東川篤哉〈鯉ケ窪学園〉シリーズブックレビュー 「うる星やつら」と本格謎解きミステリの意外(!?)な共通点 若林踏
書評
2026.08.07
ベストセラー『放課後はミステリーとともに』を含む東川篤哉のユーモア学園ミステリ〈鯉ケ窪学園〉シリーズの新装版が、実業之日本社文庫より連続刊行されている。これまで光文社文庫に入っていた作品も里帰りを果たしたこの機会に、書評家の若林踏が東川へインタビューを敢行。それをもとにロングヒットの秘密と、シリーズの魅力を探った。
●シリーズ誕生の背景には「うる星やつら」
〈鯉ケ窪学園〉シリーズは、本格謎解きミステリと「うる星やつら」が出会って生まれた奇蹟の学園ミステリシリーズである。
などと書くと「一体何を言っているんだお前は」というお叱りを受けそうな気もするが、仕様がない。作者である東川篤哉本人が言っていたんだもの。
現在、実業之日本社文庫では東川篤哉の代表作の一つである〈鯉ケ窪学園〉シリーズの新装版を連続刊行している。それを記念してシリーズ全体の読みどころを解説するのが本記事なのだが、せっかくなので作者本人にも取材しシリーズを振り返ってもらうインタビューも行うこととなったのだ。そのなかで東川自身が「〈鯉ケ窪学園〉シリーズって、『うる星やつら』みたいですよね」と述べていたのである。ちなみにシリーズの主要登場人物である鯉ケ窪学園の探偵部三人組には、アニメの「うる星やつら」に登場する「ラム親衛隊」のイメージが何となく投影されているそうだ。
なぜ「うる星やつら」なのか、という疑問には後ほど答えるとして、改めて〈鯉ケ窪学園〉シリーズについて簡単に説明しておこう。本シリーズは国分寺市の西に広がる閑静な住宅地、恋ケ窪の外れにある私立高校を舞台にした謎解きミステリの連作である。シリーズ刊行の順番としては2004年にジョイ・ノベルスで出た『学ばない探偵たちの学園』が第1作ということになるが、それ以前に「霧ケ峰涼の屈辱」という短編が「ジェイ・ノベル」2003年6月号に掲載されている。同編は鯉ケ窪学園探偵部副部長である霧ケ峰涼が登場する短編で、後にシリーズ単行本としては3冊目に当たる『放課後はミステリーとともに』(2011年刊行)の劈頭を飾る一編として収録されるわけだが、上記のような経緯を知った上で「霧ケ峰涼の屈辱」を読むとまた別の味わいが出てくるだろう。シリーズの幕開けで何とも大胆なことをしたのだな、と思うようなことが書かれているのだ。ともかく最初に鯉ケ窪学園という舞台が登場したのは「霧ケ峰涼の屈辱」なのだが、その後担当編集者から「同じ学園を舞台にした長編作品を書いていただけますか?」という依頼を受けたことで書いたのが『学ばない探偵たちの学園』なのである。
●「スクリューボール・コメディ」とミステリの融合
長編作品である『学ばない探偵たちの学園』で主役を務めたのは霧ケ峰涼ではなく、多摩川流司・八橋京介・赤坂通の探偵部三人組である。この三人組は第2作の長編『殺意は必ず三度ある』(2006年刊行)、第4作に当たる連作短編集の『探偵部への挑戦状 放課後はミステリーとともに』(2013年刊行)にも登場する。ここまでの文章で三人組や霧ケ峰涼のことを主役や主要登場人物などと書いても、“探偵役”とは書いていないことにお気づきだろうか。そう、そこが〈鯉ケ窪学園〉シリーズの特徴の一つで、探偵部の面々は主人公として活躍しながら、彼らが必ずしも探偵役としての役割を全うするとは限らないのである。しかも鯉ケ窪学園には良く言えば個性派、悪く言えば変人そのものという人物が生徒から先生まで犇めいているのだ。「霧ケ峰涼とエックスの悲劇」(『放課後はミステリーとともに』)で初登場する地学の池上冬子先生はかつて《峠のドリフト女王》と呼ばれたUFO好きという設定である。大丈夫か鯉ケ窪学園、教師の採用面接できちんと履歴書はチェックしているのか。
