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佐川光晴『駒音高く』刊行記念インタビュー
人生に勝ち負けはないけれど――必ず勝者と敗者が生まれる将棋を「一生の柱」と定めた人たちの物語

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将棋会館の清掃員、棋士を目指す少年・少女、観戦記者、対局に全力を傾注するベテラン棋士……。『駒音高く』は、気づいたら将棋に魅せられ、将棋から離れられなくなった人々――少年から老人まで――を描いた連作短編集だ。刊行にあたり、創作の背景を伺った。(文・構成/西上心太)

●将棋を志した次男がいたから生まれた物語

――これまでの作品と少し毛色が違いますが、なぜ将棋をテーマにしたのでしょうか。また佐川さんご自身の将棋との関わりは。

佐川:僕は昭和四十年(1965年)生まれですが、小学校の三、四年生のころ、男子の間で将棋が流行ったんです。クラスの誰かが盤と駒を持ってきて、休み時間に皆で指すようになりました。僕も駒の動かし方やルールを覚えて、放課後に家に来た友だちと指し、母とも何局か指しました。でも僕はスポーツの方が好きで小学校では軟式野球、中学からはサッカーに夢中で、将棋はそれきりになりました。将棋と関わるようになったのは、この四月から高校生になる次男のおかげです。次男は小学校五年生の正月に将棋を始めました。藤倉勇樹五段が開いているこども将棋教室に通ったりして、一年でアマ初段になり、さらに半年で二段になり、研修会に入りました。

――研修会とはプロ棋士の養成機関である奨励会の下部組織に位置づけられる組織ですね。会員同士やプロ棋士との対局(駒落ち将棋というハンデ戦)の成績によって昇降級して、上位クラスになると奨励会に編入できたり、奨励会試験の一次試験が免除になったりという特典が与えられます。

佐川:次男は将棋を始めた年齢は遅かったのですが、そこそこ上達が早かったし、将棋が本当に好きなようだったので、僕も研修会に入ってプロを目ざしたいという息子の希望を後押しする気になったのです。関東の研修会は千駄ヶ谷にある将棋会館四階の大広間で指します。強いアマチュアが集まる荻窪の将棋サロンや御徒町の将棋センターにも付き添っていきました。それらの場での三年半の見聞が、はからずも本書の取材になったわけです。

――第一話の「大阪のわたし」は将棋会館の清掃に派遣されているおばちゃんが主人公です。研修会が開かれている日に、昼食に出されたお弁当の多くが、かなり食べ残されて捨てられているのを見て心を痛めます。食べ盛りの小学生や中学生なのに、対局のプレッシャーで喉を通らないんですね。

佐川:これは僕が実際に目にした光景です。研修会は月に二回、日曜日に開催されまして、午前に二局、午後に二局指します。次男が言うには、お腹いっぱい食べると頭が働かなくなるし、午前中の二局でくたくたになって精神的にもきついため、余計に食べられない。次男は最後まで力の配分がわからず、三局目はたいてい負けていたようです。四階の桂の間でみんなで一緒に食べるのですが、一階のソファで一人で食べている子もいましたし、心ここにあらずでおかずを落としても気がつかない子もいました。奨励会にすっと入れる強い子は、研修会の時にも余裕があるのでしょうが、次男のように昇級さえおぼつかない子は大変です。

●プロを目指す厳しさを目の当たりにして

――「こんなに残してごめんなさい」と謝る研修会員との出会いが、後々の展開に生きてきます。このおばちゃんの地に足が付いた半生と、将棋を介した出会いから生じるストーリーに、グッと心をつかまれてしまいました。第二話から第四話は将棋と出会い、プロを目指して歩み始める少年・少女たちの物語ですね。

佐川:第三話「それでも、将棋が好きだ」は、結果が出ずに研修会を退会する少年とそれに寄り添う父親の話です。この話は、次男とかぶるところがとても多い。先ほども言ったように、僕はスポーツが得意でした。長男も少年野球から始めて高校では硬式野球もやりました。次男も運動神経はそこそこあって、野球もサッカーもできるのですが、僕や長男と違って足腰のスタミナや馬力がないんですね。八つ離れた二人兄弟なのですが、こうも違うかとびっくりしました。第二話「初めてのライバル」の主人公「翔太」と同じように、次男も野球の試合で相手を野次るのが嫌で、小学五年生の十月に少年野球チームを辞めました。お兄ちゃんにならってスポーツはやったものの、根が体育系の人間ではなかったのですね。そんな次男が将棋と出合い、短期間で上達したのですが……。

