を築き、戦後も昭和30年まで刊行が続きます。さきほどお話しした通り、名前は残っていないけれども、それぞれの時代に、数えきれない人たちが雑誌作りにかかわってきたでしょう。平成になって、そのことを我々が知り『彼方の友へ』が生まれた。そして『彼方の友へ』を読んだМさんがこうやって今取材してくださっている。
何かに対して燃やした情熱というのは消えなくて、きっとそれが誰かの心に火をつけて、その火が次の人、またその次の人の心へと灯りをともしていく。未来のことはわからなくて、何が後世に残るのかも想像がつかないけれど、それでも我々は一生懸命やっていて、それがもしかしたら、誰かの心を温めることがあるかもしれない。今、心を燃やすことが、いつか永遠になっていくのだろう、そう思います。
戦前、戦中の「少女の友」を作っていた方々は、昭和100年、戦後80年の歳月が流れた今、我々が当時の雑誌について、こうして語り合っていることなんて、きっと想像もしていなかったと思うんですよ。
М:『彼方の友へ』は、何かを好きになったり、誰かを応援したりする人に読んでもらえたら、絶対に、なにか心に響くものがあると思います。それこそ「推し」がいる若い世代の方々にも。もし心が離れたとしてもこれで終わりではないんだ、とちょっと救いにもなるはずなので。
伊吹:雑誌に限らず、建物も、電車も、街自体も、誰かが熱中して「いいものを作ろう」と作り上げたものだと感じます。一生懸命やったことは必ず次の誰かにつながっていく。たとえ、今すぐその人に出会えなかったとしても、その情熱を受け取ってくれる人は未来にきっといると信じています。
『彼方の友へ』は、自分にとっても思い出深い作品ですが、やはり「出版界の先輩たちの物語」という気持ちが大きいです。だからこの作品を見ると「私も先輩たちに恥じない仕事をしなくては」と気が引き締まります。これからも、いいものを残していきたいですね。
(2025年6月 都内にて)
著者プロフィール
伊吹有喜(いぶき・ゆき)
三重県出身。尾鷲市生まれ、四日市市育ち。中央大学法学部法律学科卒。1991年に出版社に入社し、雑誌主催のイベント関連業務、雑誌編集部を経て、フリーランスのライターに。
2008年『風待ちのひと』(改題 夏の終わりのトラヴィアータ)でポプラ社小説大賞特別賞を受賞しデビュー。2010年に二作目『四十九日のレシピ』を刊行。同作は2011年にNHKにてドラマ化、2013年に映画化。2014年刊行の『ミッドナイト・バス』は第27回山本周五郎賞候補、第151回直木賞候補に。同作は2018年に映画化。2017年刊行の『カンパニー』は2018年に宝塚歌劇・月組にて舞台化。2021年にNHK BSプレミアムドラマにてドラマ化。同じく2017年刊行の『彼方の友へ』は第158回直木賞候補、第39回吉川英治文学新人賞候補。名古屋の書店を中心にした全国有志の書店員による『乙女の友大賞』受賞。
2020年刊行の『雲を紡ぐ』は第163回直木賞候補。埼玉県の高校図書館司書が選んだ2020年のイチオシ本第一位。第8回高校生直木賞を受賞。同年刊行の『犬がいた季節』は2021年本屋大賞三位、第34回山本周五郎賞候補。このほかに『なでし子物語』、『今はちょっと、ついてないだけ』、『地の星 なでし子物語』、『天の花 なでし子物語』、『BAR追分』シリーズなどがある。

