下村敦史『ヴィクトリアン・ホテル』刊行インタビュー
自問自答の日々と、「新しさ」への挑戦 社会派作家が放つ“希望”のミステリー
聞き手・構成/若林 踏
●今までにないグランド・ホテル形式の物語に挑戦したかった
──『ヴィクトリアン・ホテル』は複数の人間が一堂に会し、それぞれの人生模様が綴られる「グランド・ホテル形式」で書かれた小説です。今回、この形式で物語を描こうと思ったきっかけは何だったのですか?
下村:新連載の打ち合わせを行っている中で、編集者の方から「グランド・ホテル形式の物語はどうですか?」という提案があったんです。僕はこれまで三人称複数視点の物語は幾つか書いていますが、グランド・ホテル形式については書いたことがなかったので、「面白そうだから挑戦してみようか」と考えたのがきっかけでした。
──作中、ヴィッキィ・バウムの小説を原作とした映画「グランド・ホテル」について言及があります。題名の通りグランド・ホテル形式を広めた古典作品ですね。『ヴィクトリアン・ホテル』を執筆する上で、やはり意識された部分はあったのでしょうか?
下村:実は「グランド・ホテル」については小説を執筆することが決まった後に、「古典として押さえておこうかな」という位の気持ちで初めて観ましたので、特に意識したということはありません。
そもそもグランド・ホテル形式じたい、あらゆる映画や小説で使われているものですよね。だからグランド・ホテル形式でという提案をいただいた時に「でも、ただ単に群像劇を書くだけならば、別に目新しさはないよね。だったら、グランド・ホテル形式を上手く使って、今までにない仕掛けがある小説を書いてみようじゃないか!」と思ったんです。
──なるほど。確かにこの作品には小説だからこそ成し得た、他のグランド・ホテル形式の物語にはない仕掛けがあります。
下村:そうですね。本当は「自分の作品が映像化されたら良いなあ」という気持ちもありますが(笑)、本作に限らず、いざ作品を書いてみると、映像化が困難な仕掛けを好んで盛り込んでいますね。自分としては特にこだわっているつもりはないのですが、その時に「書きたい!」と思ったものが、結果として小説でしか味わえないような仕掛けになっている気がします。
●人間の内面にある“謎”を描けばミステリになる
──本作は驚くような仕掛けがある一方、これまで下村さんが書かれた作品と比べると、直球のミステリというよりストレートノベルに近いイメージがあります。
下村:たしかに、今まであまり書いたことがないタイプの物語を書いたな、という思いは僕自身もあります。ふだん書いている作品はもっとサスペンスを盛り込んだ作風なのですが、本作ではその要素は少ないですね。その点、今まで僕の作品を読んでいただいた方にどれだけ楽しんでもらえるのかな、という不安は少しありました。
──今回は強烈な謎やサスペンスを描くことを、敢えてご自身で封印されたのかな、と思いました。
下村:実は連載を始める前、爆弾テロを企んでいる人物がホテルに紛れ込んでいる、というアイディアもあったんです。しかし書き始めると、他の登場人物たちの物語とテンションがあまりに違うこともあり、上手く他のストーリーと絡まないなと感じました。そこで結局、爆弾テロの話を書くのは止めてしまいました。
──『ヴィクトリアン・ホテル』はミステリとストレートノベルの境界線にある物語ではないかと思います。「ミステリをミステリたらしめる要素って、何なんだろう」という問いが生まれる小説であるとも言えるのではないでしょうか。下村さんご自身は、ミステリ小説の“核”になるものは何であると思いますか?
下村:そうですね……デビュー前から国内外問わず様々な作家の創作論を読んでいるのですが、その中で「登場人物の心の中にも謎はあるのだから、人が出てくるだけでそれはミステリなんだ」という言葉を目にしたことがあって、これに「なるほど」と思いました。 だから、作中で大きな事件が起きなくても、登場人物の内面で謎が生じれば、それはミステリではないのかな、と考えています。
●主人公以外の人生を浮かび上がらせる
──そうすると『ヴィクトリアン・ホテル』って、実は下村さんご自身のミステリ観が最も表れている作品ではないでしょうか。
下村:いやあ、でも書いている最中はそういったことは思い浮かびませんでしたね。とにかく複数の登場人物をどう配置しようか、伏線はどこに張ろうか、ということを整理しながら書くので精いっぱいでした(笑)。特に今回は連載で、しかも他の新刊発売やプロモーションをこなす中で書いていたため、かなり苦労した記憶があります。
──なるほど。しかし苦労された反面、これまでとは違うスタイルの物語にチャレンジしたために発見出来たこともあるのではないでしょうか。
下村:うーん、そうですね。一番感じたのは「視点人物以外のキャラクターも、きちんと生きているな」ということです。
確か大沢在昌さんの『売れる作家の全技術』の中に「主人公が見ていないところでも他の登場人物たちは生きている」という趣旨のことが書かれていて、その言葉がデビュー前に読んだ時から印象に残っているんですね。しかし実際に小説を書いてみると、これがなかなか難しい。
これまでは視点人物が一人ないしは二人の物語を描くことが多かったのですが、「視点人物以外の人生が見えてこないな」と思うことが時々ありました。主人公の視点に寄り添って物語を書いていると、その視点に収まりきらない部分でも登場人物たちは人生を送っているはずなのに、それが浮かんでこない。それどころか「登場人物たちが作者にとって都合の良い存在になっているのではないか」という気持ちに囚われてしまうことがあったんですね。
だから『ヴィクトリアン・ホテル』で複数の人生を並行して描くのは、自分にとって新鮮でした。ある人物に視点を固定して物語が進行している時でも「ああ、その他の登場人物たちの人生も絶えず動いている」という感覚がちゃんと伝わるように書けたのではないか、と思っています。
●「善意」に悩む登場人物たち
──本作に登場する宿泊客たちは、それぞれ異なる問題を抱えて『ヴィクトリアン・ホテル』に訪れます。登場人物のうち、一番思い入れのあるキャラクターをひとり挙げるとしたら誰でしょうか。
下村:やっぱり新人作家の高見光彦でしょうかね。
──作家ということで自身の体験が盛り込まれたキャラクターだから、愛着もあるのでしょうか。
下村:もし、この作品でインタビューを受けた時に絶対に聞かれるだろうな、と思っていた質問が来ました(笑)。もちろん、自分が江戸川乱歩賞を受賞した時の様子や、他の作家さんから伺ったエピソードなど、自他問わず色々な作家の体験談を盛り込んで書いたキャラクターではあります。
──登場人物全員のエピソードを貫くテーマとして「善意とは何か」というものがあります。このテーマは執筆前から小説に盛り込もうと思われていたのでしょうか?
