『不埒なり利家 豊臣天下事件帖』刊行記念エッセイ秀吉の時代の魔力 谷津矢車
自作解説
2025.12.09
あけっぴろげには話していないことなのですが、当方、織豊政権期、ことに豊臣秀吉の時代に並々ならない興味があります。歴史クラスタ的な興味ではなく、物語を書く人間として、なんとなく気になっているのです。……えっ、その割にお前、戦国期の小説を書いてないじゃないか、ですって? 確かにわたしは江戸時代に強い作家とされておりますし、最近では近代物もイケるようだと囁かれているようではあるのですが、ざっと挙げるだけでも、「狩野永徳」シリーズ(徳間書店)、『桔梗の旗』(潮出版社)、『絵ことば又兵衛』(文藝春秋)などなど織豊政権期を扱った小説がありますし、中には『曽呂利』(実業之日本社)のように、真っ正面から豊臣政権期を扱った小説もあります。数えてはいませんが、江戸期の小説の次くらいに多いはずです。
豊臣秀吉といえば、決して高くはない身分を振り出しに太閤にまで登った天下人で、伊藤博文や田中角栄の渾名である「今太閤」の元ネタとなった人です、という説明すら不要なほどの有名人です。昔は立身出世の象徴として庶民に愛されてもいたようですね。
けれどわたしはひねた考えをする人間ですもので、ついついこんなことを思ってしまいます。
秀吉と同時代を生きた人間は、さぞ辛かろうなあ、と。
戦国時代は俗に下剋上の時代などと称します。秀吉は斎藤道三などと並び、下剋上の時代を体現する人物といえます。しかしながら、素人目には、あまりにも極端が過ぎる経歴な気もします。三英傑のうち、織田信長も徳川家康も、それなりに地盤を持った一族の出身です。例に出た斎藤道三も、最近では何世代かかけて城持ち大名に登ったという説が有力らしいですね。それに対し、秀吉は貧弱な地盤から一代で成り上がっています。秀吉は紛う方なく、秩序の破壊者であったはずです。と、いうことは、です。秀吉によって、秩序が破壊された――人生が変わってしまった人も、結構多いのではないでしょうか。そこに人間ドラマの匂いがしますし、また、良くも悪くも秩序が失われつつある現代にとっても興味深い時代なんじゃあるまいか、そんなことを思う次第なのであります。
今回上梓した『不埒なり利家 豊臣天下事件帖』も、まさにそんな興味から誕生しています。秀吉というあまりにも巨大な重力圏に存在する有名人……というと、前田利家はぱっと思い浮かぶ人物の一人でしょう。
織田家に仕えていた尾張の豪族出身で、信長の台頭とともに近臣として出世、ついには畿内を押さえた信長の下で、一方面軍のナンバーツーにまで登り詰めます。このままでも幸せな生涯が待っていたことでしょうが、その後、信長は明智光秀に討たれ、秀吉の天下がやってきます。一時は秀吉と緊張関係にあったものの、やがて臣下に降り、ついには秀吉の下でナンバーツーにまで登り詰めます。
一方、信長が存命であった頃から、秀吉と利家は仲が良かったようではあります。どこまで史実なのかは存じませんが、創作物などでは若輩者の時分から二人は誼を通じており、悪友のように描かれたものもありますね。「おれとその方の関係」などと述べた秀吉が、利家を特別扱いしていたなんて話もあります。
秀吉サイドから見れば良き友人なのかもしれません。しかし利家は自身の急転直下の人生、天下人秀吉をどう思っているのだろう、というのは、本作を考えるにあたり、わたしが最初に取っかかりにした疑問でした。
他にも、構想の取っかかりにした人々がいます。織田秀信(本作では三郎)とその臣下です。織田秀信は信長の嫡孫で、清洲会議の際には織田家の家督相続者と認定されました(清洲会議の際、信長の孫、三法師を秀吉が抱き抱え、会議の参加者を黙らせた、という光景がよく創作物で描かれますが、この三法師がのちの秀信です)。しかし、一時は政治上の理由で家督を取り上げられ、また様々な事情から返還されます(詳しくは本書を手に取ってくださいね)。秀吉政権下で上から数えた方が早い出世を遂げているとはいえ、秀信や秀信の家臣も、豊臣秀吉の重力に翻弄された人生だったといえるでしょう。
結局のところ、拙作『不埒なり利家』は、秀吉の下で特にしんどそうに見える二人を近くに配してみて何が起こるのかを試してみた、多分にフィクション色の強い作です。時代ミステリのような雰囲気になったのは、たまたま書きたかったから(最近時代ミステリ的な作品に凝っているから)です。「しんどそうな二人」を取っかかりにした割には、そこまで暗い話にならなくてよかったです。秀吉の持つ重力の結果かなあ、などと自己分析しています。わたしにとって秀吉は(時折ねっとりとした悪意を纏っていそうではありますが)基本的には陽性の人という印象があり、それにひきずられた結果のような気がしています。
豊臣秀吉の持つ強大すぎる重力と、その巨大な傘の下で生きる人たち。わたしがかの時代が好きなのは、この時代から仄見える、社会の歪さゆえかもしれません。
