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小さな失敗や喜びを繰り返しながら「働く人」を描く物語 藤田香織(書評家)

8月の単行本新刊 小野寺史宜『タクジョ!』刊行記念ブックレビュー
小さな失敗や喜びを繰り返しながら「働く人」を描く物語 藤田香織(書評家)

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街中で手を挙げてタクシーを停める。すうっと近付いてきた車のドアが開く。やれやれと乗り込んでみると、女性の運転手。さて、あなたはどう思うだろうか。

最近、増えてきたな、という印象はあるものの、女性のタクシードライバーは、まだ全体の3%ほどでしかないという。

本書の主人公・高間夏子は、その珍しがられる存在だ。

大学を卒業し、大手タクシー会社に入社1年目。研修を受け、二種免許を取得して、トレーニングや地理試験を通過し、希望した東京の下町・東雲営業所に希望配属され、ドライバーデビューを果たして4か月。物語は夏子が23歳の誕生日を迎えたばかりの10月に始まり、翌年3月までを追っていく。

大卒、女子、おまけに若い。信用ならぬと思われ、嫌な顔をされることもある。逆に、ナンパ=男性客から誘われたりすることもある。

男性ドライバーと同じように深夜勤務もするのか。怖い目に遭ったりはしないのか。交通量も多く複雑な東京の道をそう簡単に覚えられるものなのか。不規則な生活には慣れるもの? 都心は駐車場のあるコンビニも少ないけどトイレはどうしてる? 正直、売上ってどれくらいあるの?

誰もが抱く疑問に答えるように、なかなか知りえない実情が描かれ、「お仕事小説」としての読み応えは文句なし。「へえへえ」と「なるほど」はぎゅっと詰まっている。

しかし、本書は主人公がわずか3%しかいない女性タクシードライバーだというその珍しさが最大の読みどころではない。

作者である小野寺史宜が描いているのは、「仕事」ではなく「働く人」なのだ。

夏子は、東雲営業所から徒歩10分、2DKの〈こぢんまりしたマンション〉に10年前から母とふたりで住んでいる。両親は11年前、夏子が小学6年生のときに離婚したのだが、おっとり系で〈やわらか~い母〉は紳士服販売会社の社員として、いつも正しく遊びがない〈硬~い父〉は都立高校の教師として働いている。11月のある日、夏子は、母から唐突に〈お見合い〉を持ちかけられ、その相手である森口鈴央と交際することになる。微ぽちゃ(ややぽっちゃり)な鈴央は区役所の職員で公務員だ。

それぞれに、その仕事を続ける理由がある。夏子にもまたタクシードライバーになろうと決めた理由があった。夢や憧れといった大仰なものではないが、その理由がしみじみといい。そのまっすぐな動機は羨ましい、とさえ感じた。けれど、仕事として続けていくうちに、〈わたしがタクシードライバーをやる必要はあるのかな〉と夏子は揺れる。この仕事を続ける意味はあるのか、と。

酒を飲んでいて終電を逃したから実家までタクシーで送ってほしいと、大学時代の元カレ福井響吾が、夏子に連絡を寄越す場面も地味に沁みる。リース会社に就職した同い年の響吾は、毎日のように誰彼ともなく誘い、飲みに行ってしまうという。

「何か、ヤバくない?」運転席から後部座席に向かって問うた夏子に、響吾はすんなり「ヤバいな」と認める。〈ちょっと意外に思う。いや、別にヤバくないでしょ。仕事だけで一日が終わるなんてつまんないじゃん。と、わたしが知る響吾ならそんなことを言いそうだから〉。そして「どうしたの?」と重ねて訊くと、こう応えるのだ。

「参ったよ。おれさ、何もできねえの」

「何もって?」

「仕事」

あぁ、と思わず目を閉じてしまった。

物語の大筋には関係のない、何気ない場面でさえこんなに刺さるのだ。夏子が見ていた両親の関係性も、結婚を前提に交際をはじめた鈴央との距離感も、「働く人」としての視点が大きな意味をもって描かれていく。

常日ごろは夏子と同じくひとりで仕事をこなす営業所の「同僚」や「先輩」との軽妙なやりとりや、小野寺作品ではお馴染みの作品リンクの楽しさもさることながら、小さな失敗や喜びを繰り返しながら続いていく時間を読ませる。

道に迷い不安になることがあっても、自分が乗る車は、自分で運転したい。デコボコ道でも時間がかかっても、自分の好きな道を選びたい。そうは思っても、踏み出せず、今いる場所でぐずぐずぐるぐるしている人は決して少なくないだろう。

好きなことを仕事にできる者は稀であり、仕事を好きになれるとも限らない。でも、それでも。働くことで作られていく自分を肯定したいと、ハンドルを握る夏子の姿を見守るうちに、強く思った。

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