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コージーな物語で“生きづらさ”を描く

近藤史恵『たまごの旅人』刊行記念インタビュー
コージーな物語で“生きづらさ”を描く

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近藤史恵さんの最新刊『たまごの旅人』は、新人旅行添乗員の奮闘を描くウェルメイドな連作短編集。海外旅行の醍醐味を楽しめると同時に、日本社会で生きる若い世代の女性の姿を描く人間ドラマでもあります。1993年のデビュー以来、小説家として社会を見つめてきた近藤さんがいま感じていること、コロナ禍が作品に与えた影響についてもお話を伺いました。
聞き手・構成/青木 千恵

──最新刊『たまごの旅人』は、新米の旅行添乗員・堀田遥が、異国の地で奮闘する連作短編集です。この物語をお書きになった経緯を教えてください。

近藤:お仕事小説アンソロジー『エール!1』(実業之日本社文庫、2012年)で旅行添乗員を主人公にした短編を書いて、その前から添乗員の仕事に興味がありました。〈清掃人探偵・キリコ〉シリーズが終わり、新しいものをということで、旅行添乗員さんの話を書くことにしました。

──なぜ旅行添乗員に関心を持たれたのですか。

近藤:旅行添乗員は、旅行にたくさん行けて楽しそうとか、英語や外国語も堪能で自由なイメージが大きいような気がしますが、人をケアする仕事なんじゃないかと思います。大変な仕事だし、そこにドラマが発生するのではないかと。『エール!1』の主人公はバリバリ働くタイプでしたが、今回は『たまご』のようにごろごろ転がって、あちこちぶつかって世界を見る、親しみやすい感じにしたいと思いました。できない人ができるようになっていくのはカタルシスがあるし、最初からできる人よりも仕事の大変さが伝わるんじゃないかと。

──子供の頃から遠くの世界に憧れていた遥は、念願かなって海外旅行の添乗員になります。第1話「たまごの旅人」のアイスランドが初の添乗ツアーで、スロベニア、パリ、北京・西安と続きます。行き先と旅程、参加者の構成はどう決められましたか。

近藤:初めの2カ国は、私が旅行をした中から印象的な国を選びました。アイスランドは行ってみてとても楽しかったです。自然が豊かで、地球が剥き出しになったような印象もあるのに、観光地として洗練されている。私は見られなかったんですけど、オーロラが見られるかどうかもフックになるし、つかみにいいのではと1話目にしました。次のスロベニアは美しい国だったのですが、ちょっと日本では知られてなかったので、おすすめしたいな、と。一話ごと、今回のお客さんはこういうメンバーで、話に深く関わってくるのはこの人たちと決めて描きました。

●スロベニア、パリ、北京…土地と人のドラマ

──2話目「ドラゴンの見る夢」では、『クロアチア、スロベニア九日間』というツアーに添乗します。初めてこの地を訪れる遥やお客さんの目線に合わせて、近藤さんが描きたい場所や料理を交えていかれた。

近藤:実際に行ったときの経験や、他のツアーの旅程表を見て決めました。わたしは個人旅行が好きなのですが、現地ツアーもよく利用します。アイスランドなどは、現地ツアーがとても充実していて、個人旅行とツアーの良さが両方味わえました。わたしは、向こうでゆっくりしたいし、団体行動が苦手なので、個人旅行が好きですが、忙しい人やたくさん見所をまわりたい人はツアーの方がいい場合も多いと思います。旅の楽しさは一緒ですよね。

──スロベニアのツアー客は14人で、60代の父・幹夫さんと30代の娘・結(ゆう)さんがいる。幹夫さんは傍若無人で、大人しい結さんを見下していて、遥も他のお客さんも引いてしまう。微妙な父娘関係とスロベニアとを絡ませたのはなぜですか。

近藤:今回は、若い女性の生きづらさが裏テーマなんです。スロベニアに行ったとき、鍾乳洞にドラゴンズベイビーと呼ばれる天然記念物の両生類がいて、印象的だったので、重ねて描きたかったのです。現地発着ツアーで日本から参加する人のなかには時々、えらそうだったり、差別的なことを言ったりする“困ったおじさん”がいるんです。前は家族内や、友達などの身内の中でだけだったのが、今はインターネットなどの影響もあって、過激な発言が表に出やすい傾向もあると思います。 一日なら我慢できるけど、いつも一緒だったら大変そうだなと思う。ただ、そこにその人のドラマがあるんですね。その人にはそうなった理由があるし、もううんざりだと思っている家族や、一時のつきあいで慮ってみる人たちのドラマが生まれる。ただ、一律的に悪く描くことはやめようと考えて、困ったおじさんばかりでなく、感じのいいおじさんも出しておいたりしました。

──3話目(「パリ症候群」)の舞台をパリにされたのは?

