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私の○○ベスト3
Vol.59 二宮敦人 僕の「心が楽になった雑学」ベスト3


№1「葛根湯の起源」

№2「ニホンザルの食文化」

№3「とある部族の妊娠の解釈」



 初めまして、二宮敦人と申します。僕はよく大げさに悩み、勝手に落ち込みます。そんな時、たまたま出会ったちょっとした知識が、心を楽にしてくれることがあるのです。


№3「とある部族の妊娠の解釈」 
 ある時期、僕はもし自分が不妊症だったら、と検査もせずに勝手に悩んでいました。
 そんな時、ある部族の話を聞きました。そこでは西洋科学的な性教育が学ばれていないため、「子供は自然にできる」と信じているのです。
 彼らは、あたりに精霊が漂っていると考えます。その精霊が気まぐれを起こして女性のお腹の中に入ると、やがて大きくなり、子供として生まれてくる。では男女がイチャイチャするのは何のためか。男性器を女性器に出し入れすると、精霊の通り道が整えられ、子供ができやすくなる、という解釈なのです。
 僕は感銘を受けました。
これなら不妊も「今は精霊の機嫌が悪い」と言えるし、不倫も「あなたとの子供が欲しかったから、別の人にもお掃除してもらった」と言える。その言い分をどこまで認めるかは人によるでしょうけれど、曖昧な逃げ道が残っているぶん、許し合う余地がある。科学的に「誰が原因」「誰の子」とハッキリわかるより、僕としては楽だ、と。
それ以来悩みは消え、もし子供が欲しくてもできなかったら、他の人のところに生まれてきた精霊を育てよう、と素直に思えるようになりました。結局検査も受けずじまいです。

№2「ニホンザルの食文化」
 ある時期、僕はみんなと同じように生きたい、と悩んでいました。ここでは書ききれませんが、僕には色々と奇行があるのです。
そんな時読んだのが、サル研究の本でした。
 ニホンザルは群れごとに食文化を持ちます。その束縛は強く、屋久島の群れが愛知県の大平山に放たれたとき、植生があまりに異なっていて、見慣れた食べ物がほとんどなかった。するとサルたちは、新芽や果実などの新しい食料に手を出さず、せいぜい苔をいくつか齧るくらいで、次々と飢え死にしてしまった。それだけ普段と違う行動はしづらかったんですね。
 しかしサルを一匹だけ捕獲して飼育すると、あっさり色々なものを食べ始めるそうです。群れだと決して食べない人間の弁当の残りや、ラーメンまで食べたというから驚き。くだんのサルも、群れでなく一匹で大平山に放たれたのなら、生き延びたかもしれません。
 なるほど、サルにも同調圧力があり、しかも一匹になればあっさり捨て去るのか。
じゃあ人間だって、そこまで周りに合わせようと深刻にならなくてもいいのでは。その結果、飢え死にせずにすむかもしれないし。
というわけで、僕は悩みから抜け出し、相変わらず奇行を楽しんでいるのです。人に迷惑をかけない程度に。

№1「葛根湯の起源」
 頑張って小説を書いているのに、世界を変えるようなずば抜けたものは作れず、むしろ先人の焼き直しに見えてくる。このままでいいのだろうか。
 悩みながら仕事をしていると、よく体調を崩します。そんな時に出会ったのが、風邪によく効くという漢方薬、葛根湯でした。
 なんとこの葛根湯、二百年ごろからあるそうです。千八百年前に作られた薬なのです。西洋医学がこれだけ発展しても薬局には葛根湯が置かれている。それだけ名作であり、ある意味では人間は昔からたいして変わっていない、とも言えます。
 これだけでも、肩に入っていた力がちょっと抜けます。
 また、当時のレシピは木簡に書かれていました。紙と違って少ししか字が書けないため、非常に簡潔に記されていて、解釈の余地があるそうです。たくさんの漢方医が、様々な考えのもと葛根湯を調合してきたため、流派ごとに調合や使い方が異なるそうです。
 小説もそうかもしれません。本質は変わらないとしても、常に個人の解釈の余地はある。つまり僕の仕事とはそういうこと。なら、焦ってもしょうがない、できることをやるしかない。
 葛根湯の独特の甘さと苦さを噛みしめながら、少し気が楽になるのです。


にのみや・あつと
1985年生まれ、東京出身。一橋大学卒業後、モバイルコンテンツのプロデューサーを経て、2009年にベストセラーとなる『!』(アルファポリス)で小説家デビュー。その後も ホラー、推理、ノンフィクションなど幅広いジャンルで執筆し、特に『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』(新潮社)が高い評価を受けている。