爽やかな涼しさと人情の温かさ。ミステリーのサプライズも潜む極上の時代小説 細谷正充(文芸評論家)

西條奈加『かぜゆら』ブックレビュー 爽やかな涼しさと人情の温かさ。ミステリーのサプライズも潜む極上の時代小説 細谷正充(文芸評論家)

書評

2026.09.29

 職人・長屋・人情・成長……。どれも時代小説では、よく扱われる題材やテーマだ。だが、ベテラン作家の手にかかれば、これが極上の物語になる。西條奈加の『かぜゆら』は、そんなことを感じさせる作品だ。

 本書は全六話で構成された連作長篇である。主人公の宇多次は、十五歳で町をさまよっていたとき、風鈴師の潟七親方に拾われ、松坂町二丁目にある松兵衛長屋――通称、煙長屋で一緒に暮らすようになった。以後、風鈴師になるべく修業を重ねる宇多次。しかし二年半前に潟七が亡くなる。さらに世話をしていた潟七の妻のお惣も三月前に病没してしまう。お惣の「この先、二年でいい。風鈴師の看板を下ろさずに、ここで暮らしておくれ」という遺言に従い宇多次は、煙長屋に住み続ける。だが、修業半ばだった彼は、まだ風鈴を上手く作れない。しかたなく回向院で、風鈴作製の過程である〝宙吹き〟を見世物にした大道芸で日々を過ごしている。小丸というどこかの小僧が五日に一度は見物にくるのが、わずかな救いだ。しかし夏の終わりにより、回向院での仕事も終わった。

 そんな宇多次を見かねたのが、長屋の雇われ大家の邑蔵だ。新たな仕事先として、びいどろ師の国平親方を紹介される。面白いのは邑蔵の行動が善意だけではないこと。店子が問題を起こせば、大家も責任を問われる。それを事前に回避するため、仕事先を紹介したのである。後の話でも意外と、したたかな立ち回りをしてくれる邑蔵。味のある脇役だ。

 潟七親方のことが忘れられず、しぶしぶ国平のところに行った宇多次。だが国平親方は思ったよりも若く、しかも作っているのが硝子問屋の加賀野屋から依頼された、南蛮医や学者が使うという奇妙な硝子細工だ。己の迷いを見抜いた国平親方に心を開き、宇多次は働き始めるのだった。


 というのが第一話「宙吹き」の粗筋だ。これだけでもいい話なのだが、最後に怪我を負った小丸が登場。何があったのかと読者の興味を惹きながら、第二話「小丸」へと続いていく。実は小丸は加賀野屋の小僧であり、何者かに暴力を受けていた。激怒する宇多次だが、真相は遣る瀬無い。いたずらに悪人を作らないのは、作者の美点だろう。また、宇次多や国平親方だけでなく、加賀野屋の若旦那で蘭学者の天卯や、女中のお櫂が、小丸のために行動を起こす。結果的に小丸は宇多次と一緒に暮らすようになるが、子供の未来を真剣に考える大人たちの姿が気持ちいいのだ。

 第三話「風鈴蕎麦」では、六年間音信不通だった潟七夫婦の娘のお勢が、いきなり帰ってきて、宇多次たちと一緒に長屋で暮らすことになる。また宇多次が、職人としての自分を見つめ直す。第四話「影踏み」は、宇多次の過去が明らかになる一方、お櫂とお勢に何らかの因縁があることが匂わされる。第五話「水燭」は、小丸の柔軟な発想をヒントに、宇多次が風鈴の新たな工夫を思いつく。

 そうそう、本書は風鈴の作り方や、奇妙な硝子細工に国平親方が苦戦する様子が、詳しく書かれている。ちなみに加賀野屋が依頼した硝子細工の絵が描かれた加賀屋(加賀野屋のモデルだろう)の引き札が、冒頭に掲載されている。丹念に調べた、江戸の硝子細工の世界も、読みどころになっているのだ。

 このように宇多次を中心とした人間ドラマと、職人としての成長を積み重ねてきた物語だが、最終話「両国橋」で衝撃の展開が! ああ、以前の幾つかの場面には、そんな意味が込められていたのか。これはもう、ミステリーのサプライズである。作者はテクニックを駆使して、ストーリーを盛り上げるのだ。

 だから物語に翻弄される。いったいどうなるのかとハラハラしながら、残り少ないページを捲っていくと、読んでいて嬉しくなるラストが待ち構えているのだった。

 さらに、考えついた新たな風鈴が、どれも不揃いで、どれも音が違うことから宇多次は、「まるで人間みたいだな」と思う。そして、関わってきた人たちの誰もが決して器用とはいえず、誰もが懸命に日々を生きている。その生き方の違いに、愛おしさがわいてくるのだ。その中に宇多次本人も含まれることはいうまでもない。この主人公の想いこそが、作者が書きたかったテーマだろう。

 ところで私の子供時代は、夏になると風鈴を吊るす家が少なからずあった。我が家も軒先に吊るしたものである。ちょっと風が吹くと「リーン」と鳴る風鈴の音は、たしかに〝涼〟を感じさせた。もちろん今のクーラーの効いた部屋のような涼しさとは別物だ。ただ、心の中に爽やかな涼しさが伝わってきたのである。

 それは本書も同様だ。しかも爽やかな涼しさだけではない。人情の温かさも一緒に伝わってくるのだ。ここに物語の得難い魅力がある。まさに、愛おしさがわいてくる作品なのである。