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4月の文庫新刊『かたつむりがやってくる たまちゃんのおつかい便』刊行に寄せて
「おつかい便」と「家族」、そして「幸せの本質」 森沢明夫

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二十代の頃、ぼくは放浪者でした。

テント、寝袋、釣り具、潜りの道具などを中古のオートバイに積み込んで糸の切れた凧になり、日本中のきれいな川と海で遊びまくっていたのです。あの頃はいつも金欠だったので、食べ物はなるべく自分の力で得ようと頑張っていました。海や川に潜って魚を手づかみしたり、山菜や木の実を採取したり、熊笹を焚き火で炙(あぶ)ってお茶にしたり……。金を使わずに生きるための知恵と技術を、ずいぶんと習得したものです。いま思えば、そういう本気モードな自給自足こそが、なにより贅沢な「遊び」だったんですよね。

一人旅は孤独なので、広い空の下でたくさんの文庫本を読みました。手持ちの本をすべて読了してしまったら、その辺を歩いている婆ちゃんをナンパして、テントの前でお茶を振舞ったりしていました。田舎の婆ちゃんって可愛いくて最高です。下ネタもケラケラ笑い飛ばしてくれるし、仲良くなれば、その土地ならではのご飯をご馳走してくれます。

山奥の清流の川原にテントを張って、一週間も生活していると、必ずと言っていいくらい集落の人たちとの交流が生まれました。「うちに泊まっていけ」「風呂に入っていけ」「飯を食っていけ」なんて言ってくれる親切な人がたくさんいたんです。でも、ある限界集落の家に何日か居候していたときは、その家の爺さんに肩を抱かれて「うちの孫娘をくれてやるから、この家の婿になれ」と耳打ちされました。怖くなったぼくは、大急ぎでバイクに跨り、ビューンと山を降りて逃げました。老夫婦の家に泊めてもらうときは、夜、静かに酒を酌み交わしながら、爺ちゃん婆ちゃんの人生一代記を拝聴するのが大好きでした。遠い目で過去を追懐しつつ、訥々(とつとつ)と人生を語る老人というのは、それだけで味わい深い存在です。誰にでもひとつやふたつは小説になるような人生経験があるということを学ばせてもらいました。

さて、そんなマニアックな青春時代を過ごしていた田舎好きなぼくが、数年前から気になっていた言葉があります。「買い物弱者」がそれです。車の運転ができなくなった過疎地の老人たちが、町に出て買い物ができなくなり、それが社会問題になっているというわけです。しかし、そんな折、ぼくはあるニュースを目に留めました。三重県の紀伊長島で、東真央(ひがし・まお)さんという女性が、車による移動販売を起業し、集落の買い物弱者を救っているという明るいニュースです。その名も「まおちゃんのおつかい便」。

興味を持ったぼくは、早速、担当編集者と一緒に真央ちゃんに会いに行きました。

実際に会ってみると、真央ちゃんは、想像していたような「愛想のいい娘」ではありませんでした。淡々として、クールで、一ミリたりとも「媚び」がないのです。でも、あれこれしゃべっているうちに、ぼくには分かってきました。真央ちゃんは、いまどき珍しいくらい芯のしっかりした女性で、しかも、とても、優しい人間だということが。もっといえば、美人で、歌が上手で、重労働も顔色ひとつ変えずにこなし、そして、家族をなにより大切にする娘さんでした。

翌日、ぼくは「おつかい便」の車に同乗し、朝から晩まで密着取材をさせてもらったのですが、お客の爺ちゃん婆ちゃんたちから孫のように愛されている真央ちゃんを見ていて、これは小説になるぞと確信しました。「おつかい便」と「家族」というふたつの切り口から、現代を生きるぼくらの幸せの本質を手探りしてみようと思ったのです。

そうして書き上げたのが「たまちゃんのおつかい便」です。作中の登場人物たちは、実際の真央ちゃんやお客さんたちとはかなり違います。例えば小説では、主人公の母が血の繋がらないフィリピン人という設定になっていますが、実際の真央ちゃんのお母さんは日本人でとっても美人さんです。唯一、お父さんのキャラだけは少し似させて頂きました。昔はやんちゃな人だったけれど、いまは地元の人たちに愛されている居酒屋の名物店主。そういう人間臭い人、ぼくは好きなんですよね。

執筆中、ぼくは舞台となった青羽町(架空の町)の清爽な風に吹かれているような気分だったので、なんだか久しぶりに放浪の旅に出たくなってしまいました。でも、当分は忙しくて無理そうなので、妄想で旅をしようと思います。もちろん、かわいい婆ちゃんも脳内でナンパします。

※本エッセイは月刊ジェイ・ノベル2016年6月号掲載記事を転載したものです。
※2016年6月、実業之日本社刊『たまちゃんのおつかい便』を文庫化に際し改題。

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