つまり〈鯉ケ窪学園〉シリーズはスクリューボール・コメディの要素が備わった学園ミステリなのである。スクリューボールとは「変人ばかりが出てくる」という意味合いで、変わり者たちが入れ替わり立ち替わり騒動を起こすことで物語が進んでいく。冒頭で東川自身が挙げていた高橋留美子の漫画「うる星やつら」も、主役二人以外にも様々な奇人変人が登場しては大騒ぎするコメディだった。東川が〈鯉ケ窪学園〉シリーズを「『うる星やつら』みたいですよね」と言ったのも、両作に共通するものがスクリューボール・コメディの要素であるからだろう。思えば〈鯉ケ窪学園〉シリーズと並ぶ東川の代表作である〈烏賊川市〉シリーズも、ひとつの街によくもまあ間抜け、じゃなくて個性的な人々が揃うもんだと感心してしまうほどスクリューボール・コメディの要素が満載である。
〈鯉ケ窪学園〉シリーズは『放課後はミステリーとともに』以降、連作短編形式が続くとともにスクリューボール・コメディの様相がいっそう強くなっていく。キャラクターがどんどん増えていくとともに、誰がどのような役回りで事件に関わるのかが毎回楽しみになっていくのだ。先述の〈烏賊川市〉シリーズもそうなのだが、本格推理小説のシリーズではあるものの探偵役が固定化されていないという点に東川作品の特異なところがある。東川は〈謎解きはディナーのあとで〉シリーズの爆発的なヒットにより、個性的な探偵キャラクターを主人公に据えた所謂“キャラミス”と呼ばれる小説ブームの火付け役と思われている部分は大きい。だが実際は探偵役を固定化して描くよりも、様々な個性際立つ人物達が探偵役を務めるような描き方も好んでいる作家なのだ。スクリューボール・コメディと名探偵が登場する謎解き小説を合体させた点は、東川が現代日本ミステリに残した足跡としてもっと評価されてもいいと思う。
●ギャグの下にある、謎解きミステリとしての強固な骨格
シリーズにおける謎解き小説としての魅力をもう少し掘り下げてみたい。〈鯉ケ窪学園〉シリーズは高校生を主役に据えた学園小説ではあるが、殺人事件が発生し探偵部を始めとする学生たちが謎解きに興じることも多い。第1作『学ばない探偵たちの学園』では足跡の無い密室が登場し、見取り図も挿入されながら探偵部三人組の推理が展開することになる。ちょっとおバカ、じゃなくて個性的な三人組が繰り広げるギャグ交じりの会話に目が行きがちだが、その傍らで細かいアリバイ検証や空間把握が緻密に描かれていくなど、謎解き小説としては実に手堅く作り込まれているのだ。学校という舞台を最大限に活かしたアイディアが詰め込まれているのも特徴で、現時点でのシリーズ最新作である『朝比奈さんと秘密の相棒』(2024年刊行)に収められている「天使はプールサイドに浮かぶ」など、ジョン・ディクスン・カー張りの外連味に溢れた謎が学校施設で描かれるエピソードもある。ユーモアに満ちたキャラクター描写に惹かれて物語世界へ入り込むと、その中では謎解きミステリとしての骨格が強固に組み上げられているのを読者は目撃するだろう。
地道な推理の楽しさと言う点では、第2作『殺意は必ず三度ある』がお薦めである。広島カープの大ファンであり、〈野球が好きすぎて〉というシリーズまで書いてしまう東川が書いた初期の野球ミステリで、最初から最後まで野球だらけの本格謎解き小説である。同作において登場人物達が随分と大掛かりなアリバイ検証を行う場面が用意されているのだが、さながら鮎川哲也の鉄道ミステリのような緻密さを以って推理が進行していくのだ。いや、『殺意は必ず三度ある』は野球小説なんだけれど、当該場面の読み心地は何だが鉄道ミステリみたいなのだ。同作の魅力はそれだけではなく、終盤にあっと言わせるような仕掛けが待ち受けている点も印象的な小説である。