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柴田亜美の「浮世の氣楽絵」
第3回 「ルーベンスのライオン」

「ルーベンスのライオン」

「怖い、でもカッコいい!」
 初めて絵画というものの迫力に触れたのは3歳ぐらいの頃だった。
 その時の写真には、暗い洞窟の中で何頭ものライオン達に囲まれ全裸に近い男性が両手を胸の前で組み天を仰いでいる大きな絵画を熱心に見つめる幼い私の後ろ姿が写されていた。
 まるでパニック映画のワンシーンのような危機一髪の場面の絵画。
 顔面蒼白に描かれている男性には悪いけれど、ライオン達の精悍な顔つきと筋骨隆々の体に幼い私は目が釘付けだった。
 1970年代のワシントンでの美術館の出来事である。

 脳外科医の父は豪快な変人で、東大やら京大やら日本の名門よりも世界の名門の方が面白かろうとMIT(マサチューセッツ工科大学)に論文を送りつけまんまと留学した。
 まだ幼く可愛い盛りの兄と私を日本に置いてである。
 その後MITに紹介文を書いてもらいカナダのマギル大学に留学したのだが、流石に寂しくなってきたのか母と私たち兄妹をカナダのモントリオールに呼び寄せた。
 実に勝手な男である。
 しかしそのおかげで、幼くしてカナダで暮らし世界各国を旅する事ができた。
 ライオンの絵を見たのは、アメリカのワシントンを旅行している時である。
 それから50を過ぎたこの歳まで、幾つもの美術館に足を運び数えきれない名画を見てきたけれど、あの日のライオンの絵はずっと脳裏に鮮烈に焼きついていた。
 「一体誰の何と言う作品なのだろう?」と謎を残したまま。
 月刊美術で連載する事となり、初めて編集部を訪れる時にライオンの絵画と幼い私が写った写真を持って行った。
 絵画に詳しい月刊美術編集部ならば、このライオンの絵をご存知の方もいるだろうと思ってである。
「ルーベンスの《ライオンの穴の中のダニエル》ですね」。編集者のWさんがスマホのGoogleレンズで秒で解決してくださった。
 そうか、webの画像検索という機能を使えば半世紀も悩まなくて済んだのですね。
 最新技術に疎い私は目から鱗である。

 それにしても『フランダースの犬』の主人公ネロが息を引き取る間際まで憧れた巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスの作品だったとは。
 少年のネロは天使を見つめていたけど、幼い私はライオンを凝視していた。
 かくして私の人生初の名画鑑賞は、ワシントンのナショナル・ギャラリーにてルーベンスの《ライオンの穴の中のダニエル》だったという事実がめでたく判明しました。
 ありがとう、月刊美術編集部さん。


獅子 アクリル、キャンバス 6F 2025年