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小説のプロとしての手腕が冴え渡る歴史エッセイ 河合 敦 (歴史作家)

10月の文庫新刊 伊東潤『敗者烈伝』作品解説
小説のプロとしての手腕が冴え渡る歴史エッセイ 河合 敦 (歴史作家)

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本書は、歴史小説家の伊東潤が書いた歴史ノンフィクション作品である。

二十五人の権力者の敗因を詳細に分析し、敗者から得たさまざまな教訓をわかりやすく読者に提示している。

伊東がいうように「歴史には膨大な教訓が残されて」いるから、「歴史から学ぶこと」は極めて重要だ。にもかかわらず「人が歴史から学ばない」のは、いまの歴史教育にその責任の一端があると、私は考えている。

確かに歴史の教科書は分厚く、これをすべて覚えろというのは酷な話だ。でも、どれだけ暗記しているかが、受験の合否に直結するのは紛れもない事実。そんなお寒い教育の現状に抗おうと、私は歴史を学ぶ意義について、生徒たちに次のように話して聞かせてきた。

「全く同じことは二度と起こらない。けれど、同じような出来事は過去に何度も起こっているだろ。だから過去に学べば未来が予測でき、適切な対応をとることが可能になるんだ。歴史という学問は、必ず君たちの将来に役立つんだよ」

とはいえ、教科書の記述自体が無味乾燥で面白くもないから、「歴史は暗記物」という固定観念が子どもたちに植え付けられ、世の中に歴史嫌いの人間が量産されていく。悲しいかな、それが我が国の歴史教育の現実なのだ。

だから、歴史の大切さを伝える本書が刊行されるのは、たいへん意義深いことである。とくにこの本の面白さは「敗者から学べることは、勝者から学べることよりも、はるかに多い」という著者の信念から、歴史上の敗北者たちを素材に選んだことにある。

選考基準として伊東は、「大物敗者」、「時代の節目となる戦いに敗れた者」、「読み物として面白い敗者」の三つを上げるが、最後の尺度は小説家ならではの視点だといえよう。しかも人気作家だけあって、巧みな文章で読者を本の世界へ引き込む術に長けている。私は長年、物書きをしているが、読者は冷酷である。ちょっと目を通して興味がわかなければ、決して本を手にとろうとしない。それを十分承知しているから伊東は、

「男の名は江藤新平。悪を排斥し、正義を執行するために生まれてきた男である」 といった一文を挿入してくるのだ。こんな台詞を目にしたら、どうしたってその先が読みたくなるだろう。そういった意味では、学者が書いたお堅い歴史書とは段違いの差だ。

だからといって、歴史小説家にありがちの「トンデモ空想本」ではない。白峰旬、高橋陽介、乃至政彦、毛利敏彦など、歴史学者たちの最新研究をきちんとおさえている。信用性の低い二次史料を用いたさいは、きちんと断りの一文を入れており、読者に対して誠実であろうと努めている。

とは言ってもやはり、歴史小説家の本である。本文中には読者をうならせ、納得させる歴史の仮説があちこちにちりばめられているからだ。

たとえば、源義経が兄・頼朝に無断で朝廷から官位をもらったことについて、「義経は頼朝が怒ることを承知の上で受けたのではないか」と述べ、興味深い推理を進めていく。

明智光秀の項では「ここからは仮説として読んでほしい」と前置きしたうえで、信長は上洛してきた家康の暗殺を光秀に命じ、それを巧みに利用した光秀が信長を殺害したという驚きの説を説く。しかも、史料と史料の隙間を見事に埋める論を展開し、論理的にまったく矛盾がみられない。

本書をまだ読んでいない方にはネタバレになるので、これ以上詳しいことは書かないが、まさに小説のプロとしての手腕が冴え渡り、それが本書の特色の一つになっている。

さらにいえば、本来歴史に「if」はないのだが、義経について伊東は「私だったら、頼朝に反旗を翻すと決断した時点で宗盛らを解き放ち、平家と共同戦線を組んだだろう」とか、「私が豊臣家の執政なら、関ヶ原合戦の敗戦後に何をやったか」、「ずばり城郭ネットワークの構築である」など、著者自身が歴史の現場に身を置いて、その解決策を提示しているのだ。これは、決して歴史研究者に書けない手法である。このように本書は、敗者から学ぶだけではなく、著者が豊富な知識の中から紡ぎ出す仮説やifが存分に堪能できる仕掛けがほどこされている。

