「道なき道」のつくり方 為末 大 × 馬渕俊介──スポーツ・グローバルヘルスの実践から 後編

馬渕俊介『道をつくる』刊行記念対談「道なき道」のつくり方 為末 大 × 馬渕俊介──スポーツ・グローバルヘルスの実践から 後編

インタビュー・対談

2025.09.24

陸上競技選手としては前例の少ない“プロ”という選択で競技の世界を切り拓き、今はスポーツを社会に活かす道を探る為末大さん。世界銀行、マッキンゼー、ゲイツ財団という独自の道を経て、グローバルファンドで発展途上国の保健システム強化とパンデミック対策を率いる馬渕俊介さん。道が見えにくい時代に、道を見つけるために何が大切か、そしてそれをどう実践してきたのかを語っていただきました。肩書やスキルの羅列ではなく、経験を編集し直して物語を更新し続けることで「唯一になっていく」プロセスとは。頭で考えるだけでは見つからない“興奮の種”をどう見出し、夢を彫刻のように形づくるのか――実践知でひも解く対談の後編です。
文・構成/森谷 令(編集部)


唯一になる力


為末
グローバル組織の出世競争って、やはりかなり厳しいんですよね?

馬渕
そうですね。私がグローバルファンドの保健システム部長になったときも、世界中から何百という応募があったそうです。特にディレクター級のポジションは、国際的なリーダーとしてのキャリアを積んだ人たちが殺到する。その中から「唯一の一人」に選ばれなければならないんです。

為末
すごい競争ですね。

馬渕
だからこそ「自分はなぜこの仕事に最適なのか」を語れる力が必要です。「この仕事ができるだろうな」という人はたくさんいます。でも「唯一に選ばれる人」になるには、さらに自分を磨き、説得力のあるストーリーを持たなければならない。

面接で必ず問われるのが、「なぜ自分がこの仕事をやるのか」「なぜこのポジションに最適なのか」。その答えは、自分のキャリアをストーリーとして語れるかどうかにかかっています。
このポジションで大きな結果を出すために必須なスキルや経験は何か。それに対して自分は、どんな問題意識を持ち、どんな情熱を抱いてどう経験を積み重ねてきたのか。その結果、自分こそがこのポジションで大きなインパクトを残せる──それを伝えられるかが勝負なんです。

為末
なるほど。単なるスキルの羅列ではなくて、自分の物語を語れるかどうか、ということですね。

馬渕
そうです。
さらに重要なのは「自分がその仕事に就いた後をどうイメージしているか」です。日本人だけではなく、多くの人はここが弱い。その仕事の内容だけでなく、組織の状況などもできる限り調べ、実際にそこで働いてる人にもヒアリングして、そのポジションの課題や組織の方向性をできる限り理解し、「自分ならこう変える」と具体的に語れること。これができる人が「唯一の一人」になるんです。

為末
「自分がその仕事にいかに適しているか」という物語だけでなく、「実際にこういう働きをする」という未来まで語る力が必要なのですね。

そうして重ねてきたキャリアの中で、一番苦労されたことはどんなことですか?

馬渕
英語と、欧米カルチャーの中でのリーダーシップです。
私は海外で育ったわけではなく、日本の教育だけで育ちました。大学に入るまで英語は全く話せなかった。留学はしましたが、マッキンゼーの南アフリカオフィスに移籍したときに、いきなり企業のCEOやCOOと議論するようになって。
さらにチームのリーダーとして、英語で人を動かすのは本当に難しかった。チームの人たちの議論のスピードについていけず、リーダーとしてまとめ上げて次へ進めていくのも苦労しました。

20年かけて挑み続けてようやく良いスピーカーだ、と言ってもらえるようになり、リーダーとしても自然にできるようになったという感じです。

為末
ああ、それは大変でしたね。

馬渕
私は留学する前は、すごくしゃべるタイプで、自分でもそう思っていたんですね。留学したら途端にしゃべるのが一番下手で、もうみんな大統領かっていうくらい、自信満々で強気でしゃべる。

最初のスタディグループでは、鍛える意味もあって、あえてアメリカ人のチームに入ったんですけど、みんなめちゃくちゃしゃべるのに、何も分かってないから全然進まなくて。

為末
もどかしいですよね。
自分には思いがあっても、言葉にして出すと4割減くらいになっちゃって、うまく伝わらない感じ、僕も経験があります。
でも、だんだん日本人の立ち位置みたいなものを感じるようになりますよね。なんて言うか、落としどころを見つける役割をやることとか。
「日本人が一人いると、チームがなんとなくいい空気になる」っていうのは良く言われる感じがあります。

