私の○○ベスト3Vol.80 桃野雑派 私の「シンパシーを感じる歴史上の人物」ベスト3

コラム

2025.04.29

1位:チェーザレ・ボルジア

2位:ハンニバル・バルカ

3位:韓信


 韓信、ハンニバル・バルカ、チェーザレ・ボルジア。この三人には共通点がある。名実共に一時代を築いた軍人でありながら、政治的な駆け引きに失敗し、無念のうちに生涯を終えてしまうところだ。

 特に韓信の対応は最悪だった。謀反を疑われて当然のことをしでかしながら実行する気はなく、処分にふて腐れ、いざ本当に謀反すると決断したのは、兵権を剥奪された後だった。決起するどころか計画は事前に露顕し、三族もろとも処刑された。

 ハンニバル・バルカは宿敵ローマを追い詰めるも、それ故に戦術を徹底的に研究されてしまい、最も優秀な弟子が敵国側に生まれ、敗れるという悲劇に見舞われる。その後亡命を余儀なくされるも、ローマに引き渡されそうになり、最後は自害した。

 どちらも、戦術史に残る偉業を成し遂げた名将にしては、あまりに無念な最後だ。

 ルネサンス時代を生きたチェーザレ・ボルジアも、無念さでは二人に劣らない。

 彼は、教皇である父アレクサンデル六世の支援を受け、領土を拡大する。イタリアが再統一されるかのような勢いで、実現は本当に目前だった。

 だが、突如病が二人を襲う。父教皇はあっけなくこの世を去り、領地は簡単に切り崩された。チェーザレを慕い、抵抗する領民や領主もいたが、当の本人が動けない状況ではどうしようもなかった。

 病から快復してからも、チェーザレの行動は精彩を欠いた。後遺症が彼を苦しめていたのかもしれない。だとしても、反ボルジアの筆頭であった、ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレと手を組んだのは、致命的だった。『教皇軍最高司令官』と『ロマーニャ公』の地位を確保するとの密約は、ジュリアーノが教皇になると同時に、簡単に反故にされた。これでチェーザレの破滅は決定的なものとなる。

 その後はナバラ王国に身を寄せるも、とある戦いで討ち死にする。三一歳という、短いが濃密な一生だった。

 歴史上の人物への接し方は人それぞれだ。手本としたり、ただ憧れたり、己を奮い立たせる材料としたり。どれが正解でどれが間違っているというものではない。

 自分の場合は、なんとないシンパシーを覚えて、記憶に留めることが多いようだ。きっと、報われることの少ない自分の人生を、彼らに重ねているのだろう。もちろん、ここに挙げた三人に、自分はなにひとつ及ばないのだけど。

 それでも、彼らが隣にいれば、肩でも叩いてこう言いたい。

 失敗したかもしれないけど、俺はあんたが頑張ったのを知ってるよ、お疲れさん。


ももの・ざっぱ

1980年、京都府生まれ。帝塚山大学大学院法政策研究科世界経済法制専攻修了。南宋を舞台にした武侠小説『老虎残夢』で第67回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。筆名は、敬愛するアメリカの伝説的ギタリスト、フランク・ザッパからとった。他の著書に『星くずの殺人』『蠟燭は燃えているか』などがある。