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不思議な星のもとに生まれた作品 西川 司

10月の文庫新刊『異邦の仔 バイトで行ったイラクで地獄を見た』刊行に寄せて
不思議な星のもとに生まれた作品 西川 司

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「異邦の仔」というこの小説は、作者の私がいうのもなんだが、つくづく不思議な星のもとに生まれた作品だと思う。

そもそもこの小説は、今から七年前に書いたものである。その当時、私は東京から故郷の函館に住まいを移して三年ほどが経ち、出版不況が本格化する中で、いよいよ小説の依頼がなくなりつつあるころだった。私は、このままでは確実に筆を折ることを余儀なくされる。これからも小説を書き続けるには一体どうすればいいのかと真剣に考え、その結果出た答えが、ともかく名のある賞を取ることだ、ということに行き着いた。

そこで私は、近くのメガドンキに行ってバリカンを買ってきて、「俺はこれから一年間、家から出ずに賞を取れる小説を書くことだけに没頭する」と言って、その決意を肝に銘じるためにも丸坊主にしてくれと妻に頼んだ。

大まかな構想は、すでに頭の中にあった。私が二十二歳のときに日雇いのアルバイトでイラクに行き、そこでイラン・イラク戦争に巻き込まれ、一緒に行った仲間二人が戦火の中で非業の死を遂げたという、忘れようにも忘れられない体験を基にしたミステリー小説である。

イラクで一緒に働いたフィリピン人労働者(以下すべて著者撮影)

そして、主人公の職業や家族・友人関係、これまで体験してきたことなども、ほぼ事実に近い設定にして書き進めた。だから、オウム真理教の上九一色村のサティアンに潜入したエピソードが出てくるが、勿論それも私が本当に体験した出来事をそのまま書いている。

つまり、私にとってこの作品は、自分がこれまで体験し、伝えなければならないと思ったすべてのことを詰め込んだ渾身の一作なのだ。

そうして書き上げた作品を私は、とある大手出版社が主催している著名な賞に満を持して応募した。だが、結果は最終選考の四作に残ったものの賞を取ることはできなかった。

それから少しして、私がはじめて小説を書いた別の大手出版社を定年退職したばかりの元編集者から電話をもらい、近況を聞かれたので、賞を逃したことを言うと、「最終選考に残った作品は、どれが賞を取ってもおかしくないものばかりです。西川さんが、そこまで強い思いを込めた作品なら読んでみたいので、送ってくれませんか?」と言う。

私はその人の言葉に従って原稿を送った。すると、一週間も経たないうちに、その元編集者から再び電話をもらい、「送ってもらった原稿を私が退職した出版社の後輩の編集者にも読ませたら、この作品を世に出さないのはもったいない。ウチで出す気がないかどうか、西川さんに聞いて欲しいと言ってきました。どうですか?出版してみませんか?」と言った。

私にとって、その申し出はまさに願ったり叶ったりで、即座に了承した。

こうして、「異邦の子」は単行本として2014年に出版された。しかし、「異邦の子」は私の作品の中で最も売れなかった作品となり、文庫になることもなく、六年の月日が流れたのだった。

その後、私は新作を発表することなく、函館の短大で非常勤講師やカルチャーセンターで作家教室の講師をしたりして糊口を凌ぎながら、ときたま地元の新聞や雑誌にコラムやエッセイを書いたりする日々を過ごしていた。

そんなある日、たまたまウェブ雑誌のアルバイトマガジンで、「忘れられないバイト体験談」というエッセイを応募していることを知り、バイトでイラクに行ったら、イラン・イラク戦争に巻き込まれ、一緒に行った仲間二人が戦火の中で命を落としたという小説が「異邦の仔」という作品だというエッセイを書いた。

当時の日本のODAで作られた建物

戦争で破壊された民家

そして、その私のエッセイが掲載されたその日のことだった。ウェブ雑誌のアルバイトマガジン編集部からメールがきて、「西川さんに書いていただいた、あのエッセイが大変なことになっています。“はてなブックマーク”で西川さんのエッセイがさっき掲載したばかりなのに、いきなり総合一位になっています」と教えてくれたのだった。

しかし、パソコンはまだしもスマホやSNSというものにまったく疎い私には、なんのことかさっぱりわからなかった。

やがて、“はてなブックマーク”で私のエッセイを読んだ人たちがTwitterでつぶやきはじめ、私のエッセイがどんどん拡散されていったのだった。

そしてそのことをつい最近、私に「消えた女」という警察小説を出すきっかけを与えてくれた祥伝社の元編集長に伝えると、その人も驚き、すぐに長年の知り合いだという実業之日本社の編集者に話したところ、「わが社で異邦の子を文庫にして出版しましょう」となったのである。

そして今、私が書いた小説で最も売れなかったが、もっと力を込めて書いた「異邦の子」が最も多くの人に知られるようになり、六年の歳月を経て、多くの人が手に取りやすい文庫という形になって、再び世に出てくれたのだ。

私は、イラクで命を落とした二人の魂が、自分たちのことを知ってもらいたいとずっと願っていたからこそ、こうした不思議な巡り合わせに導いてくれたに違いないと思っている。

著者とクルド人労働者

(本エッセイは本書に収録された「あとがき」を加筆修正したものです)

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