26年1月新刊『日本ミステリ新世紀MAP 現代ミステリ25年の歩みと31人の作家たち』刊行記念「はじめに」全文公開! 若林踏
作品紹介
2026.01.09
本書は二〇〇〇年から二〇二五年半ばまでの約二十五年に及ぶ日本ミステリを、時代ごとの出来事や事件、出版界の動向、他の小説ジャンルとも紐づけながら探訪するものだ。二十一世紀が始まって二十五年、つまり四半世紀が経とうとする区切りに日本国内のミステリ小説の流れを振り返ってみたいというのが狙いではあるが、読者の中には「なぜ、そんな大それた試みを貴方が書こうとしたのか?」と疑問を持つ方も多いだろう。御尤もである。自分より長く活躍しているベテラン書評家も多い中で、キャリアとしてはまだまだ浅い筆者がなぜ約二十五年の日本ミステリ史を振り返ろうとしたのか。その点を説明するために、少しだけ個人的な読書体験について触れておきたい。
筆者が本格的にミステリという小説ジャンルを読み始めたのは高校時代、二〇〇〇年代半ばのことである。一九八〇年代後半のいわゆる〝新本格推理〞ムーヴメントでデビューした作家たちが日本推理作家協会賞や本格ミステリ大賞を受賞するような代表作を出していた頃で、当時は〝本格〞の二文字が入っているミステリの新刊を書店でワクワクしながら探して読んでいた。いっぽうテレビでは横山秀夫原作の二時間サスペンス作品を好んで視聴し、警察小説と呼ばれる分野の小説にも親しみ始めていた。大学入学後は推理小説同好会に所属したが、そこでは同期からライトノベルレーベルにおけるミステリ要素の強い作品を教えてもらって読んだ。学年が上がると湊かなえがデビューし、社会人になる頃には所謂〝イヤミス〞ブームが起きていた。〝若林踏〞という筆名を使い始めるのは二〇一三年のことだが、それ以前の読書体験をかなりざっくりまとめると以上のような感じになる。ここで〝若林踏〞として活動する前の読書歴を振り返ってみて思う。
二〇〇〇年代以降の日本ミステリって、広がり過ぎて全体像が良く分からない。
個々のサブジャンルの流行り廃りは何となく把握できるのだけれど、けっきょく各論に陥ってしまいジャンル内での位置づけはもちろん、ジャンルを問わず文芸全体においてその隆盛がどのような意味を持つのか、ということまでは見えていなかった。いや、別にジャンル内や文芸全体での位置づけなんか気にしなくても作品は楽しめるのだし、何よりも個々の小説が面白いか否かが読者にとっては重要である。とはいえ「このサブジャンルや作品がこんなにも支持されたのは何故だろう?」という背景を幾分かでも見通しの良いものにした方が、作品鑑賞の解像度はぐっと高まるのではないだろうか。
もう一つ、〝若林踏〞以前に一人の読者としてミステリに接していた時に感じていたことがある。警察小説にせよ〝イヤミス〞にせよ、一つのサブジャンルが隆盛すると作品の帯や紹介文にその名称が多用され、読者の興味を引くようなセールスのされ方を幾度か見てきた。だが実際に当該の作品を読んでみると、「これはちょっとカテゴリーが違うのでは」と感じることも少なくなかった。つまりサブジャンルの呼称が本を売るためのラベルだけに留まってしまい、そのジャンルが生まれた時に持っていた本来の面白さが見失われてしまう例が多いのではないだろうか。もちろん、数多くの読者を獲得するためにラベリングすることは悪いことでは無い。けれども、サブジャンルの呼称があまりにもマジックワードのように使われ過ぎてはいないだろうか。逆に言えばサブジャンルが隆盛した背景や個々の作品の特徴を捉え直すことで、今まで見えてこなかった面白さや、他ジャンルへと繫がる道が現れて鑑賞の幅が広がるのではないかとも思う。
そういうわけで本書は二〇〇〇年代から現在に至るまで日本ミステリを読み続けてきた人間が抱くもやっとした感情から生まれた。無論、現代日本ミステリを俯瞰できる優れた評論やガイドブックは二〇〇〇年代以降も書かれてきた。現代社会とミステリ小説の相関についてはそれこそ笠井潔が一連の評論書でずっと語り続けているし、二〇二〇年代には『現代ミステリとは何か 二〇一〇年代の探偵作家たち』(限界研編・蔓葉信博編著)や千街晶之『ミステリから見た「二〇二〇年」』(光文社)といった著作によって現代日本ミステリは様々な角度から掘り下げられている。ガイドブック関連でいえば同じく千街晶之が『読み出したら止まらない! 