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伊坂幸太郎『フーガはユーガ』刊行記念ブックレビュー
前代未聞の双子ミステリ 大森 望(文芸評論家)

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伊坂幸太郎1年ぶりの新作は、双子をフィーチャーした書き下ろし長編。『フーガはユーガ』という不思議なタイトルは、主人公にあたる二人の兄弟、常盤風我と常盤優我に由来する。ちなみに音楽用語でフーガ(fuga)と言えば、遁走曲(英語ではfugue)。「一つ、あるいは複数の主題が次々と複雑に模倣・反復されていく対位法的楽曲」(大辞泉)のことだが、この小説にもどことなく、フーガの技法が用いられているように見える。もっとも、バッハのフーガのような緻密な設計は、伊坂作品すべてに共通する特徴かもしれないが……。

一方、双子と言えば、ミステリの世界では、入れ替わりトリック(二人一役トリック)の主役。本格ミステリのルール十箇条をまとめた〝ノックスの十戒〟では、いちばん最後にわざわざ「双子・一人二役は予め読者に知らされなければならない」という項目が用意されているくらいだから、いかに双子が濫用されてきたは推して知るべし。日本の本格ミステリに限っても、江戸川乱歩、横溝正史から、竹本健治、綾辻行人、有栖川有栖、宮部みゆき、法月綸太郎らが双子ものを書いているし、『奇術師』や『双生児』で知られるクリストファー・プリーストのように、双子というモチーフにとり憑かれた(ように見える)作家もいる。

中でも、一卵性双生児の入れ替わりものとなると、すでにあらゆるパターンが出尽くしているんじゃないかという気がするが、伊坂幸太郎はこのモチーフにあえて真正面から挑戦し、まったく新しいパターンを開発する。ただし、ミステリ的なトリックに利用するわけではない。フーガとユーガの兄弟の〝入れ替わり〟は、トリックではなく、一種の超自然現象。いわば特異体質のようにして定期的に入れ替わりが発生するという、前代未聞の設定なのである。

小説的に考えると、そっくりの人間同士が物理的に入れ替わっても、男と女や、大人と子どもの入れ替わりと違って、あんまり面白味がないようにも見える。なぜわざわざ双子を、それも超自然現象によって、定期的に入れ替えるのか? 本書全体がその謎に対する答えなのだが、もう少し詳しく設定を説明しよう。

常盤兄弟が、記憶にあるかぎり最初の〝入れ替わり〟を体験したのは、五歳の誕生日。〈僕が殴られているのを、僕は少し離れた場所で感じている〉という本書の第一行から、その日の出来事が語られはじめる。

語り手の〝僕〟は優我、殴られている〝僕〟は風我。殴っている〝あの男〟は、二人の実の父親。母親はなんの助けにもならず、〝僕〟は、テレビの変身ヒーローに助けを求めるが、もちろんヒーローは現れない。自分が身代わりになろうと、服を脱いで体にサラダ油を塗りたくる〝僕〟。こうすれば、〝あの男〟に捕まりにくくなるんじゃないか。そう思った瞬間、全身がぴりぴりと震え、気がつくと優我は風我と入れ替わり、〝あの男〟の前にいた……。

虐待をきっかけに入れ替わると言えば、ふつうは(少なくともフィクションの世界では)人格と相場が決まっている。ひと昔前のミステリでは、虐待から逃れたいという気持ちが解離性同一性障害(いわゆる多重人格)のひきがねを引くパターンが大流行したこともある。実際、記憶や人格の同一性を失って出奔することを解離性遁走(フーガ)と呼ぶから、ますます本書と縁が深い。しかし、前述のように、本書で描かれる入れ替わりは、あくまでも物理的なもの。

5歳のときは、何が起きたのか自分でもよくわかっていなかった兄弟だが、小学2年生のとき、別々の教室でそれぞれ授業を受けている最中に入れ替わりが起きたことをきっかけに、兄弟はこの不可思議な〝瞬間移動〟現象を研究しはじめる。数年がかりの実験で明らかになったのは、この現象が毎年、誕生日の一日だけ、午前10時10分から2時間おきに発生すること。入れ替わりの際には、衣服や持ちものも一緒に移動すること。そのときの状態(縛られているとか、電車に乗っているとか)に関係なく発生すること……。現象自体は超自然的でも、そこには明確な規則性があり、それが物語と関わってくる。

この特殊設定がいったいなんのためにどう使われるのかが本書の第一のポイント。第二のポイントは語りの枠組み。〝僕〟は、仙台のファミリーレストランで、高杉と名乗るフリーのTVディレクターを相手に、自分たちの身の上を語って聞かせている――という体裁だが、「言っておきますけど、僕が喋ることには嘘や省略がたくさんあります」という〝僕〟の言葉に、高杉は「嘘を見抜くのは得意なほうなんだ」と応じる。この思わせぶりなやりとりには、いったいどんな意味があるのか?

ちなみに、兄弟の目的は、冒頭でも示されるとおり、ヒーローになること。倒すべき敵は、彼らの父親と同じ種類の人間――〝抵抗できない者の尊厳を、足の裏の角質でも取るかのように、削り、平然としている者たち〟だ。彼らを倒すために、二人は自分たちの特異体質をどのように利用するのか。小説はこの一点を核に組み立てられ、あらゆる要素がそのためだけに周到にちりばめられている。余計なものは徹底的に削ぎ落とされ、〝僕〟が語るほとんどすべてがそこに関係してくる。鮮やかな結末であっけにとられないように、くれぐれも注意深く読んでください。

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