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2月の文庫新刊『人生は並盛で』作品解説
過去も今も踏まえて抱えて、「普通」で「並」な毎日を生きる私たち 藤田香織(書評家)

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「牛丼」という料理は実に曖昧なポジションだな、と思う。

家庭料理としては調理器具ひとつで仕上がる簡単な部類で、材料も最低限、ごはんに牛肉と玉ねぎがあればOK。調味料だって酒と砂糖と醤油があればどうにかなる。火加減や煮込み時間に繊細な注意も必要ない。贅沢にお高い銘柄牛を使っても、特売のコマ切れで作っても、どっちにしても結果は美味しいと決まっている。

外食としては、やはり早い! 安い! うまい! の三拍子がウリだろう。ひと昔前は圧倒的に「男のひとり飯」だったけれど、今は女性ひとりでも気軽に入れる店も増え、子連れでも利用しやすいファミレス化しつつある。簡単で美味しい。便利で安い。だから特に構えることもなく気軽に利用できる。でも、そうはいっても「牛肉」だ。安いとはいえ節約メニューとは言い難い。東京には牛丼店が九三〇軒以上あって(「すき家」「吉野家」「松屋」「なか卯」合計二〇一八年)、その気になればいつでもどこでも食べられるが、高知にはたった十二軒しかないらしい。となると、牛丼店を見たことがない、という人だって少なくないはず。

特別な日のスペシャルな料理ではないけれど、粗食でも残念な料理でもない。「牛丼にしよう!」と心弾むこともあれば、「牛丼でいっか」と思うこともある。いってみれば「普通」の範疇で、日により、人により、位置づけが上下する平場の力(ちから)メシ。二〇一四年一月に『牛丼愛』というタイトルで単行本が発売され、この度の文庫化にあたって『人生は並盛で』と改題された本書は、そんな牛丼を提供する、とあるチェーン店を中心とした物語だ。

駅前店ではなく、大通り沿いのロード店。カウンター席二十、テーブル席四、二十人を超えるアルバイト。三話からなる物語の第一話「肉蠅」は、そんな店で働くふたりの女性の視点から描かれていく。

ひとりめは、約一年前から四歳の息子・日向を義母に預けて働いている恵。と書くと健気なニュアンスがにじみ出るが、実際には三十歳の実年齢を二十六歳だと偽り、バイト仲間の数馬との浮気に溺れる、万事が適当でその場しのぎな主婦である。もうひとりは、恵より年齢は九つ下だが、バイト歴は一年先輩になる日和。体重七十五キロ、二十五以上で肥満となるBMIの数値は三十。デブだが仕事はできる、理系学部に通う大学三年生だ。

恵は日和を<ブスだったり成績がよくなかったりするから、まじめさを売りにするしかないような子たち>だと見下し<誰かがやればいい仕事は、誰かがやればいい。別にあたしがやる必要はない。仕事が大好きな日和がやればいいのだ>と思っている。日和は日和で、そんな恵の態度を受け流しながら<いい歳をして若い男の子たちに媚を売る恵さん。数馬くんや周吾くんのトイレ掃除は代わってやり、わたしや準一くんにはそれを押しつけてくる恵さん。(中略)ああいう人は、おそらく昔からあのままで、これからもあのままなのだろう。あれで子持ちなのだから、恐れ入る。いやだな、あんな人の子どもに生まれたら>と冷ややかに見ている。

対照的なふたりは心の奥底で相手を苦々しく感じながらも、表面的には大きな波風を立てることなく過ごしてきたが、あまりに身勝手な恵の言動に我慢できなくなった日和が、ある日逆襲に出る。結果として、恵は店をやめることになり、数馬との浮気も夫にバレ、日和は<人にバカにされたりはするが、人を不愉快にさせたりはしない>バイト仲間の準一と付き合い始めた。同じ店に立ち、同じバイト仲間や客を見ているのにまったく考え方も感じ方も違うふたりの姿がとても興味深く、二視点の効果を十分に感じることができるだろう。

ところが、続く第二話「そんなひとつの環」では、視点人物が次々に代わっていく。リレー形式で描かれていくのは、一時間前にカフェで知り合った「シュウゴ」の誘いにのった自分の軽率な行動にうんざりしている田沢夏→原チャリに乗った夏が進む方向の信号を変えてくれた少年・松谷智郎→半年前から智郎の家に出入りしているグレーゾーンな男「ナギ」こと名木宗広→名木が電車内に置き忘れた傘を拝借した海外旅行帰りのカップル川瀬りょう子と栗原育男→りょう子と育男が勢いで婚姻届けを出しに向かった市役所の市民課に勤務する森崎美哉→美哉の大学時代の恋人でもある山野井隆彦と須賀才治→飲酒運転で事故を起こし、前部がへこんだ山野井の車と、道路に転がりぴくりとも動かない人とバイクを目撃した米村正元→夫の浮気を承知で、自分も若い男と遊んでいる米村の妻・郷江→レストランバーでアルバイト中の郷江の遊び相手・笹尾京平→京平がバイトをクビになる現場に居合わせ、恋人に別れ話を切り出していた深見竹志のそれぞれのひとときだ。

