『寝ても覚めてもアザラシ救助隊』が生まれるまで

日本中を熱狂させた「アザラシ幼稚園」(オランダ)の日本版 「オホーツクとっかりセンター」で働く飼育員のアザラシ愛を込めたエッセイ『寝ても覚めてもアザラシ救助隊』が生まれるまで

インタビュー・対談

2025.10.01

2022年5月に刊行した『寝ても覚めてもアザラシ救助隊』は、「ただ、アザラシのそばにいたい」という一途な想いをもって10年以上保護活動に携わってきた飼育員の岡崎雅子さんの保護奮闘エッセイです。
著者の岡崎雅子さんと担当編集(齋藤)で刊行当時の振り返り、そしてアザラシの魅力について往復書簡しました。



編集 今回、3年前に刊行した『寝ても覚めてもアザラシ救助隊』を岡崎さんと一緒にしみじみと振り返りたいなと思う出来事がありました。
昨年8月にオランダにある通称「アザラシ幼稚園」がSNSで大きな話題を呼んでいました。岡崎さんはご存知でしたか?

岡崎 「アザラシ幼稚園」が話題になっていることは、もちろん知っています。私自身は、オランダにアザラシの保護施設があることは知っていましたが、YouTubeでライブ配信していることは知りませんでした。「アザラシ幼稚園」の影響か、例年であれば閑散期である時期にも、とっかりセンターにたくさんのお客さんがいて驚いた記憶があります。

編集 おお! そうだったんですね。「アザラシ幼稚園」の話題から、日本にも唯一のアザラシ保護施設「オホーツクとっかりセンター」があるということをSNSで紹介してくださる方がたくさんいて、箱推しの身としてもとっても嬉しかったです。あわせて『寝ても覚めてもアザラシ救助隊』を読んで、アザラシのことやとっかりセンターでの保護活動の様子をもっと多くの方に知ってほしいと思い、この往復書簡をはじめました。

岡崎 推しの素晴らしさをたくさんの人に知ってもらえるのは嬉しいですよね。私もぜひぜひ「アザラシ幼稚園」人気にあやかりたいです。よろしくお願いします。

編集 ありがとうございます。さっそく振り返りますが、私がオホーツクとっかりセンターと岡崎さんを知ったのは2017年でした。当時は女性飼育員7名で約30頭のアザラシのお世話と保護活動に日夜励まれていたと思います。
とにかくアザラシ第一でアザラシのことをとても大切に想っている岡崎さんだからこそ、岡崎さんの独自の視点でアザラシの生態やその魅力を丁寧に綴ってもらえると感じていました。そして、そうした岡崎さんのひたむきな想いとともに保護活動の実状を一冊にまとめていただきたいと思いました。
この企画を相談したときには、退職することをすでに考えていらしたんですよね。企画を相談したときの心境を知りたいです。

岡崎 まず、第一に「私でいいのか?」と思ったのが率直な感想です。齋藤さんに声をかけていただけたこと自体はとても嬉しかったのですが、何か功績があるわけでもありませんし、仕事を辞めることは決まっていましたし。ただ、齋藤さんに「それでもかまわない」と言っていただいて、私も10年という節目に、今までやってきたことを形に残せるという嬉しさがありました。また、退職に向けて仕事を引き継いでいく中で、私は先輩方から教わったことを、余すことなく後輩たちに伝えきれているだろうか、先輩方が苦労して繋いできた知見を、私の伝え忘れで途切れさせるわけにはいかないという想いが強くありました。そこで、後輩たちに「困ったらこの本を見て」と言えるマニュアルのようなものを残せたらいいなと考え、執筆を引き受けることにしました。

編集 第2章~第3章の保護活動とリリースまでの流れに関して余すことなく丁寧に綴っていただいているのは、その想いも込められていたわけですね。保護活動やアザラシたちのお世話で日夜目まぐるしい日々を送られている中、岡崎さんはものすごいスピードで原稿を書き上げ、想いの丈をしっかりと綴ってくださいました。はじめてのエッセイでしたが、書いてみていかがでしたか?

岡崎 私はもともとそんなに活字を読むタイプではないので、何をどうやって書き始めればいいのか、全く手探りの状態でした。そんな中、私の拙い文章を齋藤さんやライターの中野さんが、これでもかというくらいに、とにかく褒めて褒めて持ち上げてくださり、なんとか書き上げた感じです。褒めちぎられてノリノリでトレーニングに参加するアザラシになった気分でした(笑)
スピードは……そうですね、お話をお受けした時点で退職日は決まっていたので、「なんとしても退職までに発売まで漕ぎつけなければ!」と必死で書きました。

編集 岡崎さんから届く原稿を拝読するたびに、岡崎さんとアザラシへの興味が深まるばかりで原稿が届くのが楽しみな日々でした。
どの章も、私にとっても思い入れがあるのですが、第1章「私とアザラシとの出会い」の原稿をいただいたときの衝撃を強く覚えています。「アザラシのそばに居たい」という気持ちでまっすぐに道を切り開いてきた岡崎さんにとって、アザラシはもはや「推し」という枠には留まらない領域の存在なんじゃないかと感じていました。人生の岐路に立ったとき、常にアザラシと一緒にいるにはどの選択肢が最善か、といったことを念頭に考えられていたように思うのですが、ご自身でこれまでのあゆみを振り返ってみて、どうでしたか?

