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この世の中が一番おそろしい ――現代のムラ社会で起こる怪異を描く

篠たまき『月の淀む処』刊行記念インタビュー
この世の中が一番おそろしい ――現代のムラ社会で起こる怪異を描く

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取材・文=朝宮運河
ホラー界期待の新鋭・篠たまきさんの新作『月の淀む処』が刊行されました。フリーライターの紗季が引っ越してきた築40年のマンション〈パートリア淀ヶ月〉。そこは密な人間関係と昔ながらの風習が保たれている、現代のムラ社会ともいえる空間でした。奇怪な盆踊り、姿を消したトラブルメーカーの女性、空き部屋に出入りする人影――。このマンションではいったい何が行われているのか? 衝撃のホラーミステリーについて、作者の篠さんにお話をうかがいました。

──『月の淀む処』は東京郊外のマンションを舞台に、不気味な事件の連鎖を描いたホラーミステリーです。構想の出発点を教えていただけますか。

篠:この作品は「集合住宅もののホラーを書きませんか」とオファーをいただいて「〝和製『ミッドサマー』〟のような話にしよう」と構想したものなんです。『ミッドサマー』は都市部の若者が地方に行っておそろしい目に遭うという〝田舎ホラー〟ですが、舞台を日本に置き換えるだけでは芸がない。そこで発想を転換し、田舎を都会に連れてきたらどうだろうと考えました。
マンションを舞台にしたのは、自分も長年マンション暮らしをしていて、集合住宅は共同体そのものだなと感じるからです。特に管理組合が自主管理しているマンションは、独自のルールや禁止事項を作りあげ、ムラ社会化していることがあるようです。私が住んでいるマンションにも「ライオンやゾウを飼ってはいけない」という規約があるんです(笑)。法的に一般家庭で飼育禁止されている動物をそのまま書き写したものなのですが、初めて見た時は『都市の奇習だ!』と驚きました。こうした感覚を推し進めれば、共同体の怖さを描いた作品になるのではないかと考えました。

──たしかに集合住宅というのは一種の閉鎖空間ですね。特にオートロックのマンションでは、敷地内の様子を外からうかがい知ることができません。

篠:私は秋田県出身なのですが、東京に出てきて初めてオートロックのマンションを見たときに感動したんです。入り口のパネルを操作した人だけが、敷地内に立ち入ることが許される。まるで民俗学でいう「道切り」、つまり村の境界で行われる魔除けのためのおまじないのようだなと感じました。都会と田舎が繋がったようなあの感覚は、『月の淀む処』の原点のひとつだったかもしれません。

◆マンションで実際に経験した住民のお通夜

──物語の主人公・紗季は、東京郊外に建つ築40年のマンション〈パートリア淀ヶ月〉に引っ越します。都心に住んでいた彼女がこのマンションの一室を購入したのは、住居費をより安く抑えるため、そして元恋人と連絡を絶つためでした。

篠:東京というとビル街を想像しがちですが、郊外に足を伸ばすと自然がまだまだ豊かで、都市と田舎の境目のような景色が広がっています。〈パートリア淀ヶ月〉があるのもそんな郊外の住宅地。しかも最寄り駅から自転車やバスを使う必要があるというやや不便な立地です。都心のタワーマンションではなく、あえて郊外の古びた集合住宅を舞台にしたのは、住人同士の結びつきが強く、奇妙な風習が伝わっていても違和感がないからです。零細フリーランスである紗季が購入できそうな場所、という条件もあり、比較的地価の安い郊外を舞台にしました。

──〈パートリア淀ヶ月〉は、敷地内に虐待死した子どもを弔うお地蔵さまがあったり、エントランスに一年中しめ飾りがかかっていたりと、独特なムードが漂っています。仕事帰りに集会所の前を通りかかった紗季は、住人の通夜に誘われて困惑します。