馬渕
うん、本当、そうですね。
日本人の強みとしてよく言うのが、3つあって。
一つは詳細を詰めてちゃんと実行すること。日本の人はそれが習慣になっているので、実行力があります。二つ目は、「人の話をよく聞く」こと。人の気持ちもよく考える。そして三つ目は、ちゃんとまとめたうえで話す。
国際機関で働くと、それがチームメンバーとしては全部とても役立ちます。
ただ、リーダーになると「ビジョンを明確に語る力」が求められる。そこが壁ですね。

為末
ああー。そうか、なるほど。

馬渕
リーダーは、正解を言う必要はない。でも「私はこう思う、だからこう進もう」と、自信をもって明確に示す力は必須です。間違っていたら直せばいい。
正解を言わなくては、と考えがちな日本人にとっては難しい課題ですが、ここを越えれば大きな強みになると思います。ビジョンを語る、というのは、これから海外に出る出ない関係なく、大事な能力だと思います。

為末
そうですよね。これから大事になる能力ですね、海外に出る出ない関係なく。

馬渕
それができるようになると、もともと持っている強みと合わせて、ユニークなリーダーになります。これからは、こういったリーダーが世界的に求められると思います。

私もそういうリーダーだと言ってもらえることがありますが、そうなれたのは、鍛えられる環境にずっといたからだと思います。
なので、環境を選びながら行くということも大事です。

為末
強みがあまり発揮されないような分野では、いくら行きたくても、なかなかうまくいかないような気がします。

馬渕
為末さんは、引退という大きな変化の後、どのように強みを発見されたのですか?

為末
正直、34歳で引退してから次の道を全く考えていなかったので、最初は全然分かりませんでした。競技の世界では数値で強みが測れる。スピードがあるとか、記録が出るとか。でも引退して社会に出たとき、自分の性質もスキルもほぼ分からない状態で。
でも、強みを発見することは、道なき道を行くには必要なんですよね。

馬渕
大事ですね。うん。それはどうやって模索されたんですか?

為末
まず一つ、私はすごい飽き性なんですよね。だから同じことを20年続けるのは向いていないだろうなと、それは結構早い段階で思いました。
そんな中で、コメンテーターの仕事をいただくようになり、言葉で整理して伝えることは意外と苦手ではない、と気づいたんです。

もともと「スポーツを通じて社会を良くしたい」という思いがあって。ただ、スポーツ界のど真ん中でやろうとすると、ある意味で政治的な競争をしなくてはならない部分があり、自分には合わない。そこで、自分の強みを活かしつつ「別のやり方でスポーツを社会に役立てる」道を探しました。

馬渕
競技の協会に所属して活動していく方が、アスリートの方にも想像しやすい、道ある道、だと思うんですけど、そうではない立場からスポーツを推進するというのもできそうだな、という感触は、どうやって得られたんですか?

為末
逆に、その立ち位置が空いている感じだったんですよね。
スポーツ推進って、競技力を向上させるという方向性と、社会貢献に使う方向性があった場合、多くの引退した選手は前者に行く。次のオリンピアンを育てる、とか。

でも自分が引退する間際に、国連の方だったと思うんですが、スピーチを聞いて。
国同士の関係がおかしくなる時に、科学とアートとスポーツ、この三つの交流は残る。それらを残すということは、外交上、世界の安定の上でとても大事なんだっていうお話をされていて。
あ、自分はどっちかというと、スポーツ教育や、平和に利用する、ということに興味があるな、と感じたんです。

馬渕
私も高校卒業時点では、世の中に対して何をするとか、自分の意思とか、何もなかったんです。
野球とか、受験勉強とか、決められた枠組みの中でどうやったらうまくいくか、ということはやっていましたが、それは何もないところから、一番好きなことを見つけてやりなさい、っていうのとは違います。

大学で、途上国を回る旅に出て、行きたいところに計画もなく、全部自分で意思決定してやる、というのが始まって。そこからいろんなことをやって、人を巻き込んだり、楽しい経験、成功した経験をたくさんした。その結果、それを力にしていく、という方法を身につけられたんです。
この「行動と成功の型」を早いうちにどれくらい身につけられるかで、その後の展開度が違うと思います。

為末
それは、僕も思い当たるところがあります。
アスリートの世界って、自分の道を行くっていうイメージがあると思うんですけど、実は結構、やることは決まっているんですよね。とにかく結果はランキングなので、目指す道はかなり直線的、一本道なんです。だからやはり引退後に迷う選手もいて。

僕は大学生くらいから、コーチをあまりつけないで独学でまわしつつ、分からないことは本を読んだり、人に聞いたり、人を巻き込んだりしてきました。そういう決められたことだけではなくて、もうちょっと複雑性の高いところって言うんですかね、そこでやってきたことは、強みになっていると感じます。

馬渕
はい。

為末
僕が現役引退後、特に関心を持ったのが「スポーツ外交」でした。
後に国際卓球連盟の会長を務められた荻村伊智朗さんという名選手がいます。彼は中国とアメリカの国交が正常化する前に、卓球の国際大会を開いた。そのことが国交回復に向けた国民感情を動かしたと言われています。