岡崎 私は本当に運が良く、周りにも恵まれてここまで来られたなと感じています。特に、やりたいことをやりたいようにやらせてくれた両親と環境には感謝しています。あまり考えずに直感で行動するタイプなので、恥ずかしすぎて思い出したくないような失敗も多々ありますが、今振り返ってみると、どんな経験も無駄ではなかったと思えます。

編集 岡崎さんが学生時代に一人旅で向かったオランダのアザラシ保護施設は、昨年話題となった「アザラシ幼稚園(ピーテルブーレンアザラシセンター)」なのでしょうか? 当時はどのような保護施設でしたか?

岡崎 はい、そのピーテルブーレンアザラシセンターです。当時も変わらず、たくさんのゼニガタアザラシの幼獣たちがわちゃわちゃしていて、微笑ましい光景が至る所で見られました。水中が見えるガラス窓から覗いている人間をアザラシたちが覗きに来たり、プールサイドにある穴に顔を突っ込んで覗いていたり、好奇心旺盛なアザラシの行動は世界共通で、とても可愛らしかったです。遠目ながら、個室のプールも見学でき、スタッフさんが部屋を移動する毎に服(防護具)を着替えていたのが印象的でした。
ピーテルブーレンアザラシセンターにて、ガラス窓越しに水中を泳ぐアザラシとご対面。


編集 第2章はオホーツクとっかりセンターでの保護活動の具体的な流れを紹介いただきました。食べない個体にどう対応するか、など具体的な対策を編み出したエピソードなども印象に残っています。アザラシの保護頭数は当時よりも増えてきているのでしょうか?

岡崎 私が働いていた期間に関しては、もちろん年によって増減はありましたが、平均的な保護頭数自体はそれほど変化がないように感じます。最近も、話を聞く限りでは、あまり変わらないのではないでしょうか。ただ、流氷の量や質が低下しているのは事実と言われていますし、海岸にたどり着く前の個体がどうなっているのかはわかりません。

編集 紋別にお住まいになっていて、流氷が減っている印象など住民としての視点で変化を感じることはありますか?

岡崎 流氷は年によって当たり外れがあります。「今年は少なかったね」と話していた次の年にはたくさんの流氷が来たりするので、年々減っていることをなかなか実感しづらいんです。日本政策金融公庫北見支店さんが毎年作成している「グラフでみる流氷」というポスターを市内で時々見かけるのですが、それを見ると流氷減少が視覚的にわかりやすく、本書の執筆時にもとても参考になりました。北海道オホーツク総合振興局管内を中心に配布されているようなのですが、それ以外の地域の方にもぜひ見てもらいたいポスターです。

編集 体感だけでは図りきれないことがたくさんありますよね。第3章は野生に返すまでの訓練と保護活動の是非について実状を綴っています。常に細部まで自問自答しながら手探りで進めていた活動だったと想像していますが、今、保護活動の現場から離れて感じることや気づきはありましたか?

岡崎 本書の中にも書きましたが、「保護することはいいことなのか」。この答えが今もわかりません。北海道アザラシ管理計画に基づく近年の捕獲頭数を見ても、胸がギュッとなる感覚がありますが、「アザラシ幼稚園」効果でたくさんの人がアザラシに興味を持ってくれている今、とっかりセンターの保護個体たちには、アザラシの魅力を存分に伝えていってほしいと思います。

編集 この本を企画したときからとにかく岡崎さんのアザラシ愛を存分に語っていただく章をつくりたいと思っていました。その愛情が存分に伝わるのは特に第4章だと感じています。アザラシの種ごとにどんな性格の個体が多いかといった分析を語れるのは、アザラシの生態を熟知したうえで飼育者としての冷静な視点とファンとしての大好きな気持ちの両方をバランスよく言語化できる岡崎さんにしかできないことだったと思っています。これほどまでに気持ちが溢れている原稿を読んだのははじめてのことでした。好きなものを語っている人の文章って読み手の心をこんなに弾ませるのか、と感激したことを今でも覚えています。