近藤:そろそろメジャーなところはいかがですかと言われて(笑)、パリにしました。ベルリンなども考えましたが、パリは何度も行っていて描きやすいし、「素敵」「鼻持ちならない」といった多面性があって、何度描いても面白い。矛盾した魅力がある街で、今回はパリを好きじゃない遥の目線から描きました。

──4話目「北京の椅子」では、『西安、北京六日間の旅』に添乗します。70代の男性客が頑固な人で、北京の路地にある椅子とドラマが結びつくのが面白いなと。

近藤:4話の角田さんも難しい人ですが、「困ったおじさんがいる」だけでは小説にはならないんですね。肯定するわけじゃないけど、突き放すわけでもない。距離感みたいなものを小説では保てたらなと思って。アガサ・クリスティの『春にして君を離れ』みたいな小説もあるけれども、結局はその人が変わらない限りはなにも変わらないのかなあとも思います。北京は、本当に椅子やソファが多いと、留学をしたことのある友達から聞いていて、実際に歩いてみても同じように感じ、そこから話をふくらませました。

●自分の「夢」とのつきあい方

──5話それぞれにドラマがあります。ハプニングが起こり、悩みながらも、異国の地で遥もツアー客も少し変わる。

近藤:旅行添乗員のほとんどは派遣社員なんです。今は私たちが20代の頃と違って、若い人たちはシビアな状況に置かれている。派遣社員を主人公にしたからには、今の若い人の生きづらさを無視できない、旅の楽しいところだけ描くわけにはいかないなと思いました。どちらかというとコージーな小説で、読み終わった時にほっこりしてもらいたいけれど、困難な状況にいる人の生きづらさも描くことにしました。 困ったおじさんも、社会によって甘やかされてきたのに、いきなり変化が押し寄せてきてしまった。スポイルしてきたのは社会なのに、置いてきぼりにされると反発も生まれ、よけいにまわりを困らせるよくない循環が起きていると思うので、そのあたりも描いてみたかったですね。

──旅を仕事にしたくて添乗員になった遥は、一人前になろうと奮闘します。近藤さんは20代から小説家をされていますが、遥の気持ちと重なるところはありましたか。

近藤:ありました。20代でデビューした時、小説家だけでやっていくのは難しいと言われて、いまだに兼業がいいですよと言われる。でも、それは兼業できる体力や、家族からのサポートがある人からの生存バイアスでもある。もちろん、専業でやってきた私の生存バイアスもある。でも、みんな違うし、夢とのつきあい方もそれぞれだから、自分で決めるしかないんです。 この仕事がしたいと思って遥は旅行添乗員になりますが、なってみると大変で、“好きの搾取”が行われているんですよね。かといって、お給料がよくて安定した仕事をしたいかというと、彼女なりに夢がないと続けられないところもある。

●コロナ禍で変わった物語の結末

──新型コロナの影響で、最終話は、当初の予定とまったく違った物語になったとか。

近藤:連載を始める頃は、コロナ禍がここまで長引くとは思っていませんでした。連載中に海外取材をして、最終話のツアーは南米かインドにしようと考えていたんです。でもコロナ禍で、これまで実際に行った場所でまとめることになりました。パンデミックに触れずに終える選択肢もあったんですが、若い人の生きづらさが裏テーマだし、これは無視できないなと。 このパンデミックはまだまだ終わらないと思ったときに、最終話の構想が生まれました。沖縄は搾取されているし、リゾートで素敵なイメージもある。若い女性が抱える矛盾とどこか一致する場所ですから。お芝居をしている人はまわりにいて、お稽古を再開したらすぐに緊急事態宣言でとか、本当にみんな大変な思いをしているんですよね。

──遥の親友、千雪の仕事は看護師で、コロナ禍で多忙を極めています。一方で遥は、パンデミックによって海外添乗の仕事を奪われてしまいます。

近藤:遥は千雪の大変さをわかりつつ、マイナスの感情を抱いてしまう。でも、あなたの仕事には居場所がある。自分にはない、と。それは分断だけど、分断しているのは社会なんじゃないかと思います。居場所を奪われなければ、そんな感情は生まれない。今はいろんな場面で人と人とが分断されていると思います。現状が不甲斐ない時に見栄を張って、悩みを言えずに遠のいて分断が起こるのは、女性の「あるある」じゃないかなと。男性もかもしれないけど。

