プロットなしで小説を書く「体力」について
今野 敏『マル暴甘糟』刊行記念インタビュー
警察小説史上最弱(?)の刑事が主人公の、最新刊『マル暴甘糟』で新境地を開いた今野敏。
二〇一五年には還暦を迎え、いよいよ円熟味を増す氏が語る「面白い小説」の源泉とは――
構成/関口苑生
対立と融合が
物語を動かしてゆく
――新作『マル暴甘糟(あまかす)』は、阿岐本(あきもと)組シリーズ(『とせい』『任侠学園』『任侠病院』)のスピンオフ作品で、脇役だった甘糟刑事が主役です。これは前から企図していたんですか?
今野:いえ、別に決めていたわけではないです。任侠シリーズを三作書いてきましてね、出版社やって、学校やって、病院をやって、ときたわけですけど、四作目と言われて、これ以上もう面白いネタはないだろうと思ったんですよ。でもそれもちょっとまずいし、困ったあげくに、あの中のキャラクターを生かして、何かできないかと考えた。そしたら、ああ甘糟がいる、彼っていいキャラじゃないかと。
――マル暴の刑事にしては気が弱いし、事件はやだなあとか言ったり、役職もまだ下のほう。今までにはないタイプです。
今野:いかにもマル暴って刑事が主人公なのは珍しくもないし、まあそこは若干狙いましたかね。最初にああいうキャラで書いておくと、読者はハラハラして見守ってくれるだろうって。でもそれ以外はきわめてまっとうな警察小説です。今さら言うのもなんですが、安積(「安積(あずみ)班」シリーズ)とか竜崎(「隠蔽捜査」シリーズ)のような管理職を主人公にするというのは、むしろそっちのほうが異色なんです。もともとは現場の刑事のことを書くのが、オーソドックスな警察小説だったんですから。
――その甘糟が、いかにもマル暴っぽい先輩刑事の郡原(ぐんばら)と、本庁捜査一課のエリート刑事、梶の二人に挟まれ翻弄されます。
今野:普段付き合っているのが典型的なマル暴刑事で、そこにいきなりエリートっぽい、現場もあまりよく知らない刑事がやってきて……そのちぐはぐさがエピソードを生むという。
――案の定、すぐ郡原と梶が対立します。これはそのまま組対係と捜査一課の対立と見ていいんでしょうか。
今野:組対係に限らず、所轄の刑事というのは、それほど大きな事案を抱えているわけじゃないんだけど、とにかく事案の数が多くて、足も使って、やたらと忙しい。かたや捜査一課はでかいヤマしか扱わない。それも、軍隊みたいにわーっと人海戦術で捜査するのに慣れている。ですから、捜査のやり方から何から、当然全部違ってきますよね。よく出てくるのは公安部と刑事部の対立ですけど、これだって扱っている事案がそもそも違う。性格が違うんで、やり方も違って当然なんです。所轄と本部も同じで、立場の違いってことですね。
――それでも今回は、わりと堅物に見えた梶が、意外にも郡原や甘糟に対して理解を深めていきますよね。
今野:小説ですから、最初は対立の構図を描かなくっちゃ始まらない。でも対立しっぱなしだと物語にならないんでね。どこかで理解し合うという展開にすると、やっぱり読者の共感も得られやすくなります。
さっきの立場の違いという話も、梶たち捜査一課の言い分もあるはずなんです。組織的に捜査を進めたほうが効率的だという考え方なんか、実際そうなんだろうと思う。だけど現場でいろんなことが起きて、ひとつひとつ細かく対処する所轄の人たちがいないと困ることも確か。その両者がうまく融合したり、対立したりして物語が動いていく。
――甘糟たち所轄の刑事が管理官に直接話ができないのを、梶を通して話をつけてもらう場面があります。これは融合の端緒でしたよね。
今野:その通りです。多分そういう瞬間があると思うんです。人と人とが分かり合う瞬間、認め合う瞬間というのが。そこが好きなんですよ、書いていて一番楽しいところでもある。対立だけを描いていくと物語もギスギスしますしね。
たとえば映画なんかだと、対決の構図だけで最後まで引っ張っていけると思う。AとBどっちが勝つか、もっぱらアクションで見せていく。これはありでしょう。でも小説というのは、そういうメディアではないんですよ。もう一枚深いものがほしい。人が人に対して、何を思うかを書いていかないと、小説にはならないんです。人と人との感情を描いていく、それを書かないとすかすかになっちゃって、わたしの小説世界は成立しません。そのあたりが今回はうまくいったかなと思ってますが。
書いていくうちに、
登場人物の淋しさが見えてきた
――刑事同士の感情もでしょうが、ここにはもうひとつ、マル暴とマルB(暴力団構成員)の関係もあります。特に本作は、甘糟とアキラの会話劇に尽きると言ってもいいのでは。
今野:そうかもしれません。アキラは典型的なタイプとして出しただけなんですが、いつの間にか情で動く、結構人がいいヤクザになっちゃいました。
――でもヤクザの常套手段、会話のいちいちで相手を追いつめていったり、理屈の裏を言いつのったり、揚げ足をとったり……、任侠シリーズでもそうだったんですが、会話に抜群のリアリティがありました。これはどなたかに取材を?
