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9月新刊『少女たちは夜歩く』刊行記念ブックレビュー
不思議な因果の輪舞 千街晶之(ミステリ評論家)

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作品ごとに凄みを増す 宇佐美まことワールド

「堰を切ったように」とは、最近の宇佐美まことのためにあるような表現だろう。第一回『幽』怪談文学賞受賞作を表題作とする短篇集『るんびにの子供』で二○○七年にデビューして以降、二○一六年の長篇『愚者の毒』までの著書は四冊。かなり寡作な部類と言っていい作家だった。しかし、この『愚者の毒』で第七十回日本推理作家協会賞を受賞してからは、二○一七年には短篇集『角の生えた帽子』と長篇『死はすぐそこの影の中』、二○一八年には長篇『熟れた月』『骨を弔う』――と、それまで溜め込んでおいた物語が溢れ出したかのように精力的な執筆態勢に入っている。単に作品数が増えただけではなく、人間心理のダークサイドを鋭く剔抉しながら、そこに超自然的な怪異の影を忍び込ませる著者の作風は、作品ごとにますます凄みを増しているように感じられるのである。

街そのものが陰の主役

さて、著者の最新刊『少女たちは夜歩く』は、二○一八年に入って刊行される三冊目の著作である。しかし、この作品は長篇か、短篇集か……と訊かれたらちょっと迷うだろう。というのも、本書は複数の人間を主人公とする物語の連鎖から成っており、一見独立したそれらの物語が、実はつながっていることが判明してゆくからだ。

宇佐美まことの出身地にして在住地でもある愛媛県松山市は、これまでにも著者の小説に登場したことがあるが、本書では、ある意味、松山という街そのものが陰の主役であるかのような印象さえ受ける。全体のプロローグにあたる「はじまりのおわり」では、「私」という人物の視点から、この街の特徴が描かれる。街の真ん中にある、こんもりとお碗を伏せたような山。その上に建つ、三層の天守閣がある城。この山と城の四方に拡がる街の中で、本書の登場人物たちの生と死が繰り広げられるのだ。「思えば私の人生も、城山の周囲をぐるぐる巡っているようなものだ」という「私」の述懐のように。

第一話「宵闇・毘沙門坂」は、城山のすぐ北にある古い長屋風の借家にいる女・杏子が主人公だ。彼女の母親は惚れ込んだ男以外は目に入らなくなる性格で、男が自分のものにならないと狂ったように執着し、それでいて手に入れた男とうまくやっていけないのが常だった。女子高への進学とともに母親と訣別した杏子は、水口龍平という大学生と恋仲になったが、やがて偶然再会した中学時代の教師・有田のことが気になり、彼を手に入れようとする。杏子は、あれほど嫌っていた母親と同じ運命を辿ってゆくのだろうか――。この物語の第一話に相応しい、何とも不穏な内容だ。

続く「猫を抱く女」は、ある名門の当主と結婚した女、環が主人公だ。絵画修復士である彼女は義母の依頼で、ある絵を修復することになる。その絵には、猫に似てはいるが指が三本しかない動物を膝の上に抱いた女性が描かれていた。自宅に持ち帰ってその絵を調査したところ、女性の肖像の下に別の絵が見つかる。ところが、遠い昔に描かれた筈のその絵は、環の人生を予言しているかのようだった――。

張られた伏線と因果のアラベスク

第一話と打って変わって不気味なホラー仕立ての内容もさることながら、第一話とのつながりが全くわからない点も読者を不安な気分にさせる。だが、第一話で言及された人物の関係者が意外なかたちで登場する第三話「繭の中」に入って、ようやく本書が、ゆるやかにつながった連作であることが見えてくる。そして話が進むにつれて、城山の麓では少女が失踪し、女性の暴行事件が連続しているらしいことも点描される。多様なエピソードにまたがって張られた伏線は、目に見えない糸が引き絞られるようにラストに向けて収斂してゆく。

しかも、登場人物はどうやら生者ばかりではないようなのだ。死者もいるし、何やら得体の知れない獣のような存在も出没する。彼らは城を囲繞する街の中で出会い、すれ違い、愛し合い、憎み合いながら、不思議な因果のアラベスク模様を紡ぎ続ける。時を超えたこの運命の輪舞は、きっと終わることがないのだろう。ここで、読者は冒頭の「私」のモノローグを再び思い返す筈だ――「夜になって闇に溶け込んだ山の上で青白くライトアップされた城は、虚空に浮遊する魔城のようだ。その引力から逃れられない私は、陶然とそれを見上げている」。

本書の輪舞のような構成は、山と城を取り囲む松山市という街の構造と類比的であり、そこには、現地に住む著者だからこその実感が滲み出ている。隠微な心理劇であると同時に、超自然的なホラーの要素も含んだこの物語は、宇佐美まことという作家の特色がたっぷり盛り込まれている逸品だ。

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