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12月の新刊『忍者物語』によせて
ニンジャと忍者 東郷 隆

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「ニンジャ」という言葉は今や国際用語である。

時代劇を書いている身としては、読者層が海外まで広がるということで大変喜ばしい現象だが、実際にどこまで理解されているか、と問われれば、首を傾げざるを得ない。先日もテレビ欄に、

「外国人のニンジャでしのびの里が大変なことに」

という煽り文句が載っていたので、興味津々見てみると何のことはない、三重県の伊賀上野(いがうえの)を走るローカル鉄道に、忍者の格好をした外国人観光客をギッシリ詰め込んだ、ただのコスプレ・オリエンテイションだった。番組のスタッフがカメラを向けると皆一様に、フーとかキェーッとか猫みたいな奇声を発し、ビニールの刀を構えてポーズをとる。中には食いかけのヤキトリ串を突き出し、

「これで俺もニンジャ・カンフーのマスターだぜ」

と渋く答える輩(やから)までいて、何じゃこりゃ、であった。このニンジャとカンフーを混同するのはよくある筋で、数年前にもイランのテヘランでひと騒ぎあったのを覚えている。

二〇一二年二月、ロイター通信は、

「テヘランで日本のニンジャ人気が過熱気味。同地には現在二万四千人の忍者修行者が居り、内三千五百人が女子(くノ一)」

と報じ、あげく同国ではニンジャ式の女子暗殺団を大量に養成中とまで伝えたから、イラン政府が同通信社へ抗議声明を出す騒動にまで発展した。

この時、イランのプレスTVは、同国の〝忍者学校長〟のコメントとして、

「忍術は身体と精神のバランスを維持することに役立ち、女性には魅力的なスポーツで、忍者の装束も女子の宗教上の衣服としては極めて適合している(これは黒装束と覆面のことを指しているらしい)」

と伝えている。テヘランくノ一のニュース動画は現在もネットで見ることが出来るのだが、画像をよくよく観察してみれば、撮られているイラン女性の黒装束に日本の「武神館」の文字が入っている。二十年ほど前から彼の地で活動中の、日本式古武道学校のそれとわかるのである。

これがなぜ近頃になって暗殺者の養成、というトンチンカンな報道につながったかといえば、同国の核開発問題と、欧米のイランアレルギーが、ニンジャという凶々(まがまが)しいイメージにうまく結びついたからだろう。

しかし、私としては、ニュースに登場したイラン女性たちの生真面目過ぎる抜刀訓練や精神修行の姿が気になった。

いやいや、イランのお嬢さんたち。日本の本当の忍者は、「身体と精神のバランス」なんて高尚なことは目指しておりません。陰謀と内乱のうず巻く日本史の裏社会で、巧妙に立ちまわった下級の諜報員に過ぎないのですよ。第一、ニンジャは、あなた方シーア派が最も忌み嫌う東アジア山岳ブッディズムの呪術的崇拝者なんですからね、と声を大にして伝えたくなる衝動にかられたものである。

しかし、振り返って考えてみれば、現在の我が国でも忍者なるものが正当に評価されているか、といえばはなはだ疑問だ。前述の、オリエンテイションでヤキトリの串を構えた外国人と我々は、五十歩百歩の知識しか有していないのである。

そこで、改めて古記録を読み返して、そこに残された生身の忍者ばかり短編にしてみよう、と思った。

忍者は、もともと闇から闇へ消えていく存在で、人々の注目を浴びぬものだが、室町時代長享(ちょうきょう)元年(一四八七)の近江鈎(おうみまがり)の陣から幕末まで、時折思わぬ歴史の舞台にぽっこりと姿を現わす。

そういう奴は、まあ、忍者としては失格者なのだろう。しかし、私というものは、そういう歴史上の失格者が大好きなのである。困ったものだ。

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