寺地はるな『カレーの時間』刊行記念ロングインタビュー
「小説でこんなに悩んだことはなかった。でも、『これだ』という言葉を見つけられたから、私としては100点満点」
寺地はるなさんの最新刊『カレーの時間』。「これまでのなかで一番大変だった」と語る通り、セリフのひとつひとつまで考え抜かれ紡がれた作品の執筆の舞台裏を、瀧井朝世さんが聞きます。
聞き手/瀧井朝世 まとめ/編集部 写真/山本まりこ
●カレーを食べながら考え続けた2年半
瀧井:とても読み応えのある作品でした。登場人物ひとりひとりと、カレーというモチーフが有機的に絡み合っていて。
寺地:嬉しいです。これまで書いてきたなかで、一番大変だったかもしれません。2年半、この小説のことをずっと考えてきたような気がします、カレーを食べながら(笑)。
瀧井:そうだったんですね。
寺地:パズルの間違い探しって、10個中7個は簡単に見つかるけれど、残りの3個を見つけるのが難しいですよね。それと同じで、「本当はこれじゃない」という言葉を仮置きしたまま進めた箇所がいくつかあって……。2021年のうちに刊行する予定だったのですが、「ちょっと時間をください」と延ばしてもらいました。
でも最後の最後で「これだ」という言葉を見つけることができた。読む方がどう読まれるかはわかりませんが、精いっぱいやったという意味で、私としての満足度は100点です。
瀧井:家族関係、世代間ギャップ、高度成長期の価値観、現在の働き方……ひとつひとつ語り合いたくなるエピソードが詰まっていますね。高度成長期にレトルトカレーの営業マンとして働いた祖父・義景のパートと、20代の孫息子・桐矢のパートが交互に描かれますが、祖父と孫の話を書こうと思ったきっかけは?
寺地:これまで現代を舞台にした小説ばかりだったので、過去の時代を書いてみたいと思っていました。担当編集者に話したところ、「それでは祖父と孫の話はどうですか、大阪が舞台で」という提案がありました。
瀧井:カレーを題材に書きたい、ということではなかったんですね。
寺地:カレーはあとから出てきたんです。町工場がたくさんある東大阪のあたりを舞台にしよう、というところから始まって、調べていくと大阪は何かとカレーに縁があるんですよね。「バーモントカレー」のハウス食品は東大阪にありますし。
瀧井:義景パートを読んで、レトルトカレーが、高度成長期という社会の転換期と深く関係していることがよくわかりました。
寺地:当時、カレーは大鍋で作って家族みんなで食べるものでした。それが、一人暮らしの学生とか塾通いの子どもが増えて、生活スタイルの変化に応えるように一人で手軽に食べられるレトルトカレーが生まれて。50代から70代の人たちに話を聞いたり資料を読んで、カレーの歴史は実に面白いと思いました。
●お年寄りに「いいこと言う役割」は与えんとこう
瀧井:祖父・義景は戦後に孤児のように育ち、昭和の価値観そのままの人ですね。お見合い結婚して娘3人をもうけるも、妻に愛想をつかされたのか離婚。義景の人物造形はどのように作られていったのですか?
寺地:義景の少年時代は、私の父親の経験が基になっています。父はもう亡くなったのですが、子どものころに当時のことを繰り返し聞かされました。幼くして母を亡くし九州の親戚の家に預けられ、ひもじい思いをして、単身大阪へ出て行って――。
瀧井:義景の価値観は家父長制が色濃いですね。娘に女の子が生まれたら「なんや、また女か」と言い放ち、桐矢に対しても「俺が一人前の男に育て直す。そしたら嫁も来る」と勝手に宣言して、もうNG発言の連続! 娘や孫たちから鬱陶しがられます。
寺地:おじいちゃんを主な登場人物に据えることになったとき、「いいことを言う役割は与えんとこう」と決めました。お年寄りって、フィクションでは道先案内人のようなポジションを与えられがちですよね。そういうお年寄りを私も何度も描いてきたのですが、ある種、これも役割の押し付けのような気がしてきて。『カレーの時間』では、83年生きてきた人、そのままを書こうという気持ちが最初にありました。
●男の本能、なんて嘘かもしれない
瀧井:昭和の価値観で生きてきて、今の若い世代とはものすごいギャップがある。そんなおじいちゃんと暮らすことになった桐矢は、徹底したローリスクローリターン志向ですね。冒頭から「宝を求めて七つの海を冒険したくないし、鬼退治もしたくない、もちろん異世界にも転生したくない」という。
寺地:はい。男性の価値観も、ここ数十年で大きく変わったんじゃないかと思うんです。ちょっと話はズレますが、担当編集者から、後輩の20代の男性が「男が二股をかけて楽しむ小説を読んだけど、男の心理が理解できない」と言っているという話を聞いて、面白いなと感じました。
瀧井:浮気する心理がわからない、ということですか?
