特別公開エッセイ岩崎う大『家族コント』発売記念「父としての自覚」
作品紹介
2025.11.20
子どもたちから「うだい」と呼ばれ、自他ともに認める「家族バカ」な創作の鬼才・岩崎う大。
“うちもそうだ”と共感してもらえること間違いなしの、笑いと涙の家族愛溢れるエッセイ『家族コント』を上梓した。
これを記念して、本書に収録しているエッセイ1本を特別公開いたします!
いわゆる「父としての自覚」というものは、いつ生まれるものなのだろう?
僕の場合、長男が誕生して一週間後に家にやって来ても、「父としての自覚」というものは湧いてこなかった。
結論から言うと、今、「父としての自覚」があるかというと……ない。
ないのだ。
とんでもない野郎だな、と思わずに僕の話に少し付き合ってほしい。
誤解していただきたくないのは、長男が家に来たその日から、長男への愛は、彼が小学校高学年になるまで日々大きくなっていった。昨日よりも今日、今日よりも明日、という具合だ。なんでこの子はこんなにかわいいんだろう? もしかして僕に父親の素質が備わっていないから神様が僕に子育てを継続できるように特別にかわいい子供を授けてくれたのかもしれない、とさえ思った。
またまた、誤解してほしくないのだが、もちろん大きくなって男臭くなった長男を今も愛している。しかし、それは前までの愛とはちょっと違う。良い言い方をすると、もっと個人として彼を尊重している。前までの愛し方を、今の彼に対してしてもきっとうっとうしいと感じるはずだ。今は愛の粘度がもうちょっとライトになっているような感じとでも言おうか。
話を戻すと、「父としての自覚」というものは「常にあるものではない」と思っている。だから、今この文章を書いてる、この瞬間にはない。もっとふとしたときに現れるものだ。ちょっと考えると当たり前のことだと気付く。
一人の男が、「私は常に『父としての自覚』を持っている」と言っていたらどうだろう?
「もっと自分のこと頑張れよ」と思わないだろうか?
それでも、たまに「父としての自覚」に目覚めるときがある。しかし、それは意外に情けない感覚であったりするのだった。
僕が初めて自分の中に「父としての自覚」を感じたのは、というより感じさせられたのは、長男が三歳の頃だ。当時の僕は、相変わらず「父としての自覚」というものはわからないけど、彼がかわいいから大切に育てていた。その日、いつものように保育園のお迎えに行った。
「パパ〜」と駆け寄ってくる息子。
「お父さんお迎えでうれしいね〜」と笑う保育士さん。
天気のいい日だった。眩しい日差しがよく似合う息子。
走ってくる息子の勢いを利用して彼を抱き上げる僕。
そのとき、僕は「あ! 俺は今、こいつの人生の脇役だ!」と強烈に自覚した。
そして、これが「父としての自覚」なのだと悟った。
自分が子供の人生の脇役になること。
「父としての自覚」なんていう大層な響きのソレの正体は、そんなもんだった。
いや、そもそも「父としての自覚」の正体は人によって違うのかもしれない。いくら鏡に向き合っても見つけることのできない、自分の内なる自分を発見する瞬間、それが子供を通した体験ならそいつが「父としての自覚」と呼べるものなのかもしれない。
では、なぜそんな「父としての自覚」などという、曖昧な、大袈裟さに言えば新米パパを苦しめる呪いのような言葉が存在するのか。
子育てに、明確な正解はない。それは、親も子供も千差万別だからで、正解のない旅をするのに、大して使えないがお守りのように存在する呪文が「父としての自覚」なのではないだろうか。
「父としての自覚」
男たちは、そんな言葉を胸に、「父親」の真似事をしていくのだ。
その数々は、自分が父にしてもらったことかもしれないし、してもらえなかったことかもしれない。
長男が保育園時代に、好きな女の子(仮名ヒカリ)に「大きくなったらヒカリちゃんと結婚する」と告白したことがあった。それは突然の出来事で、朝、彼を送って、教室に入れた直後に起きたことだった。
「え? 無理……」と、ヒカリちゃんは少し怒ったような顔をした。
長男の初告白が見事に玉砕する瞬間を目撃してしまった。途端に彼は、その場で顔を真っ赤にして泣きだした。
当時、仕事がなかった新米パパの僕は、その日の夕方、長男を連れて丘のある公園に行った。丘からは想定したようには夕日が見えなかったが、僕は長男に「パパは、『好きだ』っていう気持ちをちゃんと言えたのが、カッコいいと思ったよ」と伝えた。しかし、肝心な長男の表情を憶えていない。こっちは「父としての自覚」に操られて、それどころではなかったのかもしれないし、期待していたより長男に響いてなくて、記憶から消したのかもしれない。
