柴田亜美の「浮世の氣楽絵」第1回 彼のために筆を折ったのは22 歳の時だった

コラム

2025.06.25

 当時私は武蔵野美術大学短期大学部の油絵専攻を卒業し広告会社のイラストレーター。元々は画家になるため田舎から美大を目指し、高校から東京の美術専門予備校に通うのに親に沢山のお金を使わせてしまった。それなのに上京し入学した途端にできた恋人と半同棲。浮かれて絵もろくに描かずに遊びまくっていたものだから親不孝も甚だしい。

 そんな彼が在学中に有名な公募展で運よく奨励賞を受賞してしまい、「なんて才能がある人なの! 私は彼を支えて有名画家の奥さんになるわ!!」とあっさりと夢を鞍替えし、就職して結婚資金を貯めることにした。

 時はバブル。
 広告会社はバンバン儲かり私のお給料も潤っていた。その頃、漫画家の友人から「ドラクエの会社が4コマ描く人を探しているけど、亜美ちゃんゲーム好きだから描いてみれば」と誘われ、1本出したネタが担当者に気に入られ当時のエニックス社から発行されていた『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』で連載する事となった。

 毎巻読者アンケートが1位だったので担当者から「今度うちの会社が月刊少年誌を創刊する事になったから連載してくれないか」と頼まれた。その頃には両親にも恋人を紹介し結婚も決まっていたので「私、結婚するので単行本1冊分の6話しか描きませんからね」という約束を交わした。
 そうして始まったのが『南国少年パプワくん』である。

 広告会社のイラストレーターと漫画家の二足の草鞋に疲労は溜まっていったが、結婚資金も貯まる。6話の辛抱と思っていたら、2話目で悲劇が訪れた。恋人を10歳近くも年上の女に寝取られてしまったのである。
 浮気相手を呼び出し恋人と私と三者面談。「今すぐ別れて!」と切り出したら、なんと私の方があっさりと捨てられてしまった。

 その日の夜は頭が真っ白。担当さんから漫画の進行具合を確認するためにかかってきた電話で大号泣。電話口で担当さんから「わかった! 原稿を描き終わったらいくらでも泣いていいから、とにかく描け!!」となだめられながら描いたパプワくんの2話目。
 網タイツを履いた足の生えた鯛、タンノ君のギャグ「煮て良し!」「焼いて良し!」「でもタタキはいやッツ!!」は全国の子供達に大ウケで、現在でもLINE スタンプにもなっている。

 その後『南国少年パプワくん』はTVアニメになり全国放送され、私は足が生えた変な鯛を描く漫画家として名を馳せる事となった。


蓮華と鯛 アクリル、キャンバス 4F 2025年