今野:いえいえ、単にそれっぽく書いてるだけで、取材したわけでも、親しいヤクザがいるわけでもございません(笑)。
――そのアキラが、徐々に甘糟に友情めいた気持ちを抱いていきます。
今野:いや、書いてるうちにそんな気がしてきたんですよ。アキラもそんなに悪いやつじゃねえなって。書いていくうちに、アキラの淋しさみたいなのが、ちょっと見えてきた。このエピソードは入れてもいいんじゃないかなって。でも迷ったんですよ。いかにもで、照れ臭いかなとも思ったんですが。まあ、この場合もまた、人と人とが分かり合う瞬間ってやつがふっと訪れたんですね。それと甘糟って、気が弱くてどうしようもないように書いてはいるんですが、実は人望があるんですよ。みんなに好かれてます。そのへんは言っておきますね。
百冊書いてわかった、
「小説はプロットじゃない」
――今回の作品の特徴でしょうが、謎解きのプロセスが何だか謀略小説風で、いろんな事実が判明するに従い、事件の様相も劇的に変化していきます。見事な構成だと感心しました。
今野:ええとですね、裏話を少し披露しますと、わたしの場合はまず事件を起こしちゃって、その時に防犯カメラにこんなものが映ってましただとか、こんな証拠が集まってきましたというのを、後々まで引きずりたくないんですよ。時系列沿いにどんどん謎を明らかにしていって、また次の謎をという風に展開を早めていきたい。ところが今回は、車のナンバーがわかっているのに、持ち主がなかなか判明しない。書いているうちに、これって時間かかりすぎじゃないかって思ったんですわ(笑)。
――あっ、実はこれ校閲からも指摘が入ったんです。時間かかってるって。
今野:校閲さん素晴らしい。でね、それでじゃあ、時間がかかってる理由ですけど、そこに誰かが一枚噛んでるんじゃないかとしたわけです。そうすると話があれよあれよと膨らんでいっちゃった。
――緻密な構成があったわけではない?
今野:ない。いや、大まかには決めてるんですよ。あらかじめ、ある程度は考えていて、あとは流れで、より自然な選択をするんです。実際、犯人なんかでもこっちのほうが面白そうとなると、当初の予定を変えちゃうこともあります。
――以前のインタビューで、百冊を超えてから小説の書き方がわかってきたと仰ってましたが、その柔軟さは、冊数を重ねてこられたからでしょうか。
今野:うーん、どう言ったらいいんだろうなあ……これわたしの実感なんで他の人のことはわかりません。でもわたしの経験で言うと、たとえば自由自在に五百枚ほど書いてみるとする。本当の意味で中の物語を自由自在にコントロールできるようになったという実感は、やっぱり百冊書かないと出てこない。わたしだって最初の頃はプロットを書かないと不安だったんですが、百冊超えて「小説はプロットじゃない」ってことがわかったんです。
――経験の積み重ねということ。
今野:そうですね。ただね、昔もきっちりしたプロットを立てていたわけじゃなくて、だいたいこんな話でいこうという程度でしたけど。今、よくブログなんかで見かけるんですが、「企画が通った」と喜んでいる人がいる。余計なお世話だろうけど、プロットが通ったとかそういう仕事してちゃ、いつまで経っても小説はうまくならないよと言いたい。編集者の側だってこれでは成長しません。だから、とにかく書いて持ってこいと。大雑把でいいから、今度警察小説書いてみな、でいいと思うんだよね。すると両方が自力で成長していかなくちゃならなくなる。
――確かに、そうかもしれません。『マル暴甘糟』にしても、これをプロットにしてみたら……。
今野:つまんないでしょ。事件がひとつ起きて解決するってだけの話。その上暴力団がらみ? って言われて、企画通らなかったかも。ライトノベルのやり方なのかもしれないけど、若い編集者もプロットを持ってこさせて、それで判断して話をするというのは、文芸的な体力が落ちますよ。小説なんて、最後まで書ききってみないと、面白いかどうかはわからないところがある。朝日新聞で連載した『精鋭』なんて、プロット一切ないですよ。
――警察官の日常っていう。
今野:そう! 警察官の研修と異動の話。それで終わっちゃう。なんだろうなあ、最近文芸書が売れない、ダメになったという話をやたら聞くんですが、それにはやっぱり理由があるんですよ。