最後に深見が待っていた「ナツ」が最初に登場した田沢夏であることが判明し「環」が閉じる構成自体、思わずニヤリとしてしまう楽しさがある。時間にしてわずか半日ほどの出来事のなかには、一世一代のドラマもある。SNSに目撃情報を書き込みたくなるようないざこざもある。シャレにならない事故もある。けれど留意して欲しいのは、そのいずれも深く掘り下げることなく、視点が移ると同時に流すように描かれていることだ。読者からすれば物事の切り取られた一部分だけしか見えず、初読の時には意味がわからないと感じる人もいるだろう。恵と日和の一人称で書かれている第一話では、ふたりから直接それぞれの話を聞かされているような感覚だったのに、この第二話は三人称で、次々に変わる主人公たちの言動をナレーターが報告してくれているような距離感の違いもある。いってみれば「友達の話」と「ネットニュースで見た話」の違いのようなもので、第二話のほうが距離があって他人事のように感じる。同時に、これって第一話の牛丼店となにか関係があるの? と気になった人も多いはず。

その関係が第三話の「弱盗」で、明らかになっていく。第一話と同じく、視点人物となるのはふたり。牛丼店の「店長」と、第二話の最後に登場した深見竹志だ。店長は、大学院への進学が決まったので来年もアルバイトを続けたいという日和の申し出を喜び、合格祝いを兼ねて居酒屋へ誘う。深見は夏との約束から、約一年ぶりに牛丼店を訪れる。そこで語られるアルバイトたちの近況や、店の近所で起きたひき逃げ事故の噂話から、まずは様々なことが明らかになっていくという趣向だ。さらにそこへ、店長に繰り返しかかってくる無言電話や、店にやって来た(押し入ったとは言い難い!)「弱盗」の顛末が重ねられていく。

「店長」には栗原育男、という名前があり、第二話で勢いプロポーズをした挙句、婚姻届けを出しに行ったカップルだったこと。その後無事に結婚したこと。一年前、夏が事故に遭う前に山野井に轢かれかけていたらしいこと。深見は夏の死を知らずにいたこと。数馬は「KAZ・MARS」なるバンドのヴォーカル&ギターとしてプロデビューを果たし、恵は離婚し、日向をひきとることもできなかったこと。流して見ていただけの登場人物の「それから」を知ることで、物語の奥行がぐっと増し、意外な関係性に気付くことで、点と点、個と個が繋がっていく。

その一方で、読者は気付いても登場人物たちは気付いていない、というエピソードが多々あることも興味深い。「店長」の栗原は、当時は恋人だったりょう子が電車内で拝借した傘が、自分の店から盗まれたものだとは知らないし、その盗人が「弱盗」名木だったことも知らない。恵に関するクレームを受け、自宅まで謝りに行った際<あなたも店長なら従業員の教育がどれだけ大事かわかるでしょう>と言ってきた“結婚相談所を経営する米村さん”が、自分の会社の従業員を浮気相手にしていることも、牛丼店でのクレームは、わざわざ本社に入れるのに、倒れている夏を見かけても通報しないような人物であることも知らない。深見は、牛丼店で従業員のおしゃべりを耳にしたことで夏が事故死した可能性に気付くが、事故を語る「シュウゴ」は、まるで他人事だ。読者的には、きみは被害者が事故に遭う数時間前に一緒に観覧車に乗って、不快な思いをさせたあの「シュウゴ」じゃないの? と問い詰めたくもなる。

でも、それはできない。

そしてしみじみ思うのだ。あぁ、人生って、そういうものだな、と。

自分の息子を思いのほか好きになれず、夫にも相手にされない恵の寂寥感も、真面目で頭の良い日和の無自覚な正論も、他人からは見えにくい。人は見かけがすべてではないことくらい分かっているけど、誰彼ともなく深い付き合いなんてしていられない。知らなかったことに後から気付くこともあれば、ずっと知らないままに生きていくことだって、きっと数えきれないほどあるのだ。それを否定も肯定もしないというスタンスが、個人的にはとてもいいな、と思う。

作者である小野寺史宜さんは、ポプラ社小説大賞優秀賞を受賞した『ROCKER』(ポプラ社→ポプラ文庫ピュアフル)で、二〇〇八年に単行本デビューを果たして以来、人と人との関係性について描いてきた作家だと私は受け止めている。二〇一八年「本の雑誌」の二〇一八年上半期エンターテインメント・ベスト10の第二位に選出された『ひと』(祥伝社)はもちろん、人気の「みつばの郵便屋さん」をはじめ、主人公がどんな職業についていようと、学生やアルバイトであろうと、人と人の間に生まれる感情を、出来事を、時間を描いている。人と繋がることを恐れるな、とか、互いを思いやるべきだなんてことは言わず、「死」を特別扱いもしない。小野寺作品の主人公たちは、どんなに激しい喜怒哀楽の感情も、やがて普通の毎日に溶かし込んで生きていく。そのいってしまえば地味な強かさを読むといつも、心の凹みかけていた部分が、パコンと戻るような気になる。「普通」であり「並」であることの難しさも嫌らしさも有難さも嬉しさも、全部ひっくるめて、大事に思う。

最後に。本書の三話で店長・栗原と日和が居酒屋で「蜜葉ビール」を注文する場面がある。ファンにはお馴染みの「みつば」で、ここもまた『ひりつく夜の音』(新潮社)や『本日も教官なり』(KADOKAWA)などの舞台にもなっている、東京から電車で三十分強の「蜜葉市」近隣なのだとわかる。作品リンクはそれだけでないので、ぜひ他の作品を読むときの、楽しみのひとつにして欲しい。

時間は流れていく。目の前の出来事も流されていく。でも、だからといって、消えるわけではないし、なかったことにもできない。過去も今も踏まえて抱えて、私たちは今日も「普通」で「並」な毎日を生きていく。<一つが終わり、一つが始まる。それでいて、すべては続いてもいる>。物語も、人生もまた然り、だ。

※本記事は『人生は並盛で』巻末の「解説」を転載したものです。

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