――ではご次男は研修会を退会したのですか。

佐川:第三話の主人公「祐也」よりもっとひどい状態になってしまいました。研修会の対局に勝てず、降級する。勉強も手につかなくて、成績が下がる。切り替えができなかったのですね。長男は運動もできて成績も良く、一流といわれる大学に進学しました。僕も物書きという一風変わった商売で、ある意味目立っています。次男は自分も父や兄のように周囲から「すごい」と言われるようにならなければいけないと思ってしまったようです。そのことと将棋がからみ、悪循環に拍車がかかってしまった。精神的にも不安定になってきて、見るに見かねて、中学一年の十二月末に研修会を退会させました。最後の例会には僕も付いていき、四局目を指し終えたあとに、幹事の飯野健二七段(現在は八段)に退会の挨拶をしました。あとで次男に聞いたところ、電話などで連絡するのが通例で、皆が対局している大広間で退会すると言った親子は初めてだったそうです。そのせいか、他の研修会員たちは一様に驚いていました。自分たちも奨励会に入れなければ、いつかは研修会を辞めなくてはいけないということを改めて確認していたのかもしれません。

――佐川さんは、学生時代は何に熱中されていたのですか?

佐川:僕は中学・高校とサッカー部で、ポジションはゲームメイクをするミッドフィルダー。自分で言うのもおかしいけれどファイターでした。ただし試合に負けて泣いたことは一度もない。なぜかというと、しっかり練習しないチームメイトにいつも腹を立てていたからで、練習でめいっぱい走らない奴が試合でいいプレーをできるはずがない。そんなわけで、試合で負けても悔しくなかった。

――試合の結果以上に、普段の努力が足りないチームメイトのあり方が悔しかったのですね。

佐川:その通りです。サッカーをやってきた僕は一対一で負かされる悔しさがわかりません。次男を見ていて、一対一で戦う将棋は本当に大変だと思います。残念ながらプロへの道は諦めましたが、この半年くらいでようやく落ち着いてきて、将棋部がある私立高校に進み、アマチュアで日本一を目ざすと、気持ちを切り替えることができました。実は、この第三話は、書き上げたものの、最後まで載せようかどうか迷っていました。書いている時と次男が落ち込んでいる時期が重なっていて、もしも次男がこれを読んでさらに落ち込んだらどうしようという葛藤がありました。作品に緊張感がみなぎっているのはそのためです。おかげさまでゲラが出た頃には落ち着いていたので、次男に第一話から順に読んでもらったところ、「半分は俺のことじゃないか」と笑って言ったので胸を撫でおろしました。ネットには、将棋に詳しい方から、『駒音高く』に対して、用語や言い回しに違和感がないという感想があがっていますが、全て次男のおかげです。つまり次男がいなければ『駒音高く』は生まれませんでした。

●若手棋士が羨ましがるような恋の話

――第四話「娘のしあわせ」は将棋を知らないお母さんの視点から描かれます。大会に出た娘の「葉子」を迎えに来たお母さんが、娘が頭を下げているので負けたのかと思っていたら逆だったとか。出しゃばらず、娘の勝敗に一喜一憂することなく、きちんと娘を見守り、そっと娘に寄り添うお母さんの姿が印象的でした。

佐川:勝敗の勘違いは僕の妻の体験です。父親もけっこう付き添っていましたが、この「葉子」のお母さんと正反対の人も見かけましたね。

――第五話「光速の寄せ」はがらりと変わって、奨励会三段の青年と女性の出会いを描いたボーイ・ミーツ・ガールのお話ですね。〈寄せ〉とは最終盤で相手の玉を追いこんで最終的には〈詰み〉に至るまでの過程を指す将棋用語です。〈光速の寄せ〉はこの寄せが格段に鋭く早かった谷川浩司九段(第十七世永世名人)についた異名です。でも読み終えてみたら、そうだ、〈寄せ〉には実は別の意味もあったと気づきました(笑)。

佐川:将棋フォーカス(NHKの将棋番組)を見ていたら関西の若手棋士たちが出てきて、司会の中村太地七段が、みんなとにかく彼女がいないという話をしていました。だったら若手棋士がうらやましがる話を書いてやれと思いましてね。

――電車の中で将棋のことを考えていて、集中しているのに放心しているように見える主人公「富樫克信」に、ある女性が気づいて……。このタイトルなので谷川九段のただ一人の弟子である都成竜馬五段がモデルなのかと思いました。奨励会の年齢制限が近づいているとか、長身でイケメンらしいので。じっさい都成五段は才能は認められていたのに、三段リーグで苦労して、年齢制限が迫る中でようやく昇段を果たしましたからね。

