「人殺シティ」で冴える腕貫探偵の推理 織守きょうや(作家)

日本推理作家協会賞受賞作 『異分子の彼女 腕貫探偵オンライン』作品解説「人殺シティ」で冴える腕貫探偵の推理 織守きょうや(作家)

書評

2025.08.28

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 やたらと殺人の起きる物騒な地方都市、櫃洗市の市内には、たびたび、そんな貼り紙とともに、市民サーヴィス課の臨時出張所が設置される。そこで折り畳み机の向こうに座っている、眼鏡をかけてネクタイを締め、腕貫をした公務員、通称腕貫さんが、市民から持ち込まれる相談を聞いては、不可解な謎を鮮やかに解決していく。本書は、そんな「腕貫探偵シリーズ」の第八作である。
 ここまで読んで、あ、シリーズものなのか、と思った方は安心してほしい。この巻からでも全く問題なく楽しめる。かく言う私も、実は、シリーズものと知らずに本書を手にとった一人だ。一読して「おもしろい!」と感動し、作家仲間に伝えたところ、「何を今さら」というような反応をされてしまった。私もミステリを書く作家のはしくれであるはずなのに、シリーズ累計四十万部を超える大人気シリーズを、どうして今まで知らずにいられたのか、自分でもわからない。さておき、本書を最初に読んで腕貫探偵シリーズのおもしろさを知り、そこからさかのぼってシリーズを第一作から読破した私が保証する。シリーズを追っていない人が本書を読んでも間違いなくおもしろい。各話のミステリとしてのクオリティが高く(表題作は日本推理作家協会賞の短編部門受賞作である)、一冊の連作集として満足度が高いし、本書では腕貫さん以外のレギュラーキャラクターは登場しないため、シリーズの入り口にも最適である。
 最初に述べたとおり、本シリーズの基本の形は、市役所の職員である腕貫さんが、市内に出没する市民サーヴィス課の臨時出張所のブースで相談者から話を聞き、彼らの持ち込んだ謎や事件を解決するという、安楽椅子探偵スタイルのミステリだ。一見無個性な公務員が探偵役として、淡々と事務的に真相を解き明かしていくという意外性と、相談者と読者を思いもかけない真相へと導くロジカルな推理が読みどころだ。しかしそれだけではなく、シリーズが進むごとに、前の事件の関係者が再登場したり、相談者や事件関係者がレギュラーキャラクター化して活躍したり、相談員としてではなく、プライベートでおいしいものを楽しむ休日の腕貫さんのもとへ事件が持ち込まれたりと、バラエティに富んだ展開を見せてくれる。中には、彼を取り巻く人たちが活躍して、腕貫さんはほとんど、あるいはまったく登場しないエピソードもある。同じシリーズでも毎回作風が少しずつ違うのが本シリーズの楽しいところだ。第八巻にあたる本書はどうかというと、作中に世相が反映され、二〇二二年の、新型コロナ禍下の櫃洗市が描かれているのが大きな特徴だ。これまでは、腕貫探偵シリーズではキャラクターたちが年を取らないサザエさん方式が採用されていて、年代が特定されていなかった。しかし本書では、新型コロナ禍下のため、腕貫さんに持ち込まれる相談も、オンラインでのリモート相談なのだ。考えてみれば、腕貫さんほどリモート推理にふさわしい探偵はいない。もともと初対面の相手から話を聞き、その情報だけで推理をするスタイルだから、リモートでも不自由はないし、読んでいて違和感もない。
 相談が対面からリモートになったものの、ミステリの構造としては、相談者と腕貫さんの一対一の対話によって推理が進んでいく基本にたちかえった形になっていて、初期作に近い印象を受ける。ユリエや江梨子といったおなじみのキャラクターが登場しないのは、シリーズのファンとしては淋しいが、そのぶんシリーズ初読の人も入り込みやすいのではないだろうか。既刊と比べても、ミステリとしての純度が高く、傑作と名高い第一巻にも劣らない――と私は思うが、どうだろう。
 ただ、第一巻のころと比べると、腕貫さんの相談者への説明の仕方、対応は、より丁寧になっている気がする。最初期の腕貫さんは、自分は真相がわかっているだろうに相談者には答えを告げず、ヒントだけを与えて、「これを調べてみてください。はい次の方」という、いかにもお役所的な対応だった(そこもまたおもしろかった)のが、本書ではそこまで突き放した感じがしない。コロナ禍下ということも影響しているかもしれないし、ユリエたちとの交流で彼も変わったということかもしれない。

 さて、そろそろ本書の内容についてもう少し具体的に触れようと思う。ネタを割らないよう配慮しているが、先入観なく読みたいという方は★から★★マークのところまで飛ばしてほしい。