篠:マンションの集会所でのお通夜は、以前住んでいたマンションで実際に行われていたことです。私も参列するように誘われましたが、まったく知らない方ですからね(笑)。どう断ればいいのか、困ってしまいました。東京と秋田、両方で暮らしてみて感じるのは、都会と田舎には、実はそれほど差がないんじゃないかということです。どれだけ大都会であっても、人はムラ社会を作ろうとする。都会での生活は人間関係がドライで気楽ですが、ちょっと距離感を見誤ると、田舎以上にややこしいことになるような気もします。

◆田舎も都会も人間の考えることはそれほど変わらない

──ある夜、紗季は敷地内で行われていた不気味な盆踊りに遭遇します。顔を隠した男女が静寂の中、黙々と踊り続ける光景に異様さを感じた紗季は、乱入してきたトラブルメーカーの女性が住人たちによって連れ去られるのを目撃し、さらにショックを受けます。

篠:マンションの駐車場が夏祭りの会場になるというのも、郊外の集合住宅で実際に見た習慣です。踊り手全員が顔を隠している盆踊りのイメージは、秋田県の有名な西馬音内(にしもない)盆踊りをヒントにしています。西馬音内盆踊りは観光客が大勢訪れるにぎやかな盆踊りですが、あれが闇夜の中、音もなく行われていたらカルト宗教的だろうなと。ただし一見不気味に思える奇祭にも、その形にいたるまでの必然性や理由があるはず。田舎も都会も人間の考えることはそれほど変わらないはずなので、この不気味な盆踊りにも納得できる理由があることにしています。

──不審の念を抱いた紗季は、隣の住人・真帆子に相談。大手雑誌社に勤める真帆子の発案で、二人はマンションの秘密を探ることになります。調査の糸口となったのは、かつてマンションの一室で起こった子どもの虐待死事件です。

篠:真帆子は明るくて、上昇志向が強く、危なっかしいほどに行動的。いろいろな面で紗季とは正反対のキャラクターです。対照的な二人のテンポのいいかけ合いは、書いていて楽しかったですね。二人の違いで一番大きいのは、経済的な基盤です。真帆子の勤務先は大手企業で、父親も彼女にマンションを与えるほど裕福。つまり人生で一度もお金に困った経験がないんです。そんな真帆子には、紗季が抱えている将来の不安、自分がいつ貧困層に転落するか分からないという恐怖は伝わりません。

──しかし謎の核心に迫るにつれて、紗季は取材への意欲をなくしていきます。彼女にとってはキャリアアップや社会正義よりも、平穏な暮らしの方が大切。そんな切実な心の動きも描かれています。

篠:もし自分が住んでいるマンションの異変に気づいたとしても、よほどのことがない限り見なかったことにして、静かな暮らしを選ぶと思うんですよね。騒ぎやトラブルの原因になって生活が脅かされたり、住んでいる場所の評判が下がったり、引っ越しの費用がかかったりしたら困りますから。正義を貫くためには、経済的な安定が不可欠です。「清貧」という言葉がありますけど、あえて生活苦に陥るリスクを冒してまで、正義を貫ける人がどれだけいるだろうか、とは常々考えていることです。

◆「怪しいのは、住人全員」、集合住宅では何が起こっても不思議ではない

──住人たちが心のよりどころにしているのが「ツキノカミサマ」と呼ばれる民間宗教者の母子です。彼女たちの存在が〈パートリア淀ヶ月〉をさらに独特なものにしていますね。

篠:カミサマというのは東北地方に実在する「口寄せ巫女」のことで、有名なイタコとよく似た存在です。私が生まれ育った秋田県にも、ひとつの町に一人は必ずカミサマがいて、死者の魂を下ろしたり、悩み事の相談に乗ったりしていました。東北の一部では決して特別なものではなく、日常生活に根づいた存在でしたし、今でもあまり変わっていないと思います。作中に登場する「カミサマ言葉」は実際に使われているものに近いですね。私の知っているカミサマも、通訳がいなければ何を言っているのか分からないくらい、独特な言葉を使って話されていましたから。

