伝説の少女雑誌『My Birthday』展と“奇跡”の同窓会

占いと運勢に一喜一憂した、あの頃の少女たちへ 伝説の少女雑誌『My Birthday』展と“奇跡”の同窓会

レポート

2026.08.25

 1979年の創刊から2000年代にかけて、少女たちの心を鷲づかみにし、最盛期には発行部数40万部を誇った伝説の占い雑誌『My Birthday』。その歴史と魅力を余すことなく伝える展覧会『My Birthday』展が弥生美術館(東京都文京区)で開催されています。かつての読者だけでなく、レトロカルチャーを愛する若い世代からも熱い視線を集める本展。その開幕に先駆けて行われた内覧会は、レジェンド占い師たちや歴代の製作陣、愛読者が集結し、涙と熱気に包まれた感動的なイベントとなりました。(文・写真/編集部)


◎愛読者の長年の思いが結実した「奇跡の同窓会」

 スマートフォンもSNSもなかった時代、少女たちの悩みや願いを一身に受け止めていたのは、毎月発売される占い雑誌。恋のおまじない、星占い、妖精たちの物語――『My Birthday』は、単なる情報誌を超えた「少女たちのバイブル」として一世を風靡しました。
 今回の展覧会を企画したのは、弥生美術館の学芸員・内田静枝さんです。内田さん自身も熱烈な『My Birthday』の読者で、中学生時代にはルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ先生に「弟子にしてください」と志願する手紙を書いた(しかも先生からはお返事が届いた!)ほど。本展は、彼女の「当時の思いを展覧会として再び灯したい」という長年の願いが実を結び、実現した企画だったのです。

  My Birthday創刊号表紙 本展に合わせて、実業之日本社では「『My Birthday』愛蔵版 1979~2006」を刊行。その製作費を募るクラウドファンディングが実施され、支援者である「かつての読者」が招待されました。
 少女時代に胸を躍らせながらページをめくっていた読者たちが、数十年の時を経て、憧れの先生方や製作スタッフと直接顔を合わせる――。まさに「奇跡の同窓会」のような熱気に満ちた会場で、まず実業之日本社の社長が挨拶に立ち、明治から昭和にかけて同社が出版していた少女雑誌『少女の友』のDNAが『My Birthday』に受け継がれていると語り、関係者と読者へ感謝を伝えました。
 続いて、創刊時の編集長で、現在説話社の社長を務める酒井文人さんが登壇。40万部という大ヒットの背景について「当時の編集部が占いの『素人』だったことが大きかった」と回顧。浅野八郎先生やルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ先生など一流の占術家たちが毎週のように編集部に赴き、占いを基礎から熱心に教えてくれたおかげで、「素人である自分たちが、同じく素人である読者に向けて、いかに分かりやすく伝えられるかを追求」でき、「当時は目を回すほど忙しかったけれど、みんなで『楽しいね』と転げ回りながら雑誌を作っていた」と振り返りました。

