
25年2月新刊 島根の盲学校を舞台にした将棋小説
『見えなくても王手』が生まれるまで 佐川光晴
出雲と松江に取材旅行に出かけたのは2024年2月13、14日の両日だった。同行してもらった妻にとっても初めての土地である。
新作『見えなくても王手』は、『駒音高く』(実業之日本社文庫)に続く将棋をテーマにした書下ろしの長編小説で、盲学校=視覚特別支援学校で学ぶ小・中学生たちが将棋をおぼえてゆくという大まかな設定については、すでに担当編集者の賛同を得ていた。ただ、舞台を島根県にしたのは私の一存であり、その理由は聞かれなかったように思う。
これまで、私はあまり取材旅行をしてこなかった。私小説家のごとく、自身の経験に忠実ではないものの、土地勘のある場所を舞台にすることが多かったからだ。とくに大学生活をおくった札幌を含む北海道には思い入れがあり、インターネット上の感想で、「どうしても北海道をださないと気が済まないんだな」と呆れられていたのには苦笑した。
0~4歳・東京都新宿区上落合。4~18歳・神奈川県茅ヶ崎市鶴が台。18~24歳、北海道大学恵迪寮。24歳~埼玉県浦和市→志木市というのが私の居住地の変遷で、22~23歳の1年間は中南米諸国に遊学していた。
一見してわかるように、西日本には縁が薄く、『日の出』(集英社文庫)の主人公である馬橋清作と浅間幸三郎が石川県小松市出身なのは、私の母方の祖父が小松の生まれ育ちだからだ。『鉄道少年』(実業之日本社文庫)の大阪は、鉄道好きの弟が大阪の大学で学んでいたことによる。
本作の舞台を出雲・松江にしたのは、主人公・及川正彦の家を老舗のそば屋にしたからだ。島根県では、粒は小さいが香りの高い奥出雲地方の在来種を復活させて、「横田小そば」と名付けて積極的に栽培しており、出雲も松江も、そば処として有名であることを、私は以前から知っていた。
一方、作中でもふれているが、盲学校=視覚特別支援学校に通う児童生徒は、「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師」になるものが最も多い。職業別就職件数の約30%を占めており、希望者は高等部になると専門的な授業や実習を受けて、国家資格を得るための試験に臨む。ただし、就職率は39%と、高いとは言いがたい。
そこで将来、家業を継ぎ、そば打ちをなりわいとしてゆくなら、正彦は存分に将棋に打ち込めると考えたのだ。それに縁結びの聖地・出雲大社も、この機に、妻を伴い訪ねたい。
そう強く思ったのは、2022年7月に私が大患にみまわれたからだ。その顛末は「日刊ゲンダイDIGITAL 独白愉快な“病人”たち 佐川光晴」に詳しいので、そちらに譲るが、急変した体調になすすべもなく横臥した私は死を覚悟した。行年57は、少々短いにしても、おおよそのことは成したのではないか。
駆けつけた救急隊員の適切な処置により一命は取り留めたものの、細菌性の劇症肺炎によるダメージは甚大で、体重は一夜にして10㎏以上も落ちた。退院後の1年間は1日のほとんどを寝てすごすしかなく、逞しかった体躯はやせ細ったまま。1時間も机に向かうと動悸がして、咳き込んでしまう。
不幸中の幸いだったのは、倒れる前に単行本2冊分の原稿を書き上げていたことだ。おかげで、文芸誌『すばる』(集英社)では当初の予定どおり、9月売りの10月号から「あけくれ」の連載が始まった(2023年5月号まで、同年12月『あけくれの少女』と改題して刊行)。
もう一作の連作短編集『猫にならって』(実業之日本社)は2023年2月に刊行された。
それはよかったが、いずれは新作に挑まなければならない。しかし、一からの創作は、改稿作業とは比べものにならない体力・気力を要する。現状では、心もとないと言わざるを得ず、まさに神に祈る気持ちで、私は妻に付き添われて早朝の飛行機に乗ったのである。
ありがたいことに天候に恵まれて、道行も順調。午前10時には出雲大社の勢溜(せいだまり)の大鳥居をくぐり、下り参道を歩いてゆく。3連休明けで、人影はまばら。八雲立ち昇る地にはめずらしい快晴とあって、清々しい気が神域に満ちている。
しかしながら、家を出たのが午前4時前ということもあり、私は度々足を止めて、からだを休めなければならなかった。
ようやく拝殿にたどり着き、極太の注連縄の下で、妻と並んで手を合わせる。拝殿の背後にそびえる高さ24m余の御本殿を囲む塀に沿って時計まわりに歩き、祭神・大国主命の親神である素戔嗚尊を祀る素鵞社(そがのやしろ)など、どのお社にも二拝、四拍手、一拝して、歩を進めていると、一枚の案内板に目がとまった。
そこには、八十神たちに計られて命を落とした大国主命が、母神の求めで天から舞い降りた二人の姫による介抱を受けてよみがえる、古事記の一節が記されていた。その後、黄泉の国に向かった大国主命は素戔嗚尊の娘・須勢理姫を得て出雲に帰り、末永く国を治める。
「ああ、そうだったのか」
感極まった私はその場を動けなかった。一時期、熱心に読んでいた、赤羽末吉絵・舟崎克彦文による『日本の神話』(全六巻 あかね書房)の第四巻『いなばのしろうさぎ』の一場面が瞼に浮かぶ。黒く焼け焦げた姿で横たわる大国主命に、衣を着た姫たちが貝のからをけずった薬を塗っている。
はなはだ不遜だが、私は自分を大国主命と重ねて、再生をたしかなものとするために、出雲大社を訪れたのだ。事前に思い起こすことはなかったが、頭の奥底の記憶が、私に出雲を選ばせたのだ。
もっとも、私の足取りはおぼつかないままだったから、妻とよりそって参道をゆっくり戻り、神門通りの甘味処で、出雲発祥とされる名物のぜんざいを食べた。そしてJRの特急で出雲から松江に向かい、午後3時頃、西浜佐陀町の島根県立盲学校を訪ねたのである。
それからおおよそ1年が過ぎた2025年2月1日、『見えなくても王手』が刊行された。
この1年で、私の体調もかなり回復した。2、3時間続けて机に向かっても、動悸や咳に悩まされなくなったが、還暦を迎えたこともあり、万事無理をせず、早め早めに休むようにしている。
かなうなら、もう一度、妻と共に出雲大社を参拝し、島根県立盲学校に挨拶にうかがいたいと思っている。
●プロフィール

佐川光晴(さがわ・みつはる) 1965年東京都生まれ、茅ヶ崎育ち。北海道大学法学部卒業。2000年「生活の設計」で第32回新潮新人賞、2002年『縮んだ愛』で第24回野間文芸新人賞、2011年『おれのおばさん』で第26回坪田譲治文学賞、2019年『駒音高く』で第31回将棋ペンクラブ大賞文芸部門優秀賞受賞。このほかの著作に『牛を屠る』『大きくなる日』『鉄道少年』『満天の花』『日の出』『猫にならって』『あけくれの少女』などがある。