30年前からのロングパス 斉藤 詠一

『環境省武装機動隊 シベリアの魔女』刊行記念エッセイ30年前からのロングパス 斉藤 詠一

自作解説

2026.06.02

 2023年に単行本として刊行した『環境省武装機動隊EDRA』が、このたび加筆修正のうえ『環境省武装機動隊 シベリアの魔女』と改題、文庫化される。
 温暖化による海面上昇で沿岸都市が水没した2038年、自然を守るためとして容易に武力が行使されるようになった世界を描く近未来ディストピア・ミステリーだ。
 昨今は、多くの人が温暖化を実感していると思う。それでも、どこかしら他人事として捉えている節があるのではないか。そうこうしているうちに後戻りのできないレベルまで温暖化が進んだら、世界はどうなってしまうのか。それを、正義とは何かという観点も織り交ぜエンターテインメントとして描いたのが本作である。
 派手な戦闘シーンもあるので、純真無垢な心で自然環境の保護に取り組んでいる人の中には怒る人もいるかもしれない(実際、単行本の帯の「環境は人命に勝るんだ!」というコピーに苦言を呈した人もいるとかいないとか。登場人物の台詞なのだけど)。それでも、根底には僕なりの自然への思い、そして保護の最前線に立ち続ける人々へのエールを込めたつもりでいる。

 じつはこの作品、原型ができたのは10年以上前であり、大元のアイデアが生まれた時でいうと30年近く前までさかのぼる。
 僕は20代から30代の頃、ある財団法人で働いていた。かつて某国民的年末歌番組で紅白の数をカウントしていたおかげか、知名度だけはそこそこある団体だ。バードウォッチングをしているだけと思われがちだが、本来は自然保護のためのNGOである。
 今も昔も自然保護というと、基本的には大事なことと認識しつつ胡散臭さを感じる人はそれなりにいるように思う(残念ながら実際に胡散臭い団体、活動は存在するのだけれど)。そのイメージを払拭するため、ドラマにして世間の人々に親近感を持ってもらったらどうか、と僕は若手職員同士の飲み会でよく口にしていた。エンタメとして楽しみつつ、自然環境の保護についても知ってもらえるような作品。できれば今をときめく人気俳優の出演で、自分たちもちょこっと出してもらったりして。
 酒の席でのたわいないやりとりではあったものの、僕はわりと本気でもあった。そこで、当時からひそかに書いていた小説のテーマにしようと目論んだのだ。
 もっとも、口にするのは容易いが実際の形にするとなると難しい。僕は他の書きやすいテーマの小説を執筆しては投稿し、落選するというサイクルを繰り返し、その間に生活のため一般企業へ転職した。
 時は流れて2014年、僕の作品が江戸川乱歩賞の2次選考を通過する。そのストーリーは「近未来、環境破壊がもとで第3次世界大戦が勃発、生存の危機に瀕した人類にとって環境を守ることこそが最大の正義となる……」というものだった。この時、僕はかつて同僚たちに話していたテーマをようやく形にしたのである。
 その作品で受賞とまでは至らなかったが、4年後、別の作品で僕は江戸川乱歩賞を受賞し、念願の小説家デビューを果たした。そして実業之日本社からのオファーに対して「前にこんなのを書いたんですけど、どうですか」と持ちかけたのが、以前に乱歩賞で2次通過した作品だった。3次選考の先へは進めなかったのだから足りない部分があったのは間違いない。しかし、長年温めてきたこのテーマを再び世に問いたかったのだ。いわばこれは30年前からのロングパスであり、大事に繋いでいきたかった。
 かくして、設定の一部を残しただけでストーリーも登場人物も一から書きなおしたのが、単行本『環境省武装機動隊EDRA』だった。

 単行本刊行時のタイトルは、近未来のディストピア的な世界が舞台であることを表現するため、「環境省」と「武装機動隊」という対照的なワードを組み合わせ、組織の略称「EDRA」を入れたものとした。今回の文庫化にあたっては主要登場人物の「シベリアの魔女」こと新島怜をより前面に押し出す形で加筆修正し、タイトルもずばり『環境省武装機動隊 シベリアの魔女』と変更している。
 文章もブラッシュアップしてさらに読みやすくなっているので、単行本で既読の方もこの機会にもう一度手に取っていただければ幸いである。
 なお文庫版の表紙は単行本と同じサイトウユウスケさんのイラスト、菊池祐さんのデザインで、あらためて「シベリアの魔女」を描いていただいた。単行本の世界観を拡張したような、とても格好良いカバーだと思う。

 作中の小ネタについても、いくつか紹介したい。SNSで考察されるくらい売れてくれたら嬉しいのだけど、細かすぎて伝わらないような気もするし先に作者が言ってしまおう。
 まず、僕は異なる物語間で世界観が共通している設定が好きで、自分の作品にもできるだけそうした要素を盛り込むようにしている。本作においては、ある登場人物が在籍していたという設定の「南武大学」は、じつは僕の他の作品にも度々出てくる架空の大学である。そして存在のみ語られる女性歴史学者は、名前こそ出していないが別作品のヒロイン、その将来の姿だ(近未来の、それもあまり望ましくない世界の物語ではあるけれど、そこは別の世界線ということで)。
 もう一つ、僕が好むのは登場人物や団体の名を過去の名作から拝借することで、本作でいうと終盤に出てくるF-35戦闘機と作戦指揮所のコールサイン、それぞれ「ワイバーン」と「トレボー」は、映画『機動警察パトレイバー2』へのリスペクトである。また登場する架空の企業、湯谷製薬とタイレルファーマは、それぞれ映画『エイリアン』、『ブレードランナー』の作中の企業名に由来している。

 本作を原型から根本的に書きなおした際は、作中で描写しない部分まで設定を作り込んだ。「大異変」や「異変戦争」の経緯、東京はじめ各都市の水没後に人々はどこへ移住したか、鉄道路線はどうなったかなどを考える作業は面白かったが、現実にはなってほしくないものである。
 ただ、現実は着実にこの世界線に近づいているように思う。たとえば第一章には男性の登場人物が日傘を差す描写があるが、単行本を執筆していた2022年頃は自分も含めて日傘の使用に抵抗感を抱く男性もそれなりにいた気がする。それが今では、自分自身普通に差すようになった。現実に追い抜かれてしまったわけだ。
 今回の文庫化は、30年前からのパスをあらためて繋いでいくことでもある。作品の舞台である2038年がやって来た時、「こんな世界にはならずに済んだ。予想は大外れだったな」と笑って読み返せることを願っている。

●プロフィール

斉藤詠一(さいとう・えいいち)
1973年東京都生まれ。千葉大学理学部物理学科卒業。2018年『到達不能極』で第64回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。著書に『クメールの瞳』『レーテーの大河』『俺が恋した千年少女』『一千億のif 仮想歴史研究ファイル』などがある。