寺地:恋愛はしたいけど、複数の女性と同時に関係を持ちたい、といった欲はなさそうだ、という話でした。「男があちこちに種をばらまくのはオスの本能だから」なんて言説は、実は嘘なんじゃないかなと。文化のなかで「本能だ」と思わされてきたことに疑いを持つ、そんな視点を桐矢に託したのかもしれません。
●自分の父親のことが常に頭にあった
瀧井:ゴミ屋敷のような義景の家に、潔癖な桐矢がやむにやまれず同居することになります。過去と現在のパートを交互に描く構想は最初からあったのですか?
寺地:はい。「男らしさが美徳だった時代はもう終わりました」という桐矢のセリフがあるのですが、執筆当初はそれに向かって書き進めました。モデルというわけではないのですけれど、義景を書いている間は、父のことが常に頭にありました。
あの人は背負わなくてもいいものを背負っていたんだな、とずっと思っていて……。義景は桐矢に「男は女を守るもんや」と繰り返しますが、家族を守る体で、実は父から押さえつけられていたこともあったんだなと。
瀧井:「相手を守る」姿勢が、実は相手の主体性を奪っている、ということは現実の世界でも本当にありますよね。そんな義景に育てられた3姉妹ですが、とても賑やかで個性的です。孫娘たちもロリータファッションだったり和装だったり、服装からしてユニークです。
寺地:私、女の人たちがわちゃわちゃしているのが好きなんですよ。義景は何かにつけ「男は~、女は~」と言いますが、娘も孫も聞く耳を持ちません。男手ひとつで育てる父と、健気な3姉妹、という話にはしたくないという気持ちがありました。
●「感動的」な展開は避けたい
瀧井:桐矢は、義景が半世紀もの間、ある秘密をひとりで抱えて生きてきたことを知り、行動を起こします。それがふたりの関係だけでなく、3人の娘や孫娘たちとの関係をも変えていきます。それと同時に、簡単にはわかり合えない、人間は変わらない、ということも描かれていきますね。
寺地:「実はおじいちゃんはいい人だった」という美談のような流れを作った方が受けがいいのかもしれません。たとえば終盤で、義景からの感動的な長文の手紙が出てきて、家族の相互理解が深まったら、わかりやすく感動的になるでしょう。でも、私としては、それはどうしてもダメだと思って。
小説は本当ではないことを書くものですが、自分が嘘だと思うことは書けない。現実と照らし合わせて「こんなことはありえない」という観点ではなく、書いている私自身が、小説内で起きるその出来事を「ある」と信じられるかどうか、考えました。
瀧井:私も、自分が成長する過程で人から言われて傷ついた経験を、今でも覚えています。過去は水に流して、すべてをきれいに丸く収めるのは違いますよね。一方で、義景は絶対的な悪というわけではなく、営業マンとして働く中で抱いた色々な思いや、家族で大阪万博に行くシーンなど、ひとりの人間としての軌跡も丁寧に描かれていて、そのバランスが絶妙だと思いました。
寺地:最後まで分かり合えなかったとしても、生きていく。それは小説の中の人たちも、私たちも一緒で、読んだ方に伝わればいいなぁと思っています。なんだろうな……小説が「正しい行動」のお手本であってはいけないような気がしているんです。
●「橋渡しをする仕事」の大切さ
瀧井:高度成長期を背景に、義景がレトルトカレーを普及させようと奮闘する姿、とても面白かったです。
寺地:レトルトとかカップ麺といった革新的な商品の開発秘話は、みんな好きですし、クリエイティブな仕事は脚光を浴びがちですけど、商品を流通させる仕事も同等に大切なもので、今回は「橋渡しをする仕事」を描きたいと思いました。