佐川:いや、決して都成さんをイメージして書いたわけではありません。でも、この作品がゲラになってから、谷川九段ご自身がお見合いから二ヶ月ほどで結婚を決めたというエピソードを知りました。知っていたら書けなかったですね。知らなくてよかったです。

●将棋は人の「一生の柱」になる存在

――第六話「敗着さん」も面白いですね。

佐川:これも次男とテレビでNHK将棋トーナメントを見ていて、僕が予想した手をトップ棋士が指し、それが敗着になるということが何度かあったんです。逆に、対局者は指さなかったけれど、感想戦で有力とされた勝負手を僕が指摘したこともあった。もちろんまぐれですけどね。

――第七話「最後の一手」は文字通り命がけで将棋と向かい合うベテラン棋士の話です。

佐川:中原誠第十六世永世名人も対局後に倒れて、それが引退のきっかけになりましたからね。将棋は息が長い世界ですが、誰にでも終わりが来ます。このベテラン棋士は、自分の棋士人生に自分で幕を下ろします。誰の人生でもあることかもしれません。

――史上最年少でプロ棋士になった藤井聡太七段が大活躍を続けて、史上空前の将棋ブームになっています。注意深く読むと、この作品は2009年ごろから約十年間の物語であることがわかります。藤井七段に言及される箇所もありますし。また前のエピソードに登場した人物が、後に別の役割で登場したり、各エピソードのつながりを意識した連作短編集としての楽しみもありますね。

佐川:もう一つ仕掛けがありまして。実は各話の主人公の棋力が作品の順番ごとに強くなっているんです。

――あ、本当だ。棒銀しか知らないおばちゃん、引っ越しを機に将棋と出会って夢中になる少年、研修会で壁に当たった少年、史上初の女性プロ棋士に挑む少女……。

佐川:「敗着さん」の新聞記者も元奨励会三段ですしね。  次男に付き添ってあちこちの道場を回り、棋士たちのエピソードを知るにつけ、将棋とは一人の人間がそれに関わりながら一生を送るに足るものなのだという感を深くしています。御徒町の将棋センターが入っているビルのエレベーターで、昼過ぎに、作業着姿の男性と乗り合わせたことがあります。僕は、てっきり、どこかの階で工事をしているのだと思い、「何階ですか?」と聞きました。すると、その方が、次男に向かって、「午前中に指したよな」と言ったのです。そのようなことが重なり、将棋は人の一生の柱になるものなのだと思うようになりました。テレビで将棋を見るのも、とても面白い。NHK将棋トーナメントは早指しというせいもあるのでしょうが、トップ棋士はどんなに追い込まれても表情や態度を崩さず、最善手を探し続けます。それに対して、若手はかなり強くても、劣勢になると駒が曲がったり、余計な動作をしたりする。人柄や矜持、それにその人の鍛えられていない部分が隠しようもなく表れてしまうわけで、まさに人生そのものです。

――佐川さんは、四年制大学を卒業していますが、二十五歳から三十五歳までの十年間、牛を解体する仕事をしていましたのですよね。

佐川:はい。結婚後は、妻は小学校の教員でとても忙しいため、主夫として二人の息子を育ててきました。作家になったあとも、家事は僕の担当です。つまり僕の活動は身体と表現が密接にくっついている。そして人生に勝ち負けはありません。でも将棋は違います。9×9の盤上で、四十枚の駒を用いて戦い、必ず勝者と敗者が生まれる。負けると本当に辛い、自分の全てが否定された気持ちになると、次男は言っています。ほんの小さな隙を突かれて、自陣ががらがらと崩れてしまう。その辛さは、僕にはわかりません。身に染みてわかっていたら、小説に書けなかったんじゃないか。トップ棋士同士の一世一代の対局や、天才棋士の不遇といった話は、僕は書く気がないし、書く資格もありません。ただ、次男を通して将棋の世界を垣間見るうちに、将棋を一生続ける人たちにとって、将棋がどのような位置を占めるのか、そのバリエーションを書こうと思ったのが本書です。読者の皆さまも、本書を通じて、一生の柱になる〈何か〉に思いを馳せていただけると嬉しいです。

さがわ・みつはる
1965年東京都生まれ、茅ヶ崎育ち。北海道大学法学部卒業。2000年「生活の設計」で第32回新潮新人賞、2002年『縮んだ愛』で第24回野間文芸新人賞、2011年『おれのおばさん』で第26回坪田譲治文学賞を受賞。このほかの著作に『牛を屠る』『おいしい育児―家でも輝け、おとうさん!』『静かな夜』『大きくなる日』『鉄道少年』『日の出』などがある。

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