──村長と呼ばれる管理組合の理事長と、空き部屋に出入りする住人たち、そして親切な隣人の桐野親子。〈パートリア淀ヶ月〉で暮らす人には、それぞれ秘密があります。まさに帯のコピーにあるとおり「怪しいのは、住人全員」という状況です。

篠:集合住宅で生活している人の多くは、隣人が何をしているか知らないと思います。私もお隣さんがどんな生活を送っているか知りませんし、向こうも私がミステリーやホラーを書いているとは夢にも思わないでしょう(笑)。それでお互いにこやかに挨拶を交わしているんですから、考えてみればずいぶん怖いところで生活しているんですよね。そしてそんな暮らしを、多くの人は当たり前に受け入れている。今回集合住宅を舞台にしてみて、何が起こっても不思議ではない空間だなとあらためて感じました。

──そして紗季にもまた、後ろ暗い過去がありました。彼女の抱えていた闇がマンションの狂気とシンクロしていく過程も、大きな読みどころとなっています。

篠:異常な場所、気味が悪いと思っていた場所でも、気の持ち方で安住の地になりうる。そんな人間の不確かさを描いてみたいと考えました。世の中で普通とされていることは本当に普通なのだろうか、たくさんある物の見方のひとつに過ぎないんじゃないのか、という疑いが常にあるのだと思いますね。私自身はごく平凡な社会人で、社会のルールを破ることなく暮らしていますが、だからこそ一線を越えた人の心をあれこれ想像してしまうんです。

──乳白色の淀む丸い月、青白く巨大な月。くり返し描かれる月のイメージが、恐怖に満ちたこの物語を彩っていますね。

篠:夜のシーンが多い作品なので、月をひとつの象徴的な存在として使いたいと考えました。淀んでいく月と、紗季を取りまく世界が歪んでいく過程を重ね合わせて描いています。『古事記』などの日本神話でも、月読命は天照大神に比べて日陰者のイメージですし、光の当たらない世界を描いた物語に、月というモチーフはぴったりだなと思いました。

◆日常の延長線上にある謎と恐怖を味わってほしい

──2016年のデビュー作『やみ窓』から今春に刊行された『氷室の華』まで、官能的な幻想ホラーを執筆されてきた篠さん。現代ミステリーである本作にも、背徳的なムードが濃厚に漂っていますね。

篠:ありがとうございます。読んだ方からよく「怖いというより気持ち悪いですね」と言われることが多いんですが、それは誉め言葉だと受け取っています(笑)。私が目指しているのは、江戸川乱歩さんや夢野久作さんが描いたような、美しいエログロの世界。しかも日常の営みと直結しているような、生活感のあるエログロを描きたいと考えています。

──ちなみに篠さんは怖いものがありますか?

篠:子どもの頃はいろんなものが怖かったんです。でも大人になるにつれて幽霊や暗闇より、この世の中が一番おそろしいと思うようになってきました。夢のない答えで申し訳ないんですけど……。中でも怖いのは、自分の正義感を信じて疑わない人、でしょうか。コロナ禍で話題になった自粛警察などもそうですが、正しさを声高に主張して、周囲に押しつけてくる人は苦手ですし、怖いなと思います。

──それは今作のテーマにも関わるお話ですね。では、これから『月の淀む処』を手に取る読者に向けてメッセージをお願いします。

篠:この物語の舞台は東京郊外ですが、こういう事件は全国どこで起こってもおかしくありません。あなたの家の近くにあるマンションや団地にも、奇妙なルールや風習が伝えられているかもしれません。日常の延長線上にある謎と恐怖を味わっていただければ嬉しいです。結末がどう受け止められるかも、作者としては気になるところです。あれはハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、読む方によって答えはさまざまだと思いますので、ぜひ感想を聞いてみたいですね。

しの・たまき
秋田県出身。2015年『やみ窓』で第10回『幽』文学賞短篇部門大賞を受賞、同作を含む連作短篇集『やみ窓』でデビュー。他の著書に『人喰観音』『氷室の華』がある。

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