岡崎 ありがとうございます。第4章の「とっかりセンターの個性的なアザラシたち」のあたりは、かなり暴走気味ですよね(笑)。当時は勢いで書きましたが、今読み返すと、ちょっと恥ずかしいところもあります。
本書の中で紹介したグーグくんの骨格標本には、退職後、無事に会いに行けたのですが、実は、読者の方がこの骨格標本をグーグくんだと認識してポストしているのをXで目にしたんです。亡くなった子のお話は、読者の方を暗い気分にさせてしまうのではないかと心配していましたが、こんな風に読者の心の中にもグーグくんの思い出が残ってくれるんだと、心から書いてよかったと嬉しくなりました。
とっかりセンターの初代ボス的アザラシのグーグくん。第4章ではグーグくんはじめ特に印象に残っている個体を紹介している。


骨格標本となったグーグくんとの再会。


グーグくんの骨格標本。「歯がグーちゃんのポイント」と話してくれる岡崎さんの愛ある視点が健在で嬉しい。


編集 骨格標本のグーグくんと無事に再会を果たせていてよかったです。そうして骨格標本となった個体の背景を読者の方が知って、会いに行ってくださることはとても嬉しいことですね。岡崎さんは退職してから3年半が経とうとしていますが、アザラシとの向き合い方に変化は出てきましたか?

岡崎 アザラシ好きは変わりませんね。旅行といえば水族館や動物園に行ってしまいます。とっかりセンターの子たちについては、「うちの子」から「よその子」になったという感覚です。夏になると、とっかりセンターのアザラシたち、特に女の子たちは体に苔が生えてしまうのですが、苔の生えた後ろ姿では、よくよく見ないと個体識別できなくなってしまいました。少し悲しいです。

編集 餌がもらえなくなるとアザラシたちの反応も変わってくるんですかね? そして、とっかりセンターでは、男の子たちには苔があまり生えないのですか?

岡崎 基本的には成獣になると、餌のバケツを持っていない人間に用はありませんから(笑)。それで言うと、ゴマフアザラシたちよりもワモンアザラシのようちゃんやかつのりくんの方が、しばらく餌を与えていない私の声にも少しは反応してくれ(…ている気が…し)ます。
苔については、飼育プールの日当たりや海水の循環、清掃の方法や頻度なども関係していると思いますが、とっかりセンターでは圧倒的にメスのプールにいるアザラシたちに生えやすいです。ただ、ナオミちゃんは毎年あまり苔が生えず、ほかのメスたちが苔だらけの真っ黒い顔をしていても、一頭だけきれいな顔で澄ましています。泳ぐスピードなども、苔の生えやすさに関係があるのかもしれません。
苔が生えたキテちゃん(毛は乾いている)。目の周りが苔によって黒くなっている。


換毛後の苔が生えていないキテちゃん(水に入って毛は濡れている)。パンダのような目の周りの黒色はなくなっている。


編集 そうなんですね! 苔の生え方とか個体ごとに違ってくると、訪れる時期でいろんな顔や姿を楽しめそうで、やっぱり年中通いたくなりますね(笑)。
岡崎さんは現在もとっかりセンターには通われているんですよね? どの子も大好きだと思いますが、最近注目している個体がいたらぜひ魅力もあわせて知りたいです!

岡崎 やっぱり月ちゃんですね! 姿も、鳴き声も、魚が欲しくて必死にアピールするいじらしい感じも、すべて抜群に可愛いです。あと、顔がようちゃんにそっくり過ぎます。今はようちゃんと体の大きさが違うので見分けられますが、月ちゃんが大きくなったら見分けがつかなくなる自信があります(笑)。
岡崎さんイチ推しのワモンアザラシの月ちゃん。


左が月ちゃん。右はゴマフアザラシのソルくん。


月ちゃんのお母さん・ようちゃん。比べて見ると、月ちゃんと顔がそっくり!


編集 私はようちゃんの麗しい姿が大好きなのですが、月ちゃんもその美貌を引き継いでいますね……! 実際の月ちゃんに会いに行きたくなりました。
岡崎さんの今後の展望はありますか?

岡崎 今は、特定非営利法人ストランディングネットワーク北海道主催「北海道くじら講座」(10月19日開催、北海道立オホーツク流氷科学センター)での講演依頼をいただいていて、その準備をしています。人前でお話をするのは本当に久しぶりで、在職時に「えさの時間」でやっていたように、困っても頼れるアザラシもおらず……今から緊張しています。
今後もとっかりセンターに通ってアザラシを愛でながら、いただけるお仕事があれば挑戦していきたいと思っています。

編集 とっても楽しみです!岡崎さんのお話が聴ける機会は貴重なので、アザラシに興味がある方、アザラシ好きな皆さんにはぜひお聴きいただきたいイベントです。これからも岡崎さんにしか語れないアザラシの魅力をどんどん発信していってもらいたいです。
『寝ても覚めてもアザラシ救助隊』は、日本で唯一のアザラシ保護施設での保護活動から海へとリリースするまでのお世話、さらにはアザラシ愛の溢れる岡崎さんによる個体の紹介から各種ごとのアザラシの特徴まで網羅した、これまでにないアザラシ本です。引き続き多くの方のお手にとっていただけましたら幸いです。