豊臣秀吉といえば、決して高くはない身分を振り出しに太閤にまで登った天下人で、伊藤博文や田中角栄の渾名である「今太閤」の元ネタとなった人です、という説明すら不要なほどの有名人です。昔は立身出世の象徴として庶民に愛されてもいたようですね。
けれどわたしはひねた考えをする人間ですもので、ついついこんなことを思ってしまいます。
秀吉と同時代を生きた人間は、さぞ辛かろうなあ、と。
戦国時代は俗に下剋上の時代などと称します。秀吉は斎藤道三などと並び、下剋上の時代を体現する人物といえます。しかしながら、素人目には、あまりにも極端が過ぎる経歴な気もします。三英傑のうち、織田信長も徳川家康も、それなりに地盤を持った一族の出身です。例に出た斎藤道三も、最近では何世代かかけて城持ち大名に登ったという説が有力らしいですね。それに対し、秀吉は貧弱な地盤から一代で成り上がっています。秀吉は紛う方なく、秩序の破壊者であったはずです。と、いうことは、です。秀吉によって、秩序が破壊された――人生が変わってしまった人も、結構多いのではないでしょうか。そこに人間ドラマの匂いがしますし、また、良くも悪くも秩序が失われつつある現代にとっても興味深い時代なんじゃあるまいか、そんなことを思う次第なのであります。
今回上梓した『不埒なり利家 豊臣天下事件帖』も、まさにそんな興味から誕生しています。秀吉というあまりにも巨大な重力圏に存在する有名人……というと、前田利家はぱっと思い浮かぶ人物の一人でしょう。
織田家に仕えていた尾張の豪族出身で、信長の台頭とともに近臣として出世、ついには畿内を押さえた信長の下で、一方面軍のナンバーツーにまで登り詰めます。このままでも幸せな生涯が待っていたことでしょうが、その後、信長は明智光秀に討たれ、秀吉の天下がやってきます。一時は秀吉と緊張関係にあったものの、やがて臣下に降り、ついには秀吉の下でナンバーツーにまで登り詰めます。
一方、信長が存命であった頃から、秀吉と利家は仲が良かったようではあります。どこまで史実なのかは存じませんが、創作物などでは若輩者の時分から二人は誼を通じており、悪友のように描かれたものもありますね。「おれとその方の関係」などと述べた秀吉が、利家を特別扱いしていたなんて話もあります。
秀吉サイドから見れば良き友人なのかもしれません。しかし利家は自身の急転直下の人生、天下人秀吉をどう思っているのだろう、というのは、本作を考えるにあたり、わたしが最初に取っかかりにした疑問でした。
他にも、構想の取っかかりにした人々がいます。織田秀信(本作では三郎)とその臣下です。織田秀信は信長の嫡孫で、清洲会議の際には織田家の家督相続者と認定されました(清洲会議の際、信長の孫、三法師を秀吉が抱き抱え、会議の参加者を黙らせた、という光景がよく創作物で描かれますが、この三法師がのちの秀信です)。しかし、一時は政治上の理由で家督を取り上げられ、また様々な事情から返還されます(詳しくは本書を手に取ってくださいね)。秀吉政権下で上から数えた方が早い出世を遂げているとはいえ、秀信や秀信の家臣も、豊臣秀吉の重力に翻弄された人生だったといえるでしょう。
結局のところ、拙作『不埒なり利家』は、秀吉の下で特にしんどそうに見える二人を近くに配してみて何が起こるのかを試してみた、多分にフィクション色の強い作です。時代ミステリのような雰囲気になったのは、たまたま書きたかったから(最近時代ミステリ的な作品に凝っているから)です。「しんどそうな二人」を取っかかりにした割には、そこまで暗い話にならなくてよかったです。秀吉の持つ重力の結果かなあ、などと自己分析しています。わたしにとって秀吉は(時折ねっとりとした悪意を纏っていそうではありますが)基本的には陽性の人という印象があり、それにひきずられた結果のような気がしています。
豊臣秀吉の持つ強大すぎる重力と、その巨大な傘の下で生きる人たち。わたしがかの時代が好きなのは、この時代から仄見える、社会の歪さゆえかもしれません。
●プロフィール
谷津矢車(やつ・やぐるま)
1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部卒業。2012年、「蒲生の記」で第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。13年に『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。18年に『おもちゃ絵芳藤』で第7回歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。25年に『二月二十六日のサクリファイス』で第31回中山義秀文学賞受賞。その他の著書に、『蔦屋』『曽呂利 秀吉を手玉に取った男』『廉太郎ノオト』『某には策があり申す 島左近の野望』『吉宗の星』『ええじゃないか』『ぼっけもん 最後の軍師 伊地知正治』『憧れ写楽』などがある。

