8月文庫新刊 草凪優『冬華と千夏』作品解説
人間にとってセックスとは何か 末國善己(文芸評論家)
男性が疑似的なセックスを楽しむための人形、ラブドールの歴史は古い。
一五世紀半ばから始まる大航海時代には、長い航海に出る船員のために布製、もしくは革製の人形が作られたという。ドイツの医師イヴァン・ブロッホは論文『私たちの時代の性生活』(一九〇八年)の中で、パリで製作されたゴムやプラスチックで作られた男性型、女性型のラブドールに言及。一九五〇年代になると世界的にラブドールの商業的な販売が本格化し、日本の南極観測基地第一次越冬隊(一九五六年)が精密なラブドール(通称・南極1号)を持っていったとの伝説も生まれた(この真偽は、高月靖『南極1号伝説 ダッチワイフからラブドールまで―特殊用途愛玩人形の戦後史』に詳しい)。かつては空気を入れて脹らませる簡易なラブドールが多かったが、一九七〇年代に入ると金属製の骨格にシリコンやソフトビニールで肉付けし人間の皮膚と変わらない質感と写実的な容姿を持った高級ラブドールが開発され、より人間に近付ける改良を加えられながら現在に至っている。
淫靡な好奇心を刺激し、セックスの本質を突き付けるラブドールは、小説の題材として取り上げられることも多い。江戸時代に書かれた北条団水『色道大皷』(一六八七年)には、江戸に単身赴任した男が、魂が宿った妻と瓜二つのラブドールに生気を吸い取られる「我朝の男美人」というエピソードがあり、映画のフィルムをベースに恋い焦がれた映画女優の精巧なゴム人形を作る男が出てくる谷崎潤一郎の短篇「青塚氏の話」(一九二六年)も、ラブドールものといえる。
ラブドールものが最も華やかなジャンルがSFで、自律して動き、会話や感情表現をする個体もあるセックス機能付きのアンドロイドは、松本零士の漫画『セクサロイド』(一九六八年〜一九七〇年)、眉村卓『わがセクソイド』(一九六九年)、平井和正『アンドロイドお雪』(一九六九年)など一九六〇年代後半に相次いで登場し、その後も、主人公イルの相棒を「両性具有セクサロイド」のクラムジーとした大原まり子〈イル&クラムジー〉シリーズ(一九八四年〜一九九一年)、愛玩用少女型ガイノイドが暴走し持ち主を殺す事件が発端となる押井守監督・脚本のアニメ映画『イノセンス』(二〇〇四年)など名作が発表され続けている。最新AI(人工知能)を搭載したセックス専用の高性能アンドロイド〈オンリー〉を、日本で展開するビジネスパートナーに抜擢された男を主人公にした本書『冬華と千夏』(単行本時のタイトル『ジェラシー』を改題)も、この系譜の作品である。
物語の舞台は、少子高齢化、政治の無策、企業の競争力低下などで国民総所得が世界五十位に転落し、少数の富裕層と大多数の貧困層に二分された近未来の日本。これは悲観的に思えるかもしれないが、マクドナルドが世界中で発売しているビッグマックの価格を国際比較し、その国の物価や購買力を探る二〇二〇年のビッグマック指数を見てみると日本は二五位(ドル換算3・64)で、これは一五位のタイ(ドル換算4・08)、二〇位の韓国(ドル換算3・75)より低い。一九九〇年代のバブル崩壊以降、デフレ傾向が続き、新たな成長産業を育てることができず、新興国に追われている日本の現状を踏まえれば、本書の未来予測はリアルといえる。
廃虚のような東京郊外のニュータウンのマンションの一室を不法占拠して暮らしている波崎清春は、アメリカ東海岸の大学院で学び、〈オンリー〉の製造元と交渉して世界初の代理店を日本に設立することになった二七歳の美女・神里冬華に、ビジネスパートナーになって欲しいと頼まれていた。最初に〈オンリー〉を時間貸しにして評判を上げることを考えていた冬華は、かつてデリヘル・グループの一店舗を任され売り上げをトップにした清春の手腕を欲しがったらしい。その条件として〈オンリー〉を抱くことになった清春は、ナンバー一のデリヘル嬢を凌駕する「キスから愛撫、愛撫から愛撫、愛撫から挿入、体位の変更」を繫ぐ巧みさ、相手とセックスの「リズム」を合わせる驚異のテクニックに衝撃を受ける。
清春たちが立ち上げた〈オンリー〉を派遣するデリヘル〈ヒーリングユー〉は、すぐに評判になる。商売を大きくするため清春は有能な若手を集め、清春とは対照的に内省的で長く引きこもっていた双子の弟・純秋を呼び寄せ〈オンリー〉の調整を任せた。〈オンリー〉は同じ顔、同じ性能だが、開発元さえ正確に把握していないAIをカスタマイズすれば、それぞれに個性が与えられると気付いた純秋は、「清純派」「大人っぽい」「お嬢さまふう」といった様々なタイプの〈オンリー〉を生み出し、これが〈ヒーリングユー〉の人気に拍車をかけていく。一方、デリヘル部門から離れた冬華は、銀座にショールームを開き、富裕層向けに〈オンリー〉を長期にわたって貸し出すビジネスを始めるが、なかなか軌道に乗らなかった。