萩村さんは早くに亡くなられたのですが、最後には北朝鮮と韓国の間でも同じような試みをされていた。これを知ったとき、スポーツが国と国の関係を変える可能性を持っていることを強烈に感じたんです。

馬渕
なるほど。それはすごいですね。

為末
ネルソン・マンデラ氏も、南アフリカでラグビーを通じて国を一つにまとめ直そうとしました。スポーツには社会の分断を乗り越える力がある。もちろん、逆の方向にも使えるので諸刃の剣でもありますが、意識を変える瞬間をつくれるんです。

僕は「スポーツを社会のために使う」ということに興味があります。教育や平和構築のためにスポーツを使う。日本ではまだ少ない活動ですが、ヨーロッパなどでは盛んに行われています。

アフリカとかに教えに行くと、僕と同じ環境で育っていたら、全然僕より速く走れるんじゃないか、っていう選手にやっぱり出会うんですよね。
そういう意味でも、本当の世界一決定戦をやるには、選手強化をするより、情勢を安定させ、環境を整えていく必要があります。

馬渕
私もナイジェリアや南アフリカに滞在したとき、サッカーをするだけで多国籍の人々が一つのコミュニティになったのを体験しました。国や宗教や立場を越えて、人と人がつながる。スポーツにはそういう力がありますよね。

特に重要だと思うのは「国民感情」です。政治は理屈だけでは動きません。人々の感情が「この方向なら受け入れられる」となって初めて大きな決断ができる。その意味で、スポーツや文化は土壌をつくる役割を果たせる。

為末
意思決定の具体的な予算配分までは変えられなくても、人々の分断を和らげたり、前向きな空気を生み出したりできる。だからこそ、スポーツをそちらの方向に使う意思を持つことが大事だと感じています。

馬渕
これからの分断が進む世の中では、ますます必要になってくるでしょうね。

為末
馬渕さんは、自分のキャリアを選ぶときに「憧れた人」や「ロールモデル」の存在はありましたか?

馬渕
そうですね、例えば緒方貞子さん。国連難民高等弁務官として世界をリードされた姿に強く憧れました。ただし「緒方さんと同じことをやりたい」わけではないし、それは無理です。むしろ、あのように世界でリーダーシップを発揮できる人間になりたいと思ったんです。

また、文化人類学者で「開発プロジェクトを受け取る側の人々の戦略」を分析したロバート・チェンバースという研究者にも影響を受けました。援助を提供する側のロジックモデルと、受け取る側の人々の現実とのせめぎ合い。それを解き明かす姿に感銘を受け、自分もそうした分析ができる人になりたいと思いました。

結局、自分がなりたい姿は「複数の憧れの要素の組み合わせ」だったと思いますね。

為末
なるほど。

馬渕
キャリア自体も、同じように、いろんな経験や能力を組み合わせることで、唯一無二の、ユニークな存在になれると思います。

為末
本当にそうですね。
それに経験も、どれが役立つかは後になって分かることもある。スティーブ・ジョブズの「コネクティング・ザ・ドッツ」じゃないけれど、若い頃には無駄に見えたことが後に生きてくることも。

馬渕
まずはやってみながら、これは好き、これは違う、というようなことをつかみとって、少しずつ自分の道を形にしていく、というやり方を、日本の人ももっと身につけていけたらいいと思います。
「コネクティング・ザ・ドッツ」に関してもう一つ大切だと思うのは、それぞれの経験を中途半端で終わらせず、自分の財産として濃いドットになるまでやり切ることです。どんなことでもそれが自分の血肉として強みの一つになるまでやることで、経験の組み合わせを活かすことができるようになります。


(2025年8月15日収録)


前編:道は自分でつくるもの

為末 大(ためすえ だい)

1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2025年9月現在)。現在はスポーツ事業を行うほか、アスリートとしての学びをまとめた近著『熟達論:人はいつまでも学び、成長できる』を通じて、人間の熟達について探求する。その他、主な著作は『Winning Alone』『諦める力』など。



馬渕 俊介(まぶち しゅんすけ)

1977年生まれ。東京大学卒業後、国際協力機構(JICA)、マッキンゼー日本、南アフリカオフィスを経て、世界銀行勤務。2014~16年に西アフリカで大流行したエボラ出血熱の緊急対策を統括し、流行の収束に大きく貢献。その後ビル・ゲイツ率いるゲイツ財団で副ディレクターとしてプライマリーヘルスケア戦略の策定などを担当。コロナ禍には、WHOの独立パネルでパンデミックを二度と起こさないための国際システムの改革を提言。2022年からグローバルファンドで、途上国の保健システム強化及びパンデミック対策を統括。ハーバード大学公共政策修士、ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生博士。