このシリーズだからこそ許容されるであろう、綱渡りのようなことをさらっと書いているのだ。東川によれば第1作の『学ばない探偵たちの学園』が刊行当時それほど話題にはならなかったのを見て、「冒頭に提示された謎を探偵役が論理的に解決するというスタンダードな謎解き小説は支持されにくくなっているのかも」と感じ、以降の長編作品では物語の構成や結末の意外性に拘ったものを意識するようになったという。『殺意は必ず三度ある』もその路線に連なるものだが、先ほど述べた地道な推理の部分と終盤のひっくり返しが上手く組み合わさっているのが面白い。
●トリック以上に多彩な「手がかりの隠し方」
謎解き小説としての〈鯉ケ窪学園〉シリーズでもう一つ重要なのは、同じシチュエーションや興趣が反復的に書かれていることである。シリーズ第4作『探偵部への挑戦状』を例にとるのが一番わかりやすいだろう。同書は『放課後はミステリーとともに』の主役である霧ケ峰涼と長編2作で活躍した探偵部三人組が共演する連作短編集である。2編目の「霧ケ峰涼と瓢簞池の怪事件」では校内にある池の傍で起こった凶器の謎を霧ケ峰達が解く話であるのだが、それを経た後で同書を読み進んでいくと「あれっ」と思うことが出てくる。最終話に当たる「霧ケ峰涼とお礼参りの謎」でも同じ瓢簞池の傍で起こった事件における消えた凶器の謎を描いているのだ。また第1話の「霧ケ峰涼と渡り廊下の怪人」は足跡の無い犯行現場の謎を扱ったものだが、第6話の「霧ケ峰涼への二度目の挑戦」で再び犯人の足跡が見当たらないという謎が描かれる。おお、考えてみれば第1作の『学ばない探偵たちの学園』における密室の謎も「犯人らしき足跡が無い」ものだったではないか。という具合に〈鯉ケ窪学園〉シリーズでは謎解きの興趣やそれが描かれるシチュエーションが複数の作品で重なり合うようにして書かれているのだ。
では謎解き小説としてマンネリズムを感じるのかというと、全くそんなことは無い。むしろ逆で、同じようなシチュエーションや謎のタイプが書かれているにも拘わらずバリエーションが豊かな連作集に感じるのだ。東川作品の美点の一つに手掛かりの提示への拘りがある。つまり似たような設定で書かれた謎でも、手掛かりの隠し方や示し方のパターンを変えるだけで如何様にも違う物語を作り上げることが出来る、ということを書いているのだ。これは〈鯉ケ窪学園〉シリーズに限らず〈烏賊川市〉シリーズや〈謎解きはディナーのあとで〉シリーズにも共通することで、トリック以上に推理の過程で提示される手掛かりの扱い方が印象に残るエピソードが東川作品には多いのである。
●学園の「遊び心」は進化する
第4作『探偵部への挑戦状』を経た後、〈鯉ケ窪学園〉シリーズは探偵部のメンバー以外の生徒たちを主役にして継続することとなる。2020年に刊行された『君に読ませたいミステリがあるんだ』は、「第二文芸部」の部長である自称・学園一の美少女である水崎アンナが一年生の“僕”に自分の書いたミステリを無理やり読ませる、という設定だけでお腹いっぱいな気持ちになる連作集だ。アンナの書く小説は学園を舞台にした謎解きミステリなのだが、“僕”は作品内における詰めの甘いところに容赦なく突っ込みを入れる。この突っ込みがミステリ小説の新人賞の下読みを担当している人間ならば「御尤も」と頷いてしまうようなものばかりで、思わず笑ってしまう。いわゆる作中作を使ったミステリで、文庫版解説で千街晶之も指摘しているように同書が刊行された時期には“作中作ミステリ”の作例が目立っていた。『君に読ませたい~』の2年前にはアンソニー・ホロヴィッツの『カササギ殺人事件』(山田蘭訳、創元推理文庫)が邦訳されている。もっとも東川自身は別段そのような潮流が来るなどと意識したわけではなく、たまたま同趣向の他作品と刊行が重なっただけだと言える。重要なのは作中作という趣向を用いるなど、キャラクターだけではなくミステリとしての形式においても多彩さを披露するようになったことだ。