瀧井:カルチャーセンターで、様々な講座をお客さんに提供する桐矢の仕事もまた「橋」なんだ、というセリフが印象的でした。
寺地:わかり合えない義景と桐矢ですが、共通するものは仕事だと考えました。
瀧井:桐矢は仕事にやりがいを見いだせていません。そんな桐矢に「仕事を生きがいにする人もいるけど、すべての人がそうじゃなくてもいい」という職場の先輩の言葉も印象に残ります。では仕事以外のどこに重きを置くかは、人によって違いますよね。
寺地:そのあたりは、読む方それぞれが考えていただけたらいいなと思います。仕事にやりがいを求めるのも、もちろん素晴らしいと思いますし、仕事そのものが好きではなくても、まじめに働くことはできますよね。私自身が仕事大好き人間ではないから、そう考えるのかもしれませんが(笑)。
●悩みに悩んで夢に出てきたシーン
瀧井:一方で義景は「男は仕事を生きがいにして、結婚して家を買って一人前」という時代を生きてきました。
寺地:人間がものを考える瞬間って、全然違う価値観にぶつかったときだと思うんです。桐矢が義景の影響を受けて男らしく逞しく変化する……という展開はいやですが、「おじいちゃんはなんでそんなこと言うんだろう」と考えて、桐矢なりの答えを出すのはいいなと。「成長」というと上に伸びていくようなイメージですけれど、面が増えて多面体になっていくような、桐矢の変化を描いていきました。
瀧井:桐矢が勤めるカルチャースクールでも、いろいろな出来事が起こります。70代の女性へのストーカー事件が起きたり。セクハラ事件の対応をすることになった館長の去就には、一抹の哀愁を感じました。
寺地:館長の最後のシーン、ずっと悩んでいました。私は今まで「書けない」という経験がなかったのですけれど、今回は、夢にまで出てきました。朝、起きぬけに館長のセリフが頭に浮かんで、慌てて手近な裏紙に書き付けた覚えがあります。「ああ、これだったか!」って。
瀧井:あの場面は、刺さりました! ネタバレになってしまうから言えないのがもどかしいのですが。
●過去を物語るということ
寺地:終盤の章は、館長のシーン以外でも改稿を重ねました。執筆当初から「男らしさは美徳なのか」というテーマが念頭にありましたが、書きながらもうひとつ浮かびあがってきたのは、「過去を物語ることは、ある種の乱暴さがつきまとう」ということでした。最後の改稿を編集者に送信する3日前に「これだ!」という一文が浮かびました。意図して出てきたものではありませんが、絶対に、この場所に置かなくてはいけない言葉だったと思います。
カレーにまつわる思い出を取材したとき、みなさん、正確には覚えていなかったんですよね。聞けば聞くほど、人の記憶ってあいまいで、過去を語るのは難しいことなんだ、と感じたことも背景にありました。
瀧井:この物語を読んできて、その一文にたどりついたときは、深い納得感がありました。ところで、いろいろなカレーが出てきますね。レトルトカレーに素揚げを載せるアレンジとか、案外簡単なスパイスカレー、ルーを使った豆のキーマカレーも美味しそうでした。
寺地:執筆をしていた2年半、しょっちゅうレトルトカレーを食べていました。本当に便利なんですよね。温めるだけであんなに美味しいなんて、やっぱりすごい発明だと思います。
(2022年5月インタビュー)
てらち・はるな
1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。2021年『水を縫う』で第9回河合隼雄物語賞を受賞。他の著書に『今日のハチミツ、あしたの私』『大人は泣かないと思っていた』『夜が暗いとはかぎらない』『ガラスの海を渡る舟』『タイムマシンに乗れないぼくたち』などがある。