◎鏡リュウジ氏が語る「実業之日本社と占い」の関係

 会場には、日本の占いブームを牽引してきたレジェンド占い師たちも姿を見せました。
 エミール・シェラザード先生は「時計の針が戻ったかのような空間で、お話をできて大感激です…」と涙ぐみながら、「毎日の運勢」12星座の男女別に30日分を、読者への愛の結晶を紡ぐような思いで、原稿用紙に鉛筆で手書きしていたという秘話を明かしました。
 マドモアゼル・愛先生は、当時の読者の熱狂ぶりを回顧。新宿で営業していた「星占いの館」に創刊間もない「My Birthday」を置いたところ、訪れた少女たちが皆、食い入るように見つめる姿から「この雑誌は大変なことになると確信した」と、後の大ヒットを予見した逸話を披露しました。
 占星術研究家・鏡リュウジ先生からは、こんなエピソードが。「僕は男子校の中学生でありながら、『My Birthday』を夢中になって愛読していた『MBメイト』でした」ーー少女向け雑誌でありながら、神秘的な世界を探求する少年たちの心をも密かにつかんでいたのです。
 さらに鏡先生は、実業之日本社社長の「『少女の友』のDNA」という言葉をふまえ、
「1925年に、作曲家・山田耕筰が執筆した日本初の西洋占星術本『生れ月の神秘』などを出版するなど、実業之日本社には、古くから日本の占星術や精神世界の普及に深く関わってきた歴史があります。〈『少女の友』から受け継がれた遺伝子〉と、〈占い本の先駆的な会社としての遺伝子〉。この2つの遺伝子がみごとに合流して出来上がったのが『My Birthday』だと思います」と言及。会場は深い感銘に包まれ、雑誌が持つ文化的背景の豊かさを改めて実感する瞬間となりました。
(左から、マドモアゼル・愛先生、エミール・シェラザード先生、鏡リュウジ先生)

◎表紙担当の漫画家が語る、手描きの温もり

 本展で見逃せないのは、美しく繊細なイラスト原画の数々。CGのないアナログ時代、絵の具やペンの手描きで一枚一枚描かれた表紙には、作者の魂が込められています。歴代の表紙は5人の漫画家・イラストレーターが担当し、内覧会には、2代目の野崎ふみこ先生、3代目の小沢真理先生が駆けつけました。
 野崎先生は、現在行っているアート活動の個展で当時の表紙原画を展示したところ、来場したファンが懐かしさから涙を流し、一瞬にして乙女のような表情に戻る姿を目撃したそう。「すごい熱意を持って毎号雑誌を見てくださっていたことを、いま改めて感じています」と感激の面持ちに。
 小沢先生は、他誌での漫画連載と並行して表紙を手がけていた当時を振り返り、「My Birthdayの表紙を描くことが、自分の中のヒーリングになっていた気がします」と述懐。「私自身も占いが好きで、雑誌が届くたびに毎日の星占いの水瓶座のページを読んで参考にしていました」と、一人のファンとしても雑誌を楽しんでいたエピソードで、会場を和ませました。
(写真左・野崎先生の絵、右・小沢先生の絵)

◎編集部は「早稲田の不夜城」!?

 当時の誌面を、文字通り手作りで生み出していた歴代編集長やスタッフ4名(内野さん、金原さん、田中さん、吉川さん)の登壇で、会場の熱気はさらにヒートアップ。彼女たちから語られたのは、パソコンもインターネットもなかった時代ならではの、すさまじいエネルギーです。消しゴムに手書きでイラストを描いて「おまじないの付録」のアイデアを練るなど、アナログな作業に夜通し没頭、当時の編集部は「早稲田の不夜城」と呼ばれていたとか。
 「月に数万通ものハガキが読者から届き、編集部ではそのすべてに目を通していました。私たち自身が元々『My Birthday』の“ガチ読者”から編集部に入ったこともあり、読者と一緒に雑誌を作っているという強い実感がありました」
 寄せられた一つ一つの悩みに寄り添い、読者とのキャッチボールから、数々の企画やおまじないグッズが生まれていったのです。

◎世代を超えて受け継がれる「幸せを願う心」

 読者と作り手が直接手を取り合い、伝説の雑誌を蘇らせる「展覧会」と、一冊の「愛蔵版」を作り上げた今回のプロジェクト。それはまさに、月に数万通のハガキを通じて読者と一緒に雑誌を作っていた当時の『My Birthday』の精神そのものです。
 かつての読者世代はもちろん、レトロでかわいいイラストや、手作り感あふれるカルチャーに興味がある若い世代にも、ぜひ足を運んでいただきたいです。そこには、時代を超えても変わらない「誰かを思い、幸せを願う心」が展示されています。

*展覧会の詳細は、弥生美術館のホームページをご参照ください。
https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yayoi/exhibition/now.html