ちなみに、この列伝を読みながら私の脳裏には、何度か知人や同僚の顔がちらりと浮かび、思わずにやりとする場面があった。が、自分にあてはまる人物も出てきたときは、さすがに笑えなかった。それは、足利義政である。

義政について伊東は、「基本的に『いい人』だったらしく、眼前の者から何かを頼まれると断れない。そうした妥協を続けていくうちに様々な矛盾が生じ」る。「こうした人は、人当たりがいいので誰からも好かれる。和の精神で会社をうまくまとめてくれると信じ、後継者に指名されることが多い」、「必ずしもこうした人材が悪いわけではないが、義政には優柔不断で『事なかれ主義』という負の面が強すぎた」、「やはり『事なかれ主義』は、後世にまで波及するほどの大きな問題を生じさせてしまったのだ」

私は、事を荒立てるのを好まない。だから他人と激しく争った経験がない。そうした事なかれ主義をずばりと指摘されたようで、ちょっとイラッとした。おそらく読者諸氏も同じような気持ちになり、自分を見つめ直す良いきっかけになるはずだ。

本書にはまた、敗因にまつわる珠玉のような言葉が多くちりばめられている。

私の心に響いたものをいくつか紹介してみよう。

「常に念頭に置かねばならないのは用心深さだ」、「自負心が強すぎて、相手の気持ちを慮ったり、相手の身になって考えたりすることができなかった」、「愚者は感情で動く。それを見誤った」、「素早い頭の回転で、適時適切な判断を下しているように見えながら、その実、大局的見地から状況を見通すことを怠り、大きな失敗を犯してしまう」、「失敗を自責で考えず、他責にするので同じ失敗を繰り返す」、「何事にも慎重で手堅くなりすぎるきらいがあり、ここ一番の果断さに欠けていた」、 「分不相応な地位に就くことや仕事を引き受けることは、本人にとっても悲劇なのだ」、「敵対勢力は徹底的に叩いておかないと、足をすくわれる」、「自分が正しいと思えば何を言っても聞 かず、とにかく自分の正義を押し通そうとする」、「猜疑心が強い割には根回しを行わず、慎重さに欠ける」

こうした言葉がすらすらと出てくるのは、著者自身の豊富な経験によるものではないか。というのは、本書の「あとがき」で伊東は、「われわれは日々、何らかの競争に身を晒している。あらゆることに競争は付き物であり、一つひとつの競争に勝ち抜いていかない限り、富や幸せを摑めない」と綴っているからだ。もともと伊東は、実力主義の外資系の会社に長年身を置いてきたビジネスパーソンだった。きっと過酷なビジネスの現場に身を晒し、ライバルたちと激しく戦い続けてきたのだろう。何度も敗北や屈辱を味わい、それでも立ち上がってきたのかもしれない。短期間に作家としての不動の地位を築けたのも、そうした己や他者の敗因を真摯に学びとった結果ではないか、そんなふうに私は勝手に推測している。

私が解説の依頼を引き受けたのは、伊東潤という作家をよく知る者だからである。彼と会った日のことは、いまも鮮明に覚えている。あるテレビ番組の収録で私が控え室に入ろうとしたところ、室内に巨漢がどんと座っていた。それが伊東であった。思わず私は後ずさりした。尋常ではない威圧感を感じたからだ。いまにもスーツのボタンがはち切れそうな分厚い胸板、そり込みが入った短髪のオールバック。鋭い眼光。

「かなりヤバい人」というのが、正直、彼の第一印象であった。

ところが実際に話してみると人当たりがよく、話が面白いうえ、染み渡るような笑顔を見せる。何度か会ううちに長年の知己のような錯覚すらを覚えるようになった。

「一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば三日の愛生ず」かつて中津藩士・増田宋太郎は西郷隆盛をそう評したが、伊東潤が西郷にダブって見えた。

一度、ご自宅までお邪魔したことがある。白亜の豪邸に広い書斎、美しい(世辞ではない)奥様がいた。まさに勝者の典例であった。きっと伊東潤という成功者がいまあるのは、彼自身が真摯に敗者から教訓を学びとってきた結果ではないか、本書を読んで改めて確信しているところである。

*本記事は『敗者烈伝』巻末の「解説」を転載したものです。

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