お世話になっておりますFile 12. 手がかりの宝庫 柴崎友香
コラム
2026.07.28
お世話になっております。
思えばおつきあいは小説の仕事を始めるよりも前からのことですね。と言いつつも、はっきりいつからとは思い出せません。
学校に通うようになる前から、壁に貼られた大きな世界地図が好きでした。周囲にぐるりと各国の国旗が並んでいるのが特に好きで、どこがどの国かも国旗も全部覚えたいと思っていました。学校に通い始めたら、授業中に教科書や資料集の地図を眺めているのが好きでしたから、とにかくそこに自分の興味のあるものがいっぱい詰まっていることがわかっていたんだと思います。
よくいますよね、いちおう机には向かっているものの授業は聞いていなくて、教科書を熱心に読んでいるかと思えば開いているのは全然関係のないページだったり資料集や地図帳だったりする子供。まさに私がそれで、世界史の教科書や資料集の地図を見つめては、そこで人々の歴史が展開されるのをありありと想像して感動に打ちひしがれていました。
本格的にお世話になり始めたのは、大学で人文地理の授業を取ってからです。
入試のときも大学に入ってからも地理を専攻しようとは思っていなかったのですが、一般教養で出席した都市地理の授業があまりにおもしろかったのです。自分が育って暮らしてきた大阪、その道路や街の区画がどんな経緯で現在の形になっているか。それを知ってから地図を見ると、確かに、大阪城から大阪港に向かって町名ごとに1丁目、2丁目、3丁目・・・と並んでいる。一つの町名がついた区画は通りを挟んで両側に続いている。過去にこの地で人間がどんな生活を営み、どんな思想や構造があったか、あまりにも生き生きと眼の前に浮かび上がってくるようでした。
実習では、ある地域の地図を使って共通点を見つけたり、統計を反映させた地図を作ったり。昔からある一つの地名の区域にはたいていお寺と神社が一つずつはあるとか、各地方の気候と様々な家電の所有率の関係とか、地図から人間の生活を想像し、人間の生活や行動が地図に反映される。
私が小説を読んだり書いたりするのは、つきつめれば人間に興味があり、自分以外の人のことを想像したいからだと思うのですが、地図はまさにその手がかりの宝庫です。私にとって地図を見てその場所について考えることは、人について考えることと切り離せないのです。
小説を書くとき、たいていはまず、いつ、どこでのできごとなのかを考えます。
はっきりと実在の場所に基づかない場合でも、登場人物が暮らすのはどんな場所なのか、詳細に考えます。繁華街なのか郊外なのか、高温多湿か乾燥した土地か、道路は碁盤の目タイプか狭くて迷路系か、高い建物が多いのか、家と家との隙間が広いのか。それを決めていくうちに、小説の中の人たちが見る景色が私にも見え、彼らの話す言葉が浮かんできます。
いつしかお世話になるのは、紙の地図からインターネット上の地図になり、スマートフォンのアプリで表示される地図も加わりました。
登場人物がこんな場所にいるということが決まると、その道を歩くとどういう風景が見えるのか、確かめます。紙の地図を見て想像することもあれば、液晶画面でストリートビューを見ることもあるし、過去の空中写真や古地図、地形の高低差が詳細に表示されるアプリも使います。
ちょっと確認するつもりが、いつも気づけば何時間も見てしまいます。たぶん仕事でお世話にならなくても、私は一日中でも楽しく地図を見ていると思います。
なにがそんなに楽しいのかと、ときどき人から問われます。
このごろはこんなふうに答えます。地名や地形、風景から、そこになにがあったのか、どんな人がその風景を作り、生きてきたのか、 手がかりを見つけ、推測する、想像する。それは謎解きの楽しみでもあり、小説を読む楽しみと似ているんじゃないでしょうか?
昨年刊行した『帰れない探偵』は、具体的な地名は出てきませんが、探偵がいろんな土地を移動しつつ、そこで生きてきた人たちの記憶や思いを尋ね歩きます。まさに地図にお世話になってきたからこそ、書くことができた小説です。
これからもなにかとお世話になると思いますが、どうぞよろしくお願いします。
しばさき・ともか
1973年大阪府生まれ。2000年に刊行されたデビュー作『きょうのできごと』が行定勲監督により映画化され話題となる。2010年に『寝ても覚めても』で第32回野間文芸新人賞、2014年に『春の庭』で第151回芥川賞を受賞。2024年、『続きと始まり』で第60回谷崎潤一郎賞&第74回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。2026年、『帰れない探偵』で第77回読売文学賞小説賞を受賞。その他の著書に『ビリジアン』『パノララ』『わたしがいなかった街で』『週末カミング』『千の扉』『公園へ行かないか? 火曜日に』『待ち遠しい』『百年と一日』など多数。