8月の文庫新刊『彩菊あやかし算法帖 からくり寺の怪』刊行に寄せて
創作の自由を謳歌しまくって 青柳碧人
単行本の文庫化というのはふつう、刊行されてから二年か三年後のことである。その際にも当然、ゲラ(原稿を実際の刊行のスタイルに組み直してプリントアウトし、校閲者・編集者のチェックが入ったもの)が出るのだが、これによって作者は久しぶりに自分の作品と向き合うことになる。
本作の文庫版のゲラは、新型コロナウィルス感染症・COVID-19の影響で人びとが自粛を強いられていた世相の真っただ中に僕のもとに送られてきた(余談だが、この「新型コロナウィルス」という呼称は、数年内に時代遅れになるはずなので、あまり使いたくない)。毎日家にこもって原稿作業をする鬱々とした日々の中で、「彩菊の二巻目ってどんなんだっけな」と思いながら読みすすめ、「ずいぶん自由だな」と笑ってしまった。
思えばこのシリーズは、「江戸時代の算法好きの少女が、化け物を相手に、その時代に日本にはなかったはずの数学を用いて立ち回る」という、長ったらしいコンセプトで書きはじめたものだった。時代小説のようで、伝奇小説のようで、数学小説のようで、ミステリのようで、その実、どのジャンルにも分類しがたく、「ジャンルなんてどうでもいいんですっ!」という当時の自分自身の叫びが聞こえてくるようでもある。
自由には責任が伴う、などと大げさなことを言うつもりもないが、それでも執筆にはそれなりに苦労した。数学を扱っている以上、「筆に任せて」というわけにもいかず、結構多くの(門外漢にも解かる程度の)数学関連書籍を読み漁ってネタを探した記憶があるし、一巻目より時代小説らしさを出したいという色気が手伝って、当時の実在の水戸の人物についても調べた(小宮山楓軒、飯塚伊賀七、木村謙次、立原翠軒など)。もともと頭の中が散らかっているような人間なので、情報が多くなればその散らかりようも華々しさを増すというもの、「ジャンル」への気の使いようなどどこへやら、何せ最終話には、エイリアンまで登場する作品になってしまった(虚ろ舟の造形は、実際に記録に残っている逸話を参考にしている)。
著者が言うのは恥ずかしいけれど、この作品は、作家・青柳碧人が創作の自由を謳歌しまくった作品だ。数学の問題を難しく突き詰めれば難しくなるが、そんなのは一切無視して、物語だけ楽しんでもいい。あれこれツッコミを入れながら読んだっていい。作者が自由を謳歌している以上、読者はその何倍も自由なはずである。
COVID-19は人類に未曾有の脅威を与えた。作家には繊細な人が多いから、影響された人も多いだろう。おそらく今後、感染症関連の息詰まるような小説がたくさん上梓されると思う。でも、人々が求めているものはいつだってエンターテインメントだと信じたい。ソーシャル・ディスタンス(これも、十年後にクイズ番組で聞いて懐かしむような言葉だ)を保ちながら愉しめるエンターテインメントとして、小説の価値を見直す流れがあってもいいのではと思う今日この頃である。
願わくば、本著がその大河の一滴にならんことを。
(本書あとがきより)