──「生き延びましょうよ。六十年でも百年でも」と、遥が結さんに言いますね(「ドラゴンの見る夢」)。

近藤:「あなたが世界を変えるんだ」はちょっと違うと思うし、「私たちが変えます」もなかなか難しいです。変えたい、でもその前に、とりあえず生き延びようよ、という状況がたくさんあるんじゃないかと思います。

●旅の経験を抱いて生きる

──そんな裏テーマがありつつも、コージーな物語ですね。ヴェルサイユ宮殿で「いかにフランス貴族がお金をじゃぶじゃぶ使っていたかの証明のようなもの」と遥が感想を抱く表現などユーモラスです。アイスランドの自然、スロベニアの鍾乳洞と竜の彫刻、トリュフ料理、北京ダックなど、行ってみたいし、食べたくなる。

近藤:旅自体は、苦行ではなくて楽しいものですよね。今はコロナ禍で海外旅行は難しいので、小説を読みながらでも旅を楽しんでもらえたらいいなと思っています。

──近藤さんはなぜ旅行がお好きなんでしょうか。

近藤:旅行は通り過ぎるだけで、そこに住んでいる人たちとどこか隔てられているんですよね。でも、行かないとわからない、見られないものがたくさんある。海外に行くと、日本で感じていた薄い膜みたいなものが破れて楽になる感覚があるし、いろんな景色を見るほど、自分の中に蓄積されるものが違う。 “老後の楽しみにお金を貯めて、いつかゆっくり行こう”では、旅の経験を抱いて生きる期間が短くなって、惜しいんですよね。いろんな経験を抱えて生きる意味でも、私にとって旅はとても大事なことだと思っています。だから、若い人が長時間労働で使い潰されて、お金と時間のゆとりを持てずにいるのは本当によくない。余裕を持って仕事をして、休みが取れて勉強ができる方がいいのにと、すごくもどかしい感じがあります。

●20代の頃描きたかったこと、今描きたいこと

──20代でデビューされて、ご自分の小説に変化を感じていますか。

近藤:昨年、デビュー作の『凍える島』に増刷がかかって、今も新しい読者に読んでもらえているのかなと思います。前は、自分がつらいと思うことを描いていたんですよね。今ももちろん自分が直接痛みとして感じていることは重要だけど、この社会がこのまま続いたらよくないという、社会的な意識が強くなってきました。たぶん自分が若くなくなって、責任感みたいなものが出てきたんだと思います。 今回も、若い女性たちの置かれている状況に義憤を感じながら描きましたし、年を取って楽になったぶん見えてきたもの、今の社会の生きづらさや不均衡を、ちょっと引いて見るようにして描くことが多くなりました。自分がすり抜けてきたからといって、見て見ぬふりはできないなと。

──今回、かつて旅した場所を追体験する感じはおありでしたか。

近藤:ありましたね。旅行は好きだけど、お客さんをケアする添乗員は大変だなというのと、また行きたいな、という感覚の両方がありました(笑)。

──また海外旅行ができるようになったら、どこに行きたいですか。

近藤:ロシアに行きたいです。以前、犬の病気でロシア旅行をキャンセルして、新しい犬を迎えてあらためて計画を立てていたら、コロナ禍で中断してしまって。場所はサンクトペテルブルク、最初に行こうと考えたのはハバロフスクとウラジオストックです。

──ロシアを旅して、また物語が生まれそうですね。

近藤:コロナ後の旅行は、これまでと違ったものになるような気がします。

(2021年7月14日インタビュー)

近藤史恵(こんどう・ふみえ)

●著者プロフィール
近藤史恵(こんどう・ふみえ) 1969年大阪市生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。93年『凍える島』で第4回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。2008年自転車ロードレースを描いた『サクリファイス』は第10回大藪春彦賞、本屋大賞第2位に輝く。〈ビストロ・パ・マル〉〈猿若町捕物帳〉〈清掃人探偵・キリコ〉シリーズをはじめ、長く愛読されている作品が多い。旅をテーマにした著書に、第13回エキナカ書店大賞受賞の『スーツケースの半分は』がある。近著に『歌舞伎座の怪紳士』『夜の向こうの蛹たち』。

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