下村:いえ、「善意とは何か」というテーマは、執筆に取り掛かった後、物語が動き始めてから生まれたものですね。メインの人物のうち、最初に登場する佐倉優美は「優しさとは呪いだ」ということについて悩んでいる人間として描きました。そうすると「他の登場人物たちも形は違えど、みな善意について苦悩している点は同じだよね」ということが、書いているうちに段々見えてきたんですね。ですから、テーマは後から出てきた感じです。
●希望の物語が書けたと思う
──本作のテーマとしてもうひとつ、「人を傷つける表現」というものがあります。この問題はSNS上でもたびたび炎上し、かなりセンシティブな話題だと思いますが、敢えてこのテーマを真正面から取り扱おうと考えたきっかけなどはあるのでしょうか?
下村:去年くらいですかね、ある表現の問題が大きくクローズアップされた時に、純粋にフィクションを楽しめなくなったことがありました。その問題自体は私自身に直接関係があることでは無かったのですが、「この作品のこの表現が良くない」という意見を目にしてしまうと、「自分の好きなあの作品も当てはまるよね」ということがどんどん頭に浮かんできて、非常に悩んでしまう時期があったんですね。その時は、呪いのようなものにかかっていた気分でした。
そういう経験もあって「人を傷つける表現」という問題にいちど向き合って、自分の中で答えを見つけてみようという気持ちになりました。作品を書きながら自問自答を繰り返して、あのとき悩んだことについて自分なりのアンサーを出したいな、と。
──「人を傷つける表現」について考えるというのは、言葉の持つ暴力性をどう捉えるのか、という話につながります。でも、この物語では他者からの言葉によって、登場人物の人生が少しずつ変化し始めますよね。その意味で、言葉の持つプラスの面にも着目した作品だと思うのですが。
下村:そうですね。前作の『同姓同名』の感想をSNSなどで見た時に、「作中で描かれる悪意が生々しくて、ときどき苦しい気持ちになった」という意見を見かけたことがありました。その際「今の時代、もう少し希望のある物語の方が好まれるのかな」という風に思ったんですね。
そのあと『同姓同名』の担当編集者と『ヴィクトリアン・ホテル』について会話をする機会があったのですが、その編集者からは「『同姓同名』という作品で、良くも悪くも下村さんの中にある毒素みたいなものを出し切った。だからこそ『ヴィクトリアン・ホテル』のような物語が書けたんじゃないのかなと思いました」と言われました。
確かにそうだな、と思いましたね。『同姓同名』は人間の悪意が盛り沢山と呼べるくらい詰まっているミステリでしたが、『ヴィクトリアン・ホテル』は対照的に人間の善意を描いている気がします。実際、『ヴィクトリアン・ホテル』を読んでいただいた書店員の方から「今まで悶々と悩んでいたことについて、回答を得られた気分でした」という感想をいただきました。その点、人に希望を与える物語を書くことが出来たのかな、と思っています。
──今後の予定を教えていただけますでしょうか。
下村:5月に講談社から安楽死をテーマにした連作短編が出ます。一昨年に「日刊ゲンダイ」で半年間連載した作品で、同じ病院の中で起きた複数の安楽死事件をそれぞれ異なる視点から描いた、社会派のテイストが強い物語になっています。
──そちらも楽しみにしております。本日はありがとうございました。
●プロフィール
1981年京都府生まれ。2014年『闇に香る嘘』で江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。数々のミステリランキングで高評価を受ける。15年「死は朝、羽ばたく」が日本推理作家協会賞(短編部門)、16年『生還者』が日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)の候補になる。著書に『真実の檻』『サハラの薔薇』『黙過』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『コープス・ハント』『同姓同名』などがある。