太平洋戦争の敗戦後、家族と財産を失って困窮し主にアメリカ兵に体を売る日本人の女性が現れた。彼女たちは(語源には諸説あるが)「パンパン」と呼ばれ、その中でも特定の将校一人と愛人的な関係になった女性は「オンリー」と区別されていたようだ。セックス専用アンドロイドの〈オンリー〉は、「アメリカの企業」か「アメリカに本拠地を置く多国籍企業」が開発したとされており、不特定多数を相手にする清春が管理する〈オンリー〉は「パンパン」を、特定の個人に貸す冬華が管理する〈オンリー〉はそのまま「オンリー」を想起させる。この図式は、政治も、経済も、文化も、憧れのスターなどを通してセクシャリティもアメリカの強い影響下にある戦後日本の戯画のように思えた。本書はセックスを軸に対米追従を続ける日本を描く一面もあるだけに、米兵とドラッグや乱交パーティーに明け暮れる日本の若者を活写した村上龍『限りなく透明に近いブルー』(一九七六年)、在日米軍基 地を脱走したアフリカ系の兵士と暮らす女を主人公にした山田詠美『ベッドタイムアイズ』(一九八五年)などと読み比べてみるのも面白いのではないか。
冬華は自分の美貌を〈オンリー〉の宣伝に利用することも兼ね、「セックス・アンドロイド」の是非を問うテレビの討論番組に出る。教育評論家の京極恵三が〈オンリー〉に好意的だったのに対し、女子大の教授をしている尾上久子は、「人形が相手ならなにもかも許されていたからと、生身の女にも同じこと」をするような「危険な存在」を生み出す、男性の欲望を肯定するだけの〈オンリー〉はセックスの「厳しさ」を忘れさせるなど反対の論陣を張る。
AIを搭載したラブドールが存在するのはフィクションの中だけと思われがちだが、くしくも本書の単行本が刊行されたのと同じ二〇一八年、ラブドールを製造販売するアメリカのアビスクリエーション(Abyss Creations LLC)が、「リアルドール(RealDoll)」シリーズの新モデルとして、AIを搭載しプログラム制御で駆動する頭部を持つ「ハーモニー(Harmony)」を発売したのだ。「ハーモニー」は、声やタッチに反応して表情を変え、会話をし、長く使うと持ち主の好みに性格を調整できるとされている。頭部だけの「ハーモニー」は約六千ドル(日本円で約六六万円)、これに約四千ドル(日本円で約四四万円)ほどの普通のラブドールのボディをプラスすると日本円で百万円を超えるので、かなりの高額といえる。
通信技術やAIの研究では世界をリードし、長く一人っ子政策を続けたため結婚相手がいない男性が多く市場規模が大きい中国もラブドールの製作に力をいれており、「ハーモニー」と同様にAIを搭載した頭部を持つモデルは既に販売され、ボディも自律的に動く製品も開発されているようだ。そのため〈オンリー〉に匹敵する性能を持つラブドールが生み出されるのも遠い未来ではなくなっている。
こうしたテクノロジーの進歩を踏まえ、二〇一六年頃からAI搭載のラブドールが人間(特に若者)に与える影響が議論され、国際的なシンポジウムも開催されるようになった。その中には、冬華と久子の討論に近い内容もあるので、本書はテクノロジーとセックスの関係をめぐる最先端のテーマを掘り下げているのである。
清春は、デリヘルと違い商品が人間ではない〈ヒーリングユー〉は、取り締る警察とも、同業のやくざとも無縁な楽な商売と考えていた。清春にはデリヘル嬢であり恋人でもあった千夏に自殺された過去があったが、それをネタに私立探偵を名乗る百舌が金を要求してくる。百舌は、千夏と冬華の知られざる接点も探り出したらしい。さらに冬華が、新たなパートナーとして京極を選んだことも分かってくる。
清春の側近で調査や戦闘に精通する黒須は、自己啓発セミナーを経営する京極が、復讐する相手の顔に強酸をかけるアシッド・アタックを日本で広めた事実を突き止める。配下に武闘派がいる清春と京極の緊張が高まるなか、冬華の経営方針に疑問を持つ〈オンリー〉の製造元が派遣したローザ・フィリップスが清春に接触してきた。冬華が狂信的なテロリストに影響を及ぼすなど危険な京極を切ることを希望するローザは、そうならなかった時に独立する気はないか清春に打診する。ただ清春は、ローザが欲しがっているのは自分ではなく、純秋の持つ〈オンリー〉の整備能力ではないかとの疑念が拭えないでいた。
中盤以降は、清春と京極が繰り広げる暗闘がサスペンスを盛り上げ、〈オンリー〉とのセックス中に腹上死する人間が増えたのは偶然か、〈オンリー〉の機能的な欠陥か、冬華と千夏はどのような関係にあり、なぜエリートの冬華が社会の底辺にいた清春をパートナーに選んだのか、そしてローザを送り込んできた〈オンリー〉の開発元の目的は何かといったミステリーや、冬華の顔と体を模した〈オンリー〉が投入されたことで深まる冬華、清春、純秋、京極の愛憎劇も加わる怒濤の展開になるので、ページをめくる手が止まらない圧倒的なドライブ感がある。
謎と陰謀の果て、すべての伏線が回収された先に待ち受けているのは、人間にとってセックスとは何かという問い掛けである。女性を商品にするデリヘルで働き、高度に進化したオナニーなのか、セックスの代替行為なのか、セックスを超えるものなのか判然としない〈オンリー〉で金を稼ぎ、その過程で地獄を見た清春が最後にたどり着いた境地は、AIが人間の精神と肉体をコントロールできるようになった時代に、改めてセックスとは快楽を得るためのものか、パートナーとの心の充足を味わうものなのかに切り込んだといえる。性病のリスクもなく、他人に奪われる心配がないのでジェラシーとも無縁、ひたすら忠実で快楽だけを与えてくれるラブドール、あるいはバーチャルリアリティの〝恋人〟が現実になりつつある今、本書が投げかけたアクチュアルなテーマは重く受け止める必要がある。