作家と文芸編集者、
それぞれの「体力」とは
今野:かつて俺たち若手は(笑)、五、六十枚くらいの短篇を書いて、じゃこれ貰っとくわと編集者に言われたまま、いつまでも載らないことがしょっちゅうでした。で、誰か偉い先生の連載が落ちた時に、よしやった、載ったぞぉと喜んだもんです。
――逆に今は載せるのが当たり前、前提に なっている場合が多いのは確かです。今野さんたちの時代は、とりあえず書いてみてよ、よかったら載せてあげる、何かの穴が開いたら載せますよという具合でした。
今野:それでいいと思うんだよなあ。若い時分は、金になるかなんないかわかんない原稿を渡して、それで体力つけてたようなものだったから。短篇の仕事っていうのは 本当に勉強になったしね。あとね、プロット持ってこいって言うんだったら、冒頭百枚でいいから持ってこいと言うほうがよっぽどいいね。編集者も期待感が持てるし、そういう体力をつけないと、新人はいつまで経っても連載はできない。怖くて始められませんよ。
――先にプロットを持ってくる人もおりま すね。ちょっと不安だから見てください、これでよかったら書きますと。
今野:そんなんじゃ駄目だよ、プロットじゃわかんないからね。冒頭五十枚でいいから書いてきてと言いなさいよ。最近いろんな選考委員やっていて、応募原稿を読む機会も増えているんだよね。その経験から言うと、冒頭がつまんない小説って絶対にあきまへん。それとプロローグつけてくるのも大概面白くない。上から俯瞰してプロローグが始まってと、そんなんじゃなくって、小説というのは視点人物が何を思っているのか、そこから始めなきゃ駄目なの。
――視点を変えるのはどうですか。
今野:混乱さえしなければ、視点の変更はOKなんですけど、ミステリーで視点変えるのって難しいよ。つまり誰がどこまで、何を知っているのか、ちゃんと把握整理しておかないとわからなくなる。これは結構ハードルが高いです。
――本書の場合ですが、構成はわりと複雑なんですよ。でも甘糟の視点だけで描かれているから、全体を読んでみると、複雑というよりきちんと一直線になっている。
今野:作家によって持ち味が異なるので一概には言えないんだけど、プロットの話と合わせて言うと、単純なプロットでも複数の視点で描くと面白くなる物語はあります。複雑なプロットを複数の視点で描くとわけがわからなくなります。
――ああ、だからやっぱりプロットだけじゃわからないと。
今野:そう。どこにどんな魅力が隠れてるかなんてわかんないですよ。プロットがつまらなくても、もの凄く面白いキャラクターだったら、それだけで読めてしまうしね。逆に言うと、最近の若手の小説は、骨組みはしっかりしてるんだよね。だけど、中身においしいところがない作品が多い。これってプロットで仕事してるせいなのかな。透けて見えるというか。
――あと、さきほど文芸的な体力ってことを仰ってましたが、それをもう少し。
今野:体力というのは、全体的なことで言うと層の厚さかな。個人的なことでは自信というか。俺たちの時代には、とにかく書いて持ってらっしゃいと本気で言える編集者が一杯いた。文章をちゃんと書かせて、ちゃんと読める編集者が。作家の側もそれに応えて、これは本になるかどうかわかんないけど、とにかく書いた。志のある奴はみんなそうやってきた。そういうことが作家の層を厚くし、自信もつけてきたんだろうと思う。売れる売れないより、 今はそんなことが気になって仕方ない。
――さすが日本推理作家協会代表理事です。そこで、本作の続きも是非。
今野:うーん、ネタがあるかなぁ(笑)。
(2014年10月 都内の仕事場にて)
こんの・びん
1955年北海道生まれ。上智大学在学中の78年にデビュー。「潜入捜査」「ST 警視庁科学特捜班」「東京湾臨海署安積班」など数多くの人気シリーズならびに、武道小説、伝奇小説なども幅広く手がける。2006年『隠蔽捜査』で吉川英治文学新人賞、08年『果断 隠蔽捜査2』で山本周五郎賞、日本推理作家協会賞を受賞。近著に『捜査組曲 東京湾臨海署安積班』『チャンミーグヮー』『自覚 隠蔽捜査5.5』など。