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虫と人間が奏でる奇跡のハーモニー  いまいちばん「ムシ」出来ない物語!  内田 剛(ブックジャーナリスト)

9月の単行本新刊 井上真偽『ムシカ 鎮虫譜』刊行記念ブックレビュー
虫と人間が奏でる奇跡のハーモニー いまいちばん「ムシ」出来ない物語! 内田 剛(ブックジャーナリスト)

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「無視」か? それとも尊重すべきか? この本、もしかしたらトンデモかもしれない。タイトルの『ムシカ 鎮虫譜』を眺めて、まずは遠藤周作の名作『無鹿(むしか)』が頭をよぎった。「ムシカ」=「ミュージック」=「音楽」は想像がつく。戦国大名・大友宗麟が夢見たキリシタンの楽園都市・無鹿を描いた遠藤作品のイメージに引っ張られて、なんとなしに宗教的な意味合いをも感じとってしまったが、そこに「鎮虫譜」とあるから「虫」を絡めるとは。「音楽」と「虫」、これはどう考えても繋がらない。これは大きな風呂敷を広げながらストーリーが散らかり回収不能となるパターンか、と失礼ながら感じてしまったのも無理はないだろう。読み終えての結論。井上真偽先生、大変失礼致しました。前言をすべて撤回させていただきます。手放しで絶賛致します。この作品、ものすごく面白いです。いまいちばん「ムシ」出来ない物語に間違いなし! 卓越したアイディアでグイグイと畳み掛ける展開力は尋常ではないです。本当に感服しまくり。この四百ページは至福の読書体験が味わえる天国的な長さ。圧巻のボリュームにして、一気読みさせてしまう筆力は、最高の褒め言葉としての「トンデモ本」でした!

しかしなんとサービス精神の旺盛な作品なのだろう。本当に読みどころしか見当たらない。類する作品が見当たらない、まさに比類なき唯一無二の存在だ。ワクワク、ドキドキ、ハラハラ、ゾワゾワ、ゾクゾク……全編から伝わってくる異様なまでの高揚感は敢えて例えて言うならば、3〜4時間並ぶアトラクションが目白押しの超人気テーマパークに行って、ファストパスで完全制覇したような充足感だろうか。しかも花火やパレードも一等地で見ることができて、さらにはお土産も完璧に買えたような。読後の余韻がこの上ないほど最高だ。テーマパークの良さは一時、現実を離れて夢の国に身を預けることだが、『ムシカ』にも同様の長所がある。僕らが待ち望んでいた冒険をし尽くしたような喜びと楽しさに満ちているのだ。これぞまさしくエンターテインメントの極致。小説に出来ることのすべてがここにある。

物語の軸はいくつもあるが特に読者を強烈に引きつける恐怖要素を挙げたい。人は得体の知れないもの、自分とは異なる不気味な存在に潜在的に興味があって大好物である。幽霊、妖怪、化け物、宇宙人……畏怖させるものはたくさんある。大量の虫だってそのひとつ。そうはいっても生身の人間がいちばん恐ろしいのであるが、読む肝試しと言えるほど、この作品の怖がらせ方といったら桁外れだ。大きなブームになるほど読んで嫌な気分になる「嫌ミス」好きはたくさんいるが、僕の知り合いにも大ファンがいて、人が死ねば死ぬほどいいという。「では、どんな死に方が好みか」と聞くととにかく残忍なほど良いらしく、「全身に虫がたかって食い尽くされる」死に様が最高であると。いきなりカメムシの大群に襲われるなど本書『ムシカ』にはそんな悍(おぞ)ましいシーンが随所に用意されているからご安心を。目を背けながらも指の間から凝視したい、背筋を存分に凍らせて鳥肌も立ちっぱなし。換気と空調にも注意しながら読むべきだ。

いわく付きの無人島という設定もいい。ゆえあって人々がそこに集まりそれぞれに恐怖体験を味わう。舞台自体に大いなる謎があって未知なる不安をかき立てる。密室での完全犯罪を解き明かすミステリーのようだ。島の謎には隠された歴史と人間たちが膨らませた意図も混じる。逃げているのか守られているのか。秘密を暴きたい者がいれば守らなければならない者もいる。ここがストーリーの大きな肝である。島に伝わる神聖な物語と、欲にまみれた人間たちの素顔。まさに聖と俗との対比が、生と死、静と動、光と影、善と悪といった、この世のありとあらゆる相反する要素を巻き込んで、渦となって人々を呑み込んでいくのだ。物語ることの醍醐味はここにある。

怖がらせるだけでなく爽やかな要素を取りこんでいるのも斬新だ。とある音楽大学の友人グループがこの訳ありの島「笛島」への旅行を企画したことから物語は転がり始める。音楽を究めようとする若者たちそれぞれも「音」に対するトラウマを抱えていて上手く演奏ができない。如何ともしがたい懊悩が虫たちと対峙することによって次第に晴れていくのだ。不協和音がいつしか絶妙な協奏となって奇跡のハーモニーを奏でる。これはもう青春小説の王道と言ってもいい。毒々しい虫から感動の境地が見られるとは驚愕以外の何ものでもない。

これほど素晴らしく音が鳴る物語も珍しい。虫たちを音楽によってものの見事に踊らせた著者の企みは、大成功したと断言して良いだろう。これまでの作品でもそのセンスとテクニックで読者を魅了し続けてきたが、『ムシカ』はそれらの作品群とは明らかに一線を画したものであり、揺るぎない代表作に間違いない。もっといえばこれまでの作品は『ムシカ』を見事に着地させるためのドミノの一つにも思えるのだ。

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