池澤夏樹×小川糸 特別対談 土に触れる幸せ、都会が失った感覚

『母なる自然のおっぱい』復刊記念池澤夏樹×小川糸 特別対談 土に触れる幸せ、都会が失った感覚

インタビュー・対談

2025.11.26

安曇野に暮らす池澤夏樹さんと、同じく信州で日々土に触れ風の音を聴く小川糸さん。池澤夏樹さん『母なる自然のおっぱい』(2025年4月)の刊行を記念して、お二人の初対面が実現しました。夜の暗さや静けさ、季節の呼吸、動物たちとの距離に耳を澄ましながら、加速する社会の中で「木を降りる」勇気、そして自然と共に生きる具体的な作法とは。土に触れる幸福、暮らしの不安、共存をめぐる葛藤まで――都市の便利さに慣れた私たちが何を取り戻せるのかを、足元の風景から問い直します。(構成/田之上信、編集/村嶋章紀、撮影/国見幸樹)


――小川さんと池澤さんは、お会いされるのは初めてだそうですね。

小川 初めてです。本当にありがとうございます。

池澤 こちらこそありがとうございます。

小川 このたび復刊された池澤さんのご著書『母なる自然のおっぱい』を拝読して、とにかく衝撃を受けました。30年前に書かれたものなのに全く時間が経っていないというか、今を書かれた文章のようにすごく新鮮に、リアルタイムに入ってくるので、この30年間という時間、私たちは何をしてたんだろうっていう(笑)

池澤 なんか理屈っぽい本で。

小川 いえいえ。たとえば、人間は地球上であまりにも強い力を持つ動物になってしまい、その自分たちの力にむしろ不安を抱いていると書かれています。瀬戸物屋に入り込んだ象のように見動きが取れなくなっているって表現が、まさにそうだなと思って。自分の体の大きさと力を持て余しちゃったというか。それで身動きが逆に取れなくなっているのは今なんだな。その今っていうのは30年前のことですが、本当に今の感覚で理解できます。それがすごいなって思います。

池澤 確かに自然と人間の関係がこんなふうになってしまって、その流れは今でも変わってないなと思います。

小川 そう、全く変わってない。その向かっているベクトルが全然ズレていないというか、そのままただ進んできただけなんだなっていうのが、なんか恐ろしくもあります。

池澤 そうですね。むしろどんどん加速している。


――小川さんのその感覚は、『母なる自然のおっぱい』の内容とすごくつながる気がします。

小川 そうなんですよ。私もここに住んで、植物ってこんなにも偉大な存在なんだとすごくよくわかって。それこそちょっと前ぐらいから風が吹いた時に音が違う。カサカサという。その前はもっと柔らかいふわっとした音だったんですけど、だんだん葉っぱが成長して硬い、硬質な音にもうはっきり変わる瞬間があって。それで夏が来たなって思うんですけど。そういうこととかを感じられるようになったのが、すごくよかったなと思います。

池澤 植物が全然違うなぁと思っていました。

小川 ここはゴールデンウィーク明けぐらいにならないと新緑が出てこないんです。だから冬は長くて、ずっとだらだらと寒くて。やっと5月に入って新緑が芽吹いてきて、景色が全く変わって、でももう昨日あたりは葉っぱが黄色くなり始めている。8月に入ると落とし始める。だから、自然がゆっくりしているなんてことは全然なくて。本当にある時は、1日の中で景色が違うくらいダイナミックに姿形を変えて、ある面ではすごい早いというか、すごくせっかちに感じる。

池澤 僕は散歩がとても楽しくてね。次々に変わるのが見られるから。今ね、クモが元気になってきて、あちこちに巣をつくって、散歩の途中、表の道へ出るまでの細いところでは、糸をちょっと切っちゃうので、「ゴメン」とか言って。小さな巣でも、ちゃんと何かがかかってるのね。あ、よかったねって。どっちかというと、食べられるほうより、食べるクモのほうの味方だから(笑)。

小川 あははは。でも、そういう命とかの動きって、こんなふうに常に変わって生きているんだなというのは、都会にいると忘れてしまうというか、全く気づかず過ごしてしまう。

池澤 そう、視野に入ってこないでしょ。

小川 はい。もう私は東京が遠くなってしまったんですけども、びっくりしましたね。当たり前で、自分自身が自然なんですよ。でも、都会に身を置いて、それが当たり前になってしまったら、逆にこういう自然の本来ある姿が非現実的に感じる。