代わりに、よく憶えているのは、その夜家族三人で食卓を囲みながら、「ママにあの話してあげたら」と長男に話を振ったときのことだ。もちろん、事前に彼には「ママにも教えてあげたら? きっと上手に慰めてくれるよ」と話をしていて、「そうだね」と了承を得ていた。
長男は、「あーそうそう」と照れくさそうに話を始めた。けれどすぐに「パパ、説明して。オレ泣いちゃうよ」と言った。このときの彼の表情は、照れながらも、とっても本音の情けない部分をさらけ出したチャーミングなものだった。
大人になってもこんな表情ができるヤツになってほしいなあ、としみじみ思った。
時は流れ、先日、中学三年になった長男のバスケ部の引退試合を観に行った際に、「父としての自覚」を試されることになった。
もともと文系の部活に入っていたが、「やっぱりスポーツやりたい」と言って、自ら先生方に交渉して一年生の終わりにバスケ部に編入した彼は、僕に似て運動神経がよくない。もちろん補欠だ。コロナの影響もあって、父母が試合を観に行ける初めての機会だった。チームが大差で負けている後半の後半に息子がコートに出てきた。緊張しているのだろう。顔が暗い。
記憶が蘇る。僕が少年野球で補欠だったときも、両親がたまに試合を観に来ていた。補欠の息子を応援しに来てる両親を勝手に気の毒な存在だと感じ申し訳なく思っていたし、単純にダサい自分を見られたくなくて「来ないでくれよ」と思っていた。しかし、親の立場になってみるとあのときの二人の気持ちがよくわかった。「息子があんまり見たことない環境で動いてるのが見られるだけでいい」のだ。そして、はなから活躍を期待してはいない。怪我をしない程度に、ズッコケてもらっても構わないぐらいの楽しいイベントとしか見ていないのだ。
僕は息子の気持ちがわかったので、「まずは元気出せ〜!」と、長男の名を叫んだ。周りの保護者に少し、ウケた。息子よ、気負う必要はない。楽しくいけばいいのだ。こっちは、どんな姿のお前だって受け止める自信がある。
息子はほとんどボールに絡めず、コートを往復しているうちに試合は終わった。もちろん、僕たち夫婦はそんな息子の姿が観られただけで大満足だった。
息子は、家に帰ってくるなり「ありがとう! あの一言で、緊張が吹っ切れたよ!」とは、言ってくれなかった。
「マジで、あの瞬間、走って行ってボコボコにぶん殴ってやろうかと思った。あんな父親いないから!」と、本気でキレていた。
十五年間父親をやり、中堅パパ気取りで余裕をこいていた僕からは「父としての自覚」が抜け落ちていたのかもしれない。
“うちもそうだ”と共感してもらえること間違いなしの、笑いと涙の家族愛溢れるエッセイ『家族コント』を上梓した。
これを記念して、本書に収録しているエッセイ1本を特別公開いたします!
いわゆる「父としての自覚」というものは、いつ生まれるものなのだろう?
僕の場合、長男が誕生して一週間後に家にやって来ても、「父としての自覚」というものは湧いてこなかった。
結論から言うと、今、「父としての自覚」があるかというと……ない。
ないのだ。
とんでもない野郎だな、と思わずに僕の話に少し付き合ってほしい。
誤解していただきたくないのは、長男が家に来たその日から、長男への愛は、彼が小学校高学年になるまで日々大きくなっていった。昨日よりも今日、今日よりも明日、という具合だ。なんでこの子はこんなにかわいいんだろう? もしかして僕に父親の素質が備わっていないから神様が僕に子育てを継続できるように特別にかわいい子供を授けてくれたのかもしれない、とさえ思った。
またまた、誤解してほしくないのだが、もちろん大きくなって男臭くなった長男を今も愛している。しかし、それは前までの愛とはちょっと違う。良い言い方をすると、もっと個人として彼を尊重している。前までの愛し方を、今の彼に対してしてもきっとうっとうしいと感じるはずだ。今は愛の粘度がもうちょっとライトになっているような感じとでも言おうか。
話を戻すと、「父としての自覚」というものは「常にあるものではない」と思っている。だから、今この文章を書いてる、この瞬間にはない。もっとふとしたときに現れるものだ。ちょっと考えると当たり前のことだと気付く。
一人の男が、「私は常に『父としての自覚』を持っている」と言っていたらどうだろう?
「もっと自分のこと頑張れよ」と思わないだろうか?
