オズワルド・畠中悠×詩人・黒川隆介 対談オズワルド・畠中悠×詩人・黒川隆介 「不幸だと思ったことは一度もない」――すべてを「肯定」する表現の力
インタビュー・対談
2026.03.20
文・構成:森谷 令(編集部) 協力/文藝春秋PLUS
■偶然の出会いから始まった「函館」という共通点
村井:本日のプラスセッションは、お笑いコンビオズワルドの畠中悠さんと、詩人の黒川隆介さんをお招きしまして、芸人と詩人、表現者として大切にしていること、というテーマでお話を伺いたいと思います。黒川さんは、昨年初めての商業出版となる詩集『生まれ変わるのは死んでからでは遅すぎる』を刊行されました。実は、彼は僕の地元のお友達で同い年でして、今日もいつもの「りゅうくん」と呼ばせていただきたいと思います。
さて、お二人は非常に仲が良いと伺っていますが、出会いのきっかけは何だったのでしょうか。
畠中:始まりは渋谷の居酒屋でした。僕が先輩と飲んでいて、その後、後輩と二人で残っていた時に、りゅうさん(黒川さん)が話しかけてきてくれたんです。その後、別の店に移動して話をしたら、彼が詩人で、また僕の地元である函館に家を借りていることが判明しまして。「どういうことだろう?」と最初は驚きましたが、そこから一気に仲良くなりました。
黒川:僕は以前、文藝春秋さんに詩を寄稿した際も、函館出身の作家・佐藤泰志さんを題材に書いたことがあるほど函館が好きなんです。川崎出身の僕が、函館出身の畠中さんを案内するという不思議な形で、一緒に市内の温泉を回るなど、色々な場所を旅しました。
畠中:僕は大人になってから、りゅうさんに色々な店や人を紹介してもらうことで、かつてはぼんやりしていた故郷・函館の良さがくっきりと見えてくるようになりました。人を通して街の素敵さを再発見させてもらっています。
■日常の「微細な感覚」をすくい上げる表現の力
村井: 畠中さんは、りゅうくんの詩をどのように読まれましたか。畠中:りゅうさんの詩には、僕が大好きな、さくらももこ先生に通じるような感性を感じます。大人は忘れてしまうような子供の頃の感覚や、街の中でのちょっとしたやり取り、風景を見て感じたことを言葉にするのが非常に鋭い。例えば、小学生が「猫踏んじゃった」の替え歌を歌っていて、「踏んじゃった」を「死んじゃった」にした部分をどうしても言えなかった瞬間に気づく。そんな日常の、ふとした優しさや違和感を見つけるのが、本当に上手だなと思います。
黒川:さくらももこさんのお名前を出していただけるのは光栄です。以前、二人で飲んだ時も、畠中さんが芸人を目指したきっかけとして、さくらさんのエッセイ『ひとりずもう』の話をされていましたよね。
畠中:そうなんです。『ひとりずもう』は、だらしなくて宿題もやらないような「まる子」が、自分の好きな漫画で夢を叶えるまでのストーリーです。それまで部活も勉強も頑張ったことがなかった自分にとって、その姿がすごく響きました。何か一つ、本当にやりたいことをやってみようと思って芸人の道を選んだんです。
黒川:畠中さんの漫才を見ていると、日常の中で誰もがどこかで感じている「危機感」のようなものを、別のパラレルワールドへ広げていくような視点を感じます。それは子供の頃から持っていた視座なのでしょうか。
畠中:たしかに、そういう目で世の中を見ていたかもしれません。僕は10代の頃、恋愛や部活など、いわゆる「まっすぐな青春」を一生懸命やることが照れくさくてできなかったんです。今思えばめっちゃダサいんですけど、成人式にも行けませんでした。その分、妄想の中でちょっとずれたことを考えるのが好きで、そうした「はみ出したいけれど出きれない」という葛藤や妄想が、今のネタ作りに生きているのかもしれません。
■「伝わるもの」と「譲れないもの」の境界線
黒川:創作において、自分の閃きと、それが観客に伝わるかどうかの葛藤はありませんか。僕の場合、詩としての純度を高めすぎると、詩に普段触れていない読者にとっては記号的しすぎることも考えることがあります。畠中:お笑いは反応がダイレクトなので分かりやすいです。「ウケる」ということは伝わっているということ。5分のネタの中で、1箇所くらいは「ここはウケないかもしれないけれど、どうしても言いたい」という部分を残すこともありますが、導入や設定の部分は、まず伝わってウケなければ始まらない世界だと思っています。
黒川:お笑いの世界では、生前は評価されず、死後に再評価されるようなことはあるのでしょうか。広く認知はされていないけれど、同業者だけはこのお笑いすごい、って知っているような。
畠中:あるとは思いますね。でも、お笑いは「ウケる」かどうかが全てなので、尖ったままでい続けるのは難しいかもしれません。どんなに尖った発想の人でも、どうやって伝えるかを考え、今、ちゃんと観客を笑わせる漫才師として存在しようとしていると思います。