そうしたシリーズの広がりを感じさせるのが第6作の『朝比奈さんと秘密の相棒』である。これは学園理事長の娘である朝比奈麗華と、ミステリ研究会に所属する石橋守のコンビが学園周辺で起きる事件に挑む短編集だ。(あ、ちなみに鯉ケ窪学園には探偵部とは別にミステリ研究会が存在している)同書の刊行は2024年、つまりシリーズ開始20周年記念に当たる作品なのだが、一見すると何の変哲もないバディものの謎解きミステリに思えるだろう。だがタイトルにある通り、同書にはある秘密が隠されている。その秘密が何なのかは口が裂けても言わないが、この秘密が謎解き小説としてのスパイスになっていることは伝えておこう。『朝比奈さん~』について東川自身は「このシリーズの世界観であれば、『こういうことを書いても別に違和感はないかな』と思うことをやってみた」としれっとした感じで述べていたが、いやあ、いくら緩い世界観の〈鯉ケ窪学園〉とはいえシリーズの途中でこんなことは書かないですよ、東川さん。「まあ、ネタ切れなんでしょうね……」なんて謙遜なのか冗談なのか判断が付かないことも東川はインタビューで言っていたが、『朝比奈さん~』のような遊び心に溢れた作品も書かれることで、〈鯉ケ窪学園〉は学園ミステリ史に残る楽しい謎解き小説シリーズとして存在感を放ち続けている。
●本格ミステリのキャラクターは成長しなくていい
『学ばない探偵たちの学園』が刊行された2004年は米澤穂信が〈小市民〉シリーズの第1作である『春期限定いちごタルト事件』(創元推理文庫)を発表した年でもある。米澤のデビュー作『氷菓』(2001年、角川文庫)に始まる〈古典部〉シリーズは所謂“日常の謎”を扱う学園ミステリないしは青春ミステリの祖型となり、似鳥鶏の〈市立高校〉シリーズや初野晴の〈ハルチカ〉シリーズなどの人気作が登場することになる。それらのシリーズでは主人公達はときに青春の苦みを味わいながら成長していく様子も描かれるのだが、同じく2000年代以降に書かれた学園ミステリシリーズでも鯉ケ窪学園の登場人物達は成長しない。みんな変で、ときに途方もなく賢くなるし、ときに途方もなく愚かにもなる。その繰り返しをしながら、しかし登場人物達は特に成長することもなく物語の中に存在するのだ。
今回の原稿を書くにあたって行ったインタビューで最も印象深かったのは、東川が自作の登場人物達が成長しないことについて語った時だ。
「〈鯉ケ窪学園〉シリーズに限らず、私の作品の登場人物はぜんぜん成長しないんですよ。〈烏賊川市〉シリーズに出てくる探偵の鵜飼杜夫だって、あれだけ色々な事件に関わっているにも拘わらず、人間として成長する素振りを全く見せませんよね。でもミステリ、特に本格謎解き小説の主人公は成長しなくたって構わないと私は思っているんです。だってコナン・ドイルのシャーロック・ホームズも別に作品ごとに人間的な成長を重ねているわけではないでしょう? 探偵役は成長しない、というのは本格ミステリの特徴の一つであるとすら私は思っています。」
成長しない主人公、か。確かに読者は物語の主人公に成長することを求めすぎているのかもしれない。いや、物語だけではなく実社会においても“圧倒的成長”なんて言葉が至るところに溢れている状況である。そんなに成長、成長なんて言わずに謎解きでもしながら楽しくやろうよ、と〈鯉ケ窪学園〉シリーズの登場人物達は語りかけているのではないか。だから「成長しなきゃ」と頑張り過ぎていそうな人を見かけたら、この小説を差し出してこう言おう。
成長しなくたっていいじゃないか、鯉ケ窪学園だもの。