それでも、たまに「父としての自覚」に目覚めるときがある。しかし、それは意外に情けない感覚であったりするのだった。
僕が初めて自分の中に「父としての自覚」を感じたのは、というより感じさせられたのは、長男が三歳の頃だ。当時の僕は、相変わらず「父としての自覚」というものはわからないけど、彼がかわいいから大切に育てていた。その日、いつものように保育園のお迎えに行った。
「パパ〜」と駆け寄ってくる息子。
「お父さんお迎えでうれしいね〜」と笑う保育士さん。
天気のいい日だった。眩しい日差しがよく似合う息子。
走ってくる息子の勢いを利用して彼を抱き上げる僕。
そのとき、僕は「あ! 俺は今、こいつの人生の脇役だ!」と強烈に自覚した。
そして、これが「父としての自覚」なのだと悟った。
自分が子供の人生の脇役になること。
「父としての自覚」なんていう大層な響きのソレの正体は、そんなもんだった。
いや、そもそも「父としての自覚」の正体は人によって違うのかもしれない。いくら鏡に向き合っても見つけることのできない、自分の内なる自分を発見する瞬間、それが子供を通した体験ならそいつが「父としての自覚」と呼べるものなのかもしれない。
では、なぜそんな「父としての自覚」などという、曖昧な、大袈裟さに言えば新米パパを苦しめる呪いのような言葉が存在するのか。
子育てに、明確な正解はない。それは、親も子供も千差万別だからで、正解のない旅をするのに、大して使えないがお守りのように存在する呪文が「父としての自覚」なのではないだろうか。
「父としての自覚」
男たちは、そんな言葉を胸に、「父親」の真似事をしていくのだ。
その数々は、自分が父にしてもらったことかもしれないし、してもらえなかったことかもしれない。
長男が保育園時代に、好きな女の子(仮名ヒカリ)に「大きくなったらヒカリちゃんと結婚する」と告白したことがあった。それは突然の出来事で、朝、彼を送って、教室に入れた直後に起きたことだった。
「え? 無理……」と、ヒカリちゃんは少し怒ったような顔をした。
長男の初告白が見事に玉砕する瞬間を目撃してしまった。途端に彼は、その場で顔を真っ赤にして泣きだした。
当時、仕事がなかった新米パパの僕は、その日の夕方、長男を連れて丘のある公園に行った。丘からは想定したようには夕日が見えなかったが、僕は長男に「パパは、『好きだ』っていう気持ちをちゃんと言えたのが、カッコいいと思ったよ」と伝えた。しかし、肝心な長男の表情を憶えていない。こっちは「父としての自覚」に操られて、それどころではなかったのかもしれないし、期待していたより長男に響いてなくて、記憶から消したのかもしれない。
代わりに、よく憶えているのは、その夜家族三人で食卓を囲みながら、「ママにあの話してあげたら」と長男に話を振ったときのことだ。もちろん、事前に彼には「ママにも教えてあげたら? きっと上手に慰めてくれるよ」と話をしていて、「そうだね」と了承を得ていた。
長男は、「あーそうそう」と照れくさそうに話を始めた。けれどすぐに「パパ、説明して。オレ泣いちゃうよ」と言った。このときの彼の表情は、照れながらも、とっても本音の情けない部分をさらけ出したチャーミングなものだった。
大人になってもこんな表情ができるヤツになってほしいなあ、としみじみ思った。
時は流れ、先日、中学三年になった長男のバスケ部の引退試合を観に行った際に、「父としての自覚」を試されることになった。
もともと文系の部活に入っていたが、「やっぱりスポーツやりたい」と言って、自ら先生方に交渉して一年生の終わりにバスケ部に編入した彼は、僕に似て運動神経がよくない。もちろん補欠だ。コロナの影響もあって、父母が試合を観に行ける初めての機会だった。チームが大差で負けている後半の後半に息子がコートに出てきた。緊張しているのだろう。顔が暗い。
記憶が蘇る。僕が少年野球で補欠だったときも、両親がたまに試合を観に来ていた。補欠の息子を応援しに来てる両親を勝手に気の毒な存在だと感じ申し訳なく思っていたし、単純にダサい自分を見られたくなくて「来ないでくれよ」と思っていた。しかし、親の立場になってみるとあのときの二人の気持ちがよくわかった。「息子があんまり見たことない環境で動いてるのが見られるだけでいい」のだ。そして、はなから活躍を期待してはいない。怪我をしない程度に、ズッコケてもらっても構わないぐらいの楽しいイベントとしか見ていないのだ。
僕は息子の気持ちがわかったので、「まずは元気出せ〜!」と、長男の名を叫んだ。周りの保護者に少し、ウケた。息子よ、気負う必要はない。楽しくいけばいいのだ。こっちは、どんな姿のお前だって受け止める自信がある。
息子はほとんどボールに絡めず、コートを往復しているうちに試合は終わった。もちろん、僕たち夫婦はそんな息子の姿が観られただけで大満足だった。
息子は、家に帰ってくるなり「ありがとう! あの一言で、緊張が吹っ切れたよ!」とは、言ってくれなかった。
「マジで、あの瞬間、走って行ってボコボコにぶん殴ってやろうかと思った。あんな父親いないから!」と、本気でキレていた。
十五年間父親をやり、中堅パパ気取りで余裕をこいていた僕からは「父としての自覚」が抜け落ちていたのかもしれない。

