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6月の文庫新刊『黒闇』刊行記念ブックレビュー
不器用な愛に溢れた物語 森 瑞人(紀伊國屋書店・新宿本店)

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官能小説を知っているだろうか?

男と女が出会い(同性の場合もあるが)、同意の上だったり無理矢理だったり、組んずほぐれつしながら、いろいろな愛を確かめ合う文化的小説の総称である。

草凪優は官能小説界のトップランナーであり、「読ませる」官能小説を、多数世に送り出してきた。著書『どうしようもない恋の唄』は「この官能文庫がすごい2010」で大賞を獲得、昨年夏には映画化となり話題を呼んだ。

そんな草凪優が、満を持して世に送り出した初の単行本が『黒闇』だ。4年前、ページをめくりながら、苦しく、淫らで、目が離せなかったことを強く覚えている。僕はこうコメントを書いた。

「登場人物が逃げてない。良くも悪くも前に進もうとして、堕ちた。それがとても良い」

そして今、各方面で話題を呼んだ本作が、文庫化された。


主人公の迫田修一は、自分を「終わった」人間と認めながらも、その状況を受け入れることができず、それでいて変わることもできないまま、妻の好意に甘え、無為に時を過ごす元バンドマン。

だが、そんな時も終わりを迎える。妻に男ができたのだ。

当たり前である。当たり前すぎて、修一は怒らない。怒れない。それどころか妻と浮気相手の痴態を聞かされ、興奮する始末である。情けない。だが、その情けなさがいい。

個人差はあれ、人間にはコンプレックスが付き物だ。駄目であればあるほど、修一への自己投影は深まっていく。

ある日、浮気相手が訪ねてくる。男の名は手塚光敏。日本トップクラスのミュージシャンであり、修一とは正反対。手塚は修一に依頼する。自分の隠し子を探し出して欲しいと。かくして修一は、二人の女に出会う。手塚の隠し子・龍谷杏奈と、その母であり、手塚の元恋人・美奈子だ。

彼女たちは強さと脆さ、相反する性質を修一に見せつける。修一はその色にやられ、反応し、変わろうとする。会話、生活、そしてSEXによって。

この描写がたまらない。言葉数は少なめで、オノマトペも必要最小限に抑え、あくまで文学作品として描かれているのに、「エロい」のだ。そしてとても「愛らしい」のだ。

失った幸せを、掴みなおそうとする彼らの姿を見ていると、気持ちが高ぶる。


物語はノワールの様相を増していく。

愛する者を守るために、愛する者を傷つける。憎んだ者を傷つけるために、自分自身を傷つける。悲しい。ひたすらに悲しい。目を背けたくなる情景だが、目が離せない。

凄まじく壮絶なラストを読み終えたとき、思った。登場人物たちは皆狂ってなどいない。狂うことができなかったのだ。狂うにはあまりにも現実を見過ぎていたから……。狂ったふりをしながら、ただひたすら前に進もうとしていたのだ。そこに待っているのが高く危険な崖だとわかっていても……。彼らは真っ直ぐに深い闇の中でもがき、苦しみ、生きていた。


強い信念で打破する主人公もいい。圧倒的な推理力で謎を解く名探偵もいい。

だが、ことあるごとに不安になり、逃げだし、怖くなって立ち止まり、進んだり戻ったり、そんなごく普通の弱い男、本作の主人公・修一は、もっといい。

彼が最後に手に入れた「変わらないもの」を、黒い闇の中で一緒に見届けてほしい。

不器用に愛し合う人間模様を描いた本作は、確かに官能小説であり、まごうことなき純愛小説の傑作だ。

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