国内ミステリー マストリード100』(二〇一四年、日経文芸文庫)で江戸川乱歩の時代から二〇一〇年代半ばに至る日本ミステリを眺望できるガイドと概論を書いているし、佳多山大地『新本格ミステリを識るための100冊』を始めとする星海社のガイドブックシリーズはホラーなどの隣接ジャンルを含めてジャンル小説を総覧するには格好のテキストだ。そうした先行する優れた評論・ブックガイドがあることは承知の上で、筆者は先に述べたような自身の「もやっとした感情」をクリアにすべく、二〇〇〇年から二〇二五年時点までの日本ミステリ小説の流れを鳥瞰出来る本を作ろうと思った。気持ちとしては評論やガイドブックを書くというより、各作品・作家やサブジャンルがミステリ小説の括りの中でどのように位置づけられるのかを大まかでも把握できるような地図作りを行った感覚だ。
本書の構成について述べておく。本書は二〇〇〇年から現在までを五年ごとに区切って章立てを行い、概論と作家小論で構成する形を取っている。概論はその時期ごとの社会における出来事や事件、出版業界あるいは文芸における象徴的なトピックを取り上げながら、同時期に刊行されたミステリの傾向や特徴を浮かび上がらせることを念頭に置いた。また、警察小説やいわゆる〝イヤミス〞、〝キャラミス〞といったサブジャンルの隆盛については他のトピックよりも文字数を多めに割いている。これは先ほど述べた売るためのラベルからサブジャンルを切り離し、その定義や作品群の特徴をいま一度見直すことによって「なぜ、そのサブジャンルが隆盛したのか」の背景を探る意図がある。
そして作家小論では、各時期にデビューした作家の中でも特に個々の作品やその変遷を辿りたいと筆者が考えた人物をピックアップし論じている。こちらのパートはブックガイドとしても楽しめるかと思うが、ここでも概論と同じで「二〇〇〇年代以降の日本ミステリのなかで、他作品や作家とどのような関連があり、影響を与えているのか」という観点から書いている。
また、概論や作家小論以外にも五つのコラムコーナーを設けたほか、巻末には二〇〇〇年から二〇二五年のミステリ史年表を用意した。他の文芸ジャンルや社会的な出来事と合わせながらミステリ小説における印象的なトピックを振り返ることが出来ると思う。
最後に。本書はあくまでも筆者の観点から眺めたミステリというジャンルの二十五年である。言及できなかった作家・作品が多いことは承知の上で、これを叩き台にジャンルが辿った二十五年について議論が出来れば幸いである。
(若林踏著『日本ミステリ新世紀MAP 現代ミステリ25年の歩みと31人の作家たち』より抜粋)
筆者が本格的にミステリという小説ジャンルを読み始めたのは高校時代、二〇〇〇年代半ばのことである。一九八〇年代後半のいわゆる〝新本格推理〞ムーヴメントでデビューした作家たちが日本推理作家協会賞や本格ミステリ大賞を受賞するような代表作を出していた頃で、当時は〝本格〞の二文字が入っているミステリの新刊を書店でワクワクしながら探して読んでいた。いっぽうテレビでは横山秀夫原作の二時間サスペンス作品を好んで視聴し、警察小説と呼ばれる分野の小説にも親しみ始めていた。大学入学後は推理小説同好会に所属したが、そこでは同期からライトノベルレーベルにおけるミステリ要素の強い作品を教えてもらって読んだ。学年が上がると湊かなえがデビューし、社会人になる頃には所謂〝イヤミス〞ブームが起きていた。〝若林踏〞という筆名を使い始めるのは二〇一三年のことだが、それ以前の読書体験をかなりざっくりまとめると以上のような感じになる。ここで〝若林踏〞として活動する前の読書歴を振り返ってみて思う。
二〇〇〇年代以降の日本ミステリって、広がり過ぎて全体像が良く分からない。
個々のサブジャンルの流行り廃りは何となく把握できるのだけれど、けっきょく各論に陥ってしまいジャンル内での位置づけはもちろん、ジャンルを問わず文芸全体においてその隆盛がどのような意味を持つのか、ということまでは見えていなかった。いや、別にジャンル内や文芸全体での位置づけなんか気にしなくても作品は楽しめるのだし、何よりも個々の小説が面白いか否かが読者にとっては重要である。とはいえ「このサブジャンルや作品がこんなにも支持されたのは何故だろう?」という背景を幾分かでも見通しの良いものにした方が、作品鑑賞の解像度はぐっと高まるのではないだろうか。
