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私の○○ベスト3
Vol.25 志駕 晃 私が関わったレアな「オールナイトニッポン」ベスト3

1位 手塚治虫のオールナイトニッポン

2位 安室奈美恵のオールナイトニッポン

3位 立川談志のオールナイトニッポン



小説家になる前に、私はニッポン放送のラジオディレクターだったことがある。私が関わったレアな「オールナイトニッポン」ベスト3。

■第三位■「立川談志(たてかわ・だんし)のオールナイトニッポン」(1996年12月17日)

当時、「高田文夫(たかだ・ふみお)のラジオビバリー昼ズ」のディレクターだった私は、還暦を迎えた談志師匠の魅力にすっかり嵌(はま)ってしまい、この人で今「オールナイトニッポン」をやったら絶対に面白いと思い、高田文夫先生に相談した。
高田先生もそして談志師匠もこの話にのってくれて、トントン拍子に話が進み、放送数日前に録音することになった。しかしなんと談志師匠の第一声は、「北朝鮮からミサイルが飛んでくるぞ!」。
首を覚悟でそのまま放送するかと悩んでいたら、「ピーを入れてもいいからな」と高田先生に言われて助かった。

■第二位■「安室奈美恵(あむろ・なみえ)のオールナイトニッポン」(1996年1月27日)

初武道館を含む全国ツアーの発表を兼ねて、安室ちゃんがワンマンDJを初担当。改めて番組を聴き直したが、全然内容を覚えていなかった。しかしなかなか面白い放送で、23年前の自分グッジョブ。
当時18歳だった安室ちゃんはあまりにも可愛いくて、打合せ中にマジで緊張したことは覚えている。

■第一位■「手塚治虫(てづか・おさむ)のオールナイトニッポン」(1987年1月1日)

なんと漫画の神様・手塚治虫先生も、一回だけ「オールナイトニッポン」をやっていた。明治大学漫画研究会を卒業し、入社一年目だった私は、お手伝い要員としてこの貴重な番組に立ち会い、そしてベレー帽姿の手塚先生と少しだけ会話もした。
ニッポン放送三階の公開放送用スタジオに、手塚先生直筆による「火の鳥神社」を作り、一〇〇人のリスナーを呼んで生放送がスタート。先生はお正月だというのに、放送直前まで原稿を書いていたはずだが、見事なフリートークを披露していた。
最後はニッポン放送の屋上に行って、「火の鳥神社」に降臨する火の鳥を出迎えましょうという企画で番組は終了。私にその時の記憶が残っていないのは、きっと火の鳥が現れて私の記憶を消してしまったからに違いない。



しが・あきら
1963年生まれ。明治大学商学部卒業。2017年、第15回『このミステリーがすごい!』大賞の隠し玉作品『スマホを落としただけなのに』でデビュー。同作品は映画化され好評を博した。他の著書に『ちょっと一杯のはずだったのに』『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』『あなたもスマホに殺される』『オレオレの巣窟』がある。