村井: 詩や小説、絵画などは、ずっと尖ったままでも、何十年後に発見されて、復活する、あるいは新たに評価されるということが結構ありますよね。
畠中:そうですよね。この対談が始まる前にも話していたんですけど、りゅうさんが詩人としてさらに評価されるには、不謹慎ですけど劇的な死を遂げるしかないんじゃないかって(笑)。
黒川:よく言われます。「死んでたら売れるのにな」って。それこそ、畠中さんは大きな病気を経験されて、死を意識されたのではないですか。
畠中:実はそこまで深刻な意識はなかったんです。不摂生な同期を心配して、無理やり人間ドックに連れて行ったら、彼には異常がなく、付き添いで受けた僕に初期のガンが見つかるという皮肉な状況でした。腎臓を一つ摘出しましたが、芸人仲間がお見舞いに来て、僕の腎臓の写真を見て「気持ち悪い」と言ってくれたことに救われました。普通の人なら気を使う場面で、笑いに変えてくれる。デリカシーがないと言われるかもしれませんが、芸人の世界は、僕にとって非常に生きやすい場所だと再認識しました。
■創作の根源にある「世界の肯定」
黒川:人生には笑えない瞬間もあるはずですが、そんな時でも笑いを考えることは可能ですか。畠中:むかつくことや悲しいことも、最終的には「ネタになる」と受け入れられてしまう部分があります。自分のキャパシティが広いというよりは、何が起きても「まあ、そういうこともあるよな」と、どこか当たり前のこととして捉えている感覚です。それが血肉になって笑いになることを知っているから、辛いことがあってもそこまで食らわないのかもしれません。
黒川:僕も以前、夜中にイカを捌いていて、指を深く切ってしまった時、「痛い」と思いながらも、同時に「これ、何か書けるかな(詩の題材になるな)」と考えている自分がいました。
村井: 畠中さんも、りゅうくんも、自分自身をすごくメタ認知しているわけですね。
畠中:普通の感覚を持ち合わせていないとネタは作れないけれど、作り続けるうちに「何が普通か」が分からなくなることもあります。だからこそ、普通の人がどう感じるかという感覚は、ずっと持ち続けていたいと思います。
黒川:僕にとっては、飲み屋さんに行くのは潜入捜査みたいな意味もあったと思います。いわゆる普通と呼ばれる方々が繰り広げている会話が、僕からすると突拍子もないことだったりする。そこでネタを集めつつ、創作の中で普通からずれていく自分との帳尻を、市井の人が集まる飲み屋でとっているなと。
畠中:だから、りゅうさんはいろんなところに行くんですね。
村井: 畠中さんは、さくらももこさんのように影響をうけているな、と思うようなコンテンツは他にもありますか。
畠中:芸人さん以外でいうと、僕は中島みゆきさんが大好きなんです。彼女の「誕生」という曲には、歓迎されずに生まれてきたかもしれない誰かに対しても「私がウェルカムと言ってあげる」という趣旨の歌詞があります。結局、世界を「家族」のような眼差しで見つめる感覚。りゅうさんの詩からも、それに似た、全てを受け入れるような温かさを感じたことがあります。
黒川:ありがたいです。創作する中で、生きているとプラスの意味で奇跡的なこともあれば、そう捉えられないこともあるけれど、それが文字になったり朗読になったりしたときに、受け手にとってはその意味が変わってくることがある。そうなると、どんなことも自分の方で良い悪いってジャッジができないよな、と思います。
■「なんでやねん」に代わる言葉を求めて——東京の言葉で笑いを作るということ
黒川:畠中さんのお話を聞けば聞くほど、さくらももこさん、中島みゆきさんの影響があって、なぜシンガーソングライターといった表現ではなく、芸人さんなんだろう?って思ってしまいますね。最終的な形に芸人さんを選んだのはどういう理由だったんですか。畠中:『ひとりずもう』を読んで、無性に何かやりたいという熱量だけがめちゃくちゃあって、その時持っていた唯一のカードが、お笑いだったんですよね。ちっちゃいカードだったんですけど、それでやっていけるようになって、本当にありがたいです。
村井: お笑いの世界、特に漫才は関西中心の文化という側面が強いですよね。関東の言葉と関西の言葉では、やはり大きな違いがあるのでしょうか。
黒川:それは僕も聞いてみたかったんです。日常でも、お笑い好きな人同士だと関西弁でツッコむ場面をよく見かけます。標準語である東京の言葉で笑いを取るというのは、一般人の視点からすると非常にハードルが高いことのように思えるのですが。
畠中:確かに「なんでやねん」という言葉はツッコミとして一番使い勝手が良いですし、それに代わる東京の言葉を探しても、例えば「なんでだよ」だと少し歯切れが悪かったりします。お笑い文化として根付いていて耳馴染みが良いのはやはり関西弁だと思いますが、僕自身はそこに劣等感や不利な条件を感じたことはありません。先人たちが東京の言葉による漫才の土壌を築いてくれましたし、北海道出身の僕にとっても、テレビで見ていた東京の漫才は違和感なく面白いものでした。