ここに来て、お客さんが泊まったりすると、まず驚くことが夜の暗さと静けさ、それがびっくりするみたいで。確かに私もここに住み始めて、最初の頃は夜が暗すぎて、ちょっと外に出るのも怖かったんですけど、でもこれが本来の暗さだし、静けさだし、今はそれがないと落ち着かないですけど。それだけ都会は夜の光にあふれて、音にもあふれて、いろんなものを失っているんだなと感じますね。

池澤 さっき鹿を見かけました。


小川 ここでは大きな敷地を丸ごとフェンスで囲ってあるんですよ。鹿を追い出して囲ったとこの地域の方が言っていたんですけど、全部を追い出せるわけはなく、囲いの中で繁殖して数が増えて、それで植物が食べられている。だからみんなが個別に自分の敷地内を囲ってるんですよ、鹿が入って来ないように。ネットを張ったり。その中では植物は確かに育つんです。私は囲いたくないので、鹿が嫌いな植物をいっぱい植えたんです。

池澤 うちの方だと、真剣に作物をつくってる人がいる。相当広いリンゴ園があって、囲っている。それはね、サルが食べる。

小川 農家さんは生活がありますからね。熊はどうですか?

池澤 熊は目撃情報があります。隣町でこの間死亡事故があったし、毎日念のため熊情報をチェックするぐらいの警戒はするし、散歩は熊鈴をつけてます。

小川 熊は本当に大変ですよね。熊はこの辺りではいないんです。だいぶ離れたところには出始めているんですけど、熊は基本、山を越えてこれないので、いないと言われています。

池澤 熊がいるのは、ある意味で、僕はいいことだと思うけど、ただ実際にケガをした方なんかはね。ケガのことも考えると、なかなか難しい話で。確かに熊はかわいいけど、仕方なく駆除すると、全く無関係な場所の人たちがかわいそうって言うんですよ。

小川 難しいですよね。熊のことはいろいろな意見があるので、うかつには言えない。でも、よくわかんないですよね、大きな声で意見を通そうとするのは。熊だからダメという不思議な論理が。

池澤 市街地まで来ちゃったらもう仕方がないんだけれどもね。

小川 ただ、駆除するだけでは解決しないと思いますし、人が犠牲になるのをじっと見てるだけでもダメだし。本当に答えが出ないというか。

池澤 でも、考えることはできるし、議論することもできるし、やり方を工夫して新しい方法で距離を保つということ、そっちのほうに進むことができる。

小川 共存していけたらいいなっていうのはすごく思います。


――小川さんの本に、人間が土に触れることで、幸せホルモンとも呼ばれるオキシトシンが分泌されるって書かれていますね。

小川 そうなんですよ。オキシトシンって、犬を触ったりとか、恋人どうしが抱き合ったりとか、それで愛情ホルモンが出て幸せを感じる。それが地面に触れてても、同じようにオキシトシンが出る。同じ効果があるのがわかるんですよ。草むしりをすごい夢中になってやっちゃうと止まらなくなるんですけど、それは本当に幸せすぎて、ずっとただ草むしりをしてるだけ。土に触れてるだけなんですけど、そこで幸せに満たされるみたい。


池澤 土は確かにありますね。あの冷やっとした感じと、においと。

小川 香り。ほんと母なる大地ってまさにそうだなと思います。私たちみんなが地面から生まれてきたのだし、地面の力をいただいて生きてるんだとしみじみと感じています。実際に土に触れると本当にそうなんだなっていうのを実感します。私が庭仕事でやってることなんておままごとの延長なんですけど、でもそれはすごく大事だし、幸せに結びついている。都会にいると、それすらできないとか、土すらないみたいな。

だから、ちょっと心が傷ついたりとかしても、自然の中に身を置くと、それがすごくリセットされる。そういう自然治癒力というか、本来の元の姿に戻してくれるような、なんか懐の広さみたいな感じ。そういうところに、すがっていかないと生きていけないんじゃないですかね。自然から完全に離れてしまうと、体調面だったり、心理的な面でもバランスを崩すというのは、ある意味では当然のことなのかなっていう気はします。

池澤 いい地面に横になって、大の字になって、ボーっとして、死ぬことの恐怖を中和するんじゃないかと。このままこれでいなくなってもいいのかもしれないと。

小川 そうですね。いや、そう思います。そうやって死ねたらいいなって思うんです。

池澤 それは地面の力です。

小川 そうしたらまた土に還っていき、そのまま自然に還る。私は十数年前にモンゴルに行ったんですが、モンゴルでは鳥葬という、人が亡くなると、鳥がきて死体を食べて、それで自然に還っていくという文化があるんです。ずっと続いてたんですけど、その十数年前の時に、最近は人間が添加物とかいっぱい食べてるから、鳥すらも死体を食べなくなって、ずっと死体が置きっぱなしになっているっていう話を聞いて。なんか自然にすら、もう還してもらえないんだというので、すごくショックで、すごい悲しいなぁと思って。