 このシリーズでは常のことだが、本書においても、腕貫さんへ持ち込まれる謎はどれも不可解で魅力的だ。複雑に入り組んだ人間関係と絡まり合った謎はいかにも著者らしくて嬉しくなる。一話目にして表題作、「異分子の彼女」の相談者は、旧友が妻を殺したことをニュースで知ったタクシーの運転手だ。被害者は学生時代のマドンナ的存在で、結婚式当日に新郎を殺された過去があった。彼女が旧友と再婚し、後に彼に殺されたと知り、もしや彼女の最初の夫を殺したのも旧友ではないのかとの疑いを抱いて、相談者はリモート相談窓口に赴く……。これが事件にどうつながるのかな、という些細なあれこれが、腕貫さんの推理によって次々とつながって、相談者本人が思ってもみなかったところへたどり着く見事なミステリだが、ラストの恐ろしさは、ある意味ホラーとしても楽しめる。事件自体はシリーズの中では比較的シンプルなのだが、だからこそ、鋭い切れ味に惚れ惚れする。
 第二話の「焼けたトタン屋根の上」で腕貫さんに悩みを打ち明けるのは、世話になっている叔父が殺され、自分の一人息子がその犯人として逮捕されたばかりの女性だ。しかし、メインの謎は、何故息子が叔父を殺したのか、ということよりもっと不可解だ。被害者である叔父自身、実はある女性を殺していて、姪である相談者はそのアリバイ工作に協力させられていた。しかしその偽装工作中に被害者の死体は消え、別の女性の死体が出現したのだった。死体が入れ替わっていた事実を、相談者はまだ警察にも打ち明けられずにいた……。複数の死体と複数の謎が提示され、事件に絡んでくる人物も増えて、物語も推理も、第一話と比べると複雑になってくる。相談者にとっては不可解極まりない事件だが、彼女の思い込みを排すると事件の全体像が見えてくるというのがおもしろい。複数の人間の行動が絡み合って事態をこんがらがった状態にしてしまっているのだが、話を聞いているだけの腕貫さんがそれを解きほぐしていく手つきの鮮やかなこと……。ところで、本作中には腕貫さんがスマホで刑事に連絡して情報を得るシーンが出てくるのだが、この電話の相手はおなじみの水谷川刑事だろうか。名前は出てこなくても、シリーズファンとしてはそわっとしてしまった。
 最後の第三話「そこは彼女が潜む部屋」で描かれるのは、本書に収録された三本の中で最も複雑な事件である。最初に提示される謎は、一見他愛もないものに思える。ある男性が結婚を考えている女性を、叔父から購入した部屋に連れてきたところ、はじめて連れてきたのに、まるで昔そこに住んでいたことがあるかのようにその部屋に慣れた様子だったというものだ。彼女は叔父一家の知り合いだったのか? これだけなら、日常の中の小さな違和感にすぎない。事件性はなさそうに思える――ただ、その部屋が、かつて無理心中事件の起きた部屋であるということを除けば。その部屋で二人が死んだ事件は、本当に無理心中だったのか。かつて、その部屋で何が起きたのか。そして、恋人はどう関わっているのか。相談者の抱いた小さな違和感が、全く関係のなさそうな過去の事件の真相と結びついて、だんだん不穏な背景が見えてくる、その流れが素晴らしい。それにしても、これだけややこしくからまった糸をよく解きほぐせるな、と、腕貫さんにも、著者にも感心しきりだ。
 著者の作品では、何十年も前の出来事と現在の事件が思いがけずつながるということが珍しくなく、本書でも第一話と第三話がそうだ。時間の経過のせいもあって、視点人物が不都合な記憶を忘れていたり封印していたりすることもしばしばあり、語り手といえども油断できない。警戒しながら読んでいても騙されてしまう。それに、これもいつもながらだが、絡まりあった謎の周囲には、いくつもの伏線がちりばめられている。ここが、と具体的に言うとネタバレになるので挙げることはしないが、何気ない小物が重要な役割を果たしたり、相談の中でさらりと語られ、相談者自身はさほど気にしていなかった誰かの行動に事件にかかわるその人物の意図があったりと、細部まで練られていて嬉しくなる。人物造形や小ネタすらも伏線として回収されるプロの技を見せてもらった。

★★

 それにしても、シリーズを読めば読むほど、櫃洗市は治安の悪い町だと感じる。四六時中犯罪が起こり、人が殺され、あちこちに、倫理観ゼロの爛れた関係の男女が溢れ、それが原因でまた事件が起こる。そして殺人犯が事件後しれっと何十年も逃げのびていたりする。文庫版第四巻『必然という名の偶然』の解説を書かれた法月綸太郎さんは櫃洗市を「人殺シティ」と呼んでいたが、言い得て妙である。本書でも、コロナ禍下であっても、櫃洗市はやはり人殺シティだ。それでもこの町が、なんだか魅力的に見えてしまう。きっと、そこに生きている人たちが魅力的だから、何より、腕貫さんがいるからだろう。どれだけ事件が起き、人が死んでも、腕貫さんがいる限り、この町で謎が謎のままで終わることはないのだ。