黒川:関西弁が有効打かもしれないという状況の中で、オズワルドというコンビとしてどのように戦ってきたのでしょうか。
畠中:組んだ当初は、あえてツッコまない「ダブルボケ」のようなスタイルでやっていました。徐々にツッコミの形にはなっていきましたが、僕らの漫才は「相手の言った変なことに乗っかって話が進んでいく」という特徴があります。これはいわゆる「関西の笑い」というよりは、変なことを言ってもすぐには否定せず、たしなめながら進めていく「東の感覚」に近いスタイルです。もし僕が関西出身だったら、変なことを言った瞬間にツッコまれて終わってしまい、今のネタは生まれていなかったかもしれません。
僕らのネタ作りは、そもそも「考えていることの選択肢」をおかしくすることから始まります。例えば「小学校に上がる甥っ子へのプレゼントを、ランドセルにするかお地蔵さんにするか迷っている」という設定。普通なら否定されて終わるところを、「どちらも守ってくれるという意味では一緒だよね」と肯定して話が成立してしまう。こうした論理の進め方は、やはり東のお笑い文化に向いていたんだと思います。
黒川:やっぱり、どんな出来事もネタに変えていける、独特の思考回路をお持ちですよね。人によっては制約と感じるような状況さえも、創作の源泉にしているように見えます。
畠中:自分のことを特別に恵まれているとは思いませんが、逆に「不幸だ」と思ったことも一度もありません。病気になったときも「なぜ自分が」と嘆くのではなく、「風が吹けば桶屋が儲かる」ような、ある種の必然として受け止めていました。宇宙人がいても、隕石が落ちて人類が滅亡してもおかしくない。そんな風に「何が起きても不思議ではない」という感覚が、僕の根本にはずっとあるなと思いますね。
■カニ救出劇——お笑いのセオリーを超えた純粋な問いかけ
村井: 最後に、お互いに聞いてみたいことはありますか。畠中:実は、函館に一緒に行ったときに、自分が言ったことで引きずってることがありまして。
函館の海の岩場をみんなで歩いていた時に、窪みに海水がたまっていて、そこにカニがいっぱいいたんですよ。そのカニをりゅうさんが、長い棒を使って救出し始めたんですね。そしたら「畠中さんもやります?」って聞いてきて。僕は、これはもうお笑いの感覚として「やるわけないだろ!」って突っ込みをさせるための質問だと思って、いや大丈夫です、って答えたんです。そしたら、りゅうさんは「そうですか」って言って、そこから15分くらいずっとやり続けて。
黒川:確かに救おうと思って、やってましたね。
畠中:それで、ボケじゃなくって、本当に助けようと思ってたんだって、純粋さを感じました。だから自分の「大丈夫です」は、冷たい意味でそんなことやりませんよ、ってことじゃなくて、断ることで成立する会話だと思ってたんです、と伝えたくて。覚えてないかもと思ったんですけど。
黒川:シンプルに、畠中さん一緒にカニ救うかな、って聞いちゃってました。最終的に地元のおじさんにほっとけ、と言われましたけど。引っかかっていたことを出してもらえて、なんだか嬉しいです。
村井: 誤解が解けて、よかったです(笑)。
二人の表現者としての真髄が垣間見える素晴らしい対談でした。ありがとうございました。
黒川・畠中:ありがとうございました。
文藝春秋PLUS 公式Youtubeチャンネル
https://youtu.be/0USEe4Vq0Xo?si=c5yA4_NXhNpS8FAA
黒川隆介(くろかわ りゅうすけ)
十六より詩を垂らし
定職に就かずまま
呼ばれては何処までも
狼煙の行方に立ち尽くしたままでいる
オズワルド 畠中 悠(はたなか ゆう)
吉本興業所属、お笑いコンビ「オズワルド」のボケ担当。北海道出身。2021年の「M-1グランプリ」で準優勝を果たし、180cmの長身から放たれるシュールで独創的なボケで一躍注目を集めた。実家が昆布漁師というルーツを持ち、本格的な「出汁取り」や「野菜の千切り」を特技とするほか、ギター弾き語りによるオリジナルソング制作など、多彩な表現力も魅力。現在は『乃木坂スター誕生!SIX』の司会や、地元北海道での冠番組『道産人間 オズブラウン』にレギュラー出演するなど、その独特な感性と安定感のあるトークで、全国区からローカルまで幅広く活躍。
村井 弦(むらい げん)
動画メディア「文藝春秋PLUS」編集長。2011年入社。「週刊文春」編集部、「文藝春秋」編集部を経て、2019年から「文藝春秋 digital」プロジェクトマネージャー。2021年7月から「週刊文春電子版」デスク。2024年7月 から「文藝春秋電子版」「週刊文春電子版」統括編集長、2024年12月より現職。