日本でも、火葬してもなかなか燃え尽きないみたいな話を聞くと、怖いですよね。人間が自然の産物ではなくなっているという。

池澤 昔、ミッドウェーに行ったことがあるんです。あそこはアホウドリの天国で、海鳥がたくさんいる。たまたま死がいを見つけたんです。何かの理由で死ぬのはそれでいい。そのまま朽ちて、乾いて。ただ、その崩れた体の胃のあたりに、プラスチックがいっぱいあった。あれだけ食べちゃったんだと、なんかあからさまにそれを見た気がしてね。

小川 本当に気の毒ですね。どうしたらいいんでしょうと思います。

池澤 本当にそういう困った事態になっているのはわかるんですけど、答えはない。小さい時から学ぶしかないけど、それも気休めかもしれない。ただ、何が起こっているか、まず認識しないと。もどかしいのね、それしか言えないのはさ。


――何が問題なのでしょうか。

池澤 人間。あとはこの資本主義のあり方ね。経済成長でおカネをグルグル回す社会が過熱していて、それも右肩上がりということになって。

小川 ありえないと思うんですけどね。永遠に右肩上がりなんて。そこを目指すところがまず不自然ですよね。

池澤 でも、そうしないと社会は回っていかないって言われてしまう。だから本にも書いたけど、木の上の方に行けばいいものがあって、どんどん木を登って、そのうち幹から枝に移って、もっと先があって小枝になって、で、気がついたら地面がずっと下だし、降り方がわからない。で、木は折れるかもしれないけど、どうする? って。でも、降りないですよね。まだ先に行こうとしている。

小川 木を降りる勇気ですよね。

池澤 そう。

小川 本当にもう降りなきゃと気づいた人から降りないと、折れますよね。『母なる自然のおっぱい』の「樹木論」にこう書かれています。「言ってみれば、存在の責任は樹木たちが担ってくれるのだ。われわれ動物たちはそれにすべてを任せて、ついでに生まれた者として遊びくらせばいい」と。ああ、そうだなと思います。植物の言うことをただずっと聞いて、その下にいれば間違いは起きないのになと思いますね。

池澤 木の実が上から降ってくると、それでいいと。

小川 そう思いますね。異常だと思うのは、もうあっちこっちからのモノを買いなさい攻撃です。あなたの生活は満たされてないから、これが足りないから、もっとこっちの方がいい、なんかブロイラーのように無理やり餌を食べさせられているのに慣れているような感覚が、異常なのに異常じゃないっていうか、当たり前に思わされている。それが怖いなと思いますね。

このまま行ったらみんな共倒れというか、このままじゃダメってみんな思っているのに、そのまま行くのがなんかすごいというか。


――小川さんは、ある意味そこから抜け出したということですか?

小川 そうですね、私はもう都会は無理だなと。仕事のことなどがあって都会でしか生きられない人たちはいると思うんですけど、なんとなくわけもなく都会に住んでるんだったら、別の生き方もあるというか、別に暮らす場所もあるっていうのは、みんなが考えていいんじゃないかなって思います。コロナでいろんな仕事の仕方が出てきて、それはよかった。生き方を変える機会になるんじゃないかなと。

池澤 僕もそうだったけど、田舎に来て暮らしが立てられるのはやっぱり運のよさがある。みんな、自分にとってできる形でできるところから、それぞれのやり方がなんか見つかるかもしれない。

小川 実際にこういうところに住んでみれば、ここにも住んでる人たちはたくさんいるし、いろんな人の暮らしがあって、ちゃんと生きていけるので、そういうことを伝えられたらいいなとは思います。

池澤 松本あたりで若いアーティストが小さなギャラリーをつくってお店出したり、工夫して、そんなに儲かりはしないけど、一定の生活ができる形を模索している。

小川 いいですね。私、松本はすごく好きです。そういうことを本当に地道にでも続けて、ちゃんと自分たちの生活も楽しみつつ、仕事もあって、そのバランスがうまくいってる人たちが先頭に立ってというか、道を開いていくといいなと思います。

池澤 うまくいっている事例が増えれば、影響力も出てくる。

小川 本当にそう思います。