もう一つ、〝若林踏〞以前に一人の読者としてミステリに接していた時に感じていたことがある。警察小説にせよ〝イヤミス〞にせよ、一つのサブジャンルが隆盛すると作品の帯や紹介文にその名称が多用され、読者の興味を引くようなセールスのされ方を幾度か見てきた。だが実際に当該の作品を読んでみると、「これはちょっとカテゴリーが違うのでは」と感じることも少なくなかった。つまりサブジャンルの呼称が本を売るためのラベルだけに留まってしまい、そのジャンルが生まれた時に持っていた本来の面白さが見失われてしまう例が多いのではないだろうか。もちろん、数多くの読者を獲得するためにラベリングすることは悪いことでは無い。けれども、サブジャンルの呼称があまりにもマジックワードのように使われ過ぎてはいないだろうか。逆に言えばサブジャンルが隆盛した背景や個々の作品の特徴を捉え直すことで、今まで見えてこなかった面白さや、他ジャンルへと繫がる道が現れて鑑賞の幅が広がるのではないかとも思う。
そういうわけで本書は二〇〇〇年代から現在に至るまで日本ミステリを読み続けてきた人間が抱くもやっとした感情から生まれた。無論、現代日本ミステリを俯瞰できる優れた評論やガイドブックは二〇〇〇年代以降も書かれてきた。現代社会とミステリ小説の相関についてはそれこそ笠井潔が一連の評論書でずっと語り続けているし、二〇二〇年代には『現代ミステリとは何か 二〇一〇年代の探偵作家たち』(限界研編・蔓葉信博編著)や千街晶之『ミステリから見た「二〇二〇年」』(光文社)といった著作によって現代日本ミステリは様々な角度から掘り下げられている。ガイドブック関連でいえば同じく千街晶之が『読み出したら止まらない! 国内ミステリー マストリード100』(二〇一四年、日経文芸文庫)で江戸川乱歩の時代から二〇一〇年代半ばに至る日本ミステリを眺望できるガイドと概論を書いているし、佳多山大地『新本格ミステリを識るための100冊』を始めとする星海社のガイドブックシリーズはホラーなどの隣接ジャンルを含めてジャンル小説を総覧するには格好のテキストだ。そうした先行する優れた評論・ブックガイドがあることは承知の上で、筆者は先に述べたような自身の「もやっとした感情」をクリアにすべく、二〇〇〇年から二〇二五年時点までの日本ミステリ小説の流れを鳥瞰出来る本を作ろうと思った。気持ちとしては評論やガイドブックを書くというより、各作品・作家やサブジャンルがミステリ小説の括りの中でどのように位置づけられるのかを大まかでも把握できるような地図作りを行った感覚だ。
本書の構成について述べておく。本書は二〇〇〇年から現在までを五年ごとに区切って章立てを行い、概論と作家小論で構成する形を取っている。概論はその時期ごとの社会における出来事や事件、出版業界あるいは文芸における象徴的なトピックを取り上げながら、同時期に刊行されたミステリの傾向や特徴を浮かび上がらせることを念頭に置いた。また、警察小説やいわゆる〝イヤミス〞、〝キャラミス〞といったサブジャンルの隆盛については他のトピックよりも文字数を多めに割いている。これは先ほど述べた売るためのラベルからサブジャンルを切り離し、その定義や作品群の特徴をいま一度見直すことによって「なぜ、そのサブジャンルが隆盛したのか」の背景を探る意図がある。
そして作家小論では、各時期にデビューした作家の中でも特に個々の作品やその変遷を辿りたいと筆者が考えた人物をピックアップし論じている。こちらのパートはブックガイドとしても楽しめるかと思うが、ここでも概論と同じで「二〇〇〇年代以降の日本ミステリのなかで、他作品や作家とどのような関連があり、影響を与えているのか」という観点から書いている。
また、概論や作家小論以外にも五つのコラムコーナーを設けたほか、巻末には二〇〇〇年から二〇二五年のミステリ史年表を用意した。他の文芸ジャンルや社会的な出来事と合わせながらミステリ小説における印象的なトピックを振り返ることが出来ると思う。
最後に。本書はあくまでも筆者の観点から眺めたミステリというジャンルの二十五年である。言及できなかった作家・作品が多いことは承知の上で、これを叩き台にジャンルが辿った二十五年について議論が出来れば幸いである。
(若林踏著『日本ミステリ新世紀MAP 現代ミステリ25年の